先延ばし先延ばしにしてしまう行動傾向が,私にいつ頃から定着してしまったのか,記憶が定かでない。直前まで動かないで,一気に仕上げるのは,もう随分前からのことである。いろんな方々にご迷惑をおかけして,その都度申し訳ないとかそれなりのことばを口にはしても,次の同じような状況に置かれたときに,行動が改善された形跡はないし,むしろ最近は悪化してさえいるという実感さえある。ついさっき,前々からの懸案を「一応」,文字通り「一応」仕上げ「は」した。申し訳なさと自己嫌悪の感情で一杯だが,長い間の胸のつかえが取れたのもまた事実。それでも今回は仕事の仕上がりが全く本意でないだけ,単に申し訳ないというよりも,むしろやましい気分である。「やまいだれ」に「久しい」と書いて疚しい。誰が考えた漢字か知らないが,これ以上似つかわしい漢字はそうそう考えられるものではない。
さて,前回の小テストの対応。きょうの授業で予告なしテスト(前回と同一内容)をしようかと準備したのだが,気を取り直して中止。学生の希望をまず聞いてからとする。もう12月,きょうで第9回めだというのに3回実施すべき小テストが一度も終わっていないという現状。これは前述の私の行動傾向とは一応無関係なのだが,さて,シラバス通りにいくかどうか・・・。ひとつだけ救いなのは,1月に入ってから授業が隔週になること。2回続けて小テストということになったとしても,時間的には2週間の時間を置けることにはなる。
きょうで剰余変数の統制が終わり。実験屋である私の個人的な意見としては,これが理解できれば,心理学研究法の理解としては満点に近い。心理学を学ぶものの根っこと幹が形成されたようなものである。
さて,ひとつの懸案が終わったとは言うものの,12月末までの仕事が目の前にぶら下がっている。こっちはきちんと仕上げなければ・・・。年明け早々に同じような反省文をここに書き連ねることは避けたいのだが・・・。
2007年11月27日火曜日
2007年11月24日土曜日
学習心理学Ⅱ@松蔭 第8回 (11月22日)
秋が深まって,少しずつ寒さが厳しくなる頃に,ひどい咳が何日も続くようになったのは,もう10年以上前のこと。一頃(とりわけロンドンにいる間)は治まっていたのだけれど,今年はもう3週間近くになる。水曜日はとうとう大学も休んでしまい,木曜日の松蔭のこの授業も1コマだけこなすのがやっとやっとだった。
小テストの返却と解説,そして前回の選択行動とセルフコントロールの残りの部分。小テストで出題したのは,弁別と般化,刺激統制,阻止の随伴性の用語の理解と,日常例を挙げること。15点満点で7.2点の平均点(SD 4.40点)は予想よりも低め。ただ,12点(8割)以上の学生が受験者63名のうち12名いたことを考えると,まずまずかとも思う。
行動分析学は,ある意味で研究法などの心理学のコアになる科目と共通点があるように感じる。扱うのは確かにごく日常的な現象なのだけれど,例えば発達心理学で,生後24ヶ月の75%のこどもが二語文を話すとか,社会心理学で,対人間の距離と対人間の親密さの関係には相関関係があるといった内容と,その扱い方,アプローチが根本的に異なっている。行動分析学における行動の随伴性は,喩えるなら文法のようなものである。その文法を知らないでいてもことばを話すことはできる。研究法の基本を知らないでも,表面的にその方法をまねることが出来るように。けれども,その基礎を知っていれば,人間の行動の理解,言葉の理解,心理学の研究の理解がより深まることは言うまでもない。
もうひとつ共通点を探すとすれば,扱われる内容が相互に有機的な関連を持っていることだろう。認知心理学で例えばあるテーマについてほとんど何も知らなくても,別のテーマを学習するときに大きな支障を来すことはさほどないかもしれない。それに比べて,たとえば選択行動であれ,阻止の随伴性であれ,基本的な概念を積み重ねて十分に理解しておかなければ,何をやっているか分からなくなってしまう。もちろん細かい内容になれば,相互に関わりが薄いものもあるのだが,何より行動の随伴性についての基礎的な理解がなければ,どのテーマを学習する上でも困難を伴うのは言うまでもない。あるいは,とりあえず小テストがあるから,テストがあるから,文字通り一夜漬け式に勉強して,その次の日には忘れてしまっても構わないというやり方で取り組んでいる学生が少なからずいるのかもしれない。
しかし,セルフコントロールを話す回に,このように体調を崩していたのでは,言行不一致も甚だしい・・・。反省である。
小テストの返却と解説,そして前回の選択行動とセルフコントロールの残りの部分。小テストで出題したのは,弁別と般化,刺激統制,阻止の随伴性の用語の理解と,日常例を挙げること。15点満点で7.2点の平均点(SD 4.40点)は予想よりも低め。ただ,12点(8割)以上の学生が受験者63名のうち12名いたことを考えると,まずまずかとも思う。
行動分析学は,ある意味で研究法などの心理学のコアになる科目と共通点があるように感じる。扱うのは確かにごく日常的な現象なのだけれど,例えば発達心理学で,生後24ヶ月の75%のこどもが二語文を話すとか,社会心理学で,対人間の距離と対人間の親密さの関係には相関関係があるといった内容と,その扱い方,アプローチが根本的に異なっている。行動分析学における行動の随伴性は,喩えるなら文法のようなものである。その文法を知らないでいてもことばを話すことはできる。研究法の基本を知らないでも,表面的にその方法をまねることが出来るように。けれども,その基礎を知っていれば,人間の行動の理解,言葉の理解,心理学の研究の理解がより深まることは言うまでもない。
もうひとつ共通点を探すとすれば,扱われる内容が相互に有機的な関連を持っていることだろう。認知心理学で例えばあるテーマについてほとんど何も知らなくても,別のテーマを学習するときに大きな支障を来すことはさほどないかもしれない。それに比べて,たとえば選択行動であれ,阻止の随伴性であれ,基本的な概念を積み重ねて十分に理解しておかなければ,何をやっているか分からなくなってしまう。もちろん細かい内容になれば,相互に関わりが薄いものもあるのだが,何より行動の随伴性についての基礎的な理解がなければ,どのテーマを学習する上でも困難を伴うのは言うまでもない。あるいは,とりあえず小テストがあるから,テストがあるから,文字通り一夜漬け式に勉強して,その次の日には忘れてしまっても構わないというやり方で取り組んでいる学生が少なからずいるのかもしれない。
しかし,セルフコントロールを話す回に,このように体調を崩していたのでは,言行不一致も甚だしい・・・。反省である。
2007年11月23日金曜日
間歇強化
昨日に続いてきょうも出張授業。今回はもともと心理学に関心がある生徒が集まっていて,ずっと楽しい時間になった。心理学はどうしても臨床心理学のイメージが強く,しかも,一般の高校生が感じている範囲を考えれば,実際の臨床のうちの一部に限定されてしまいがちである。高校での出張授業で一番伝えたいことは,何より心理学が面白い学問であることなのだけれど,なぜ面白いかと言えば,人間のあらゆる側面に関わる可能性のある学問だからなのである。多方面に亘る応用の一つである臨床は言うに及ばず,基礎領域はその導入から興味深い現象は数多く,さらにその広さと深さは果てしがない。一時期に比べると心理学を志す高校生の数が減りつつあるようだが,心理学の実際の姿を見てもらえれば,最も学びたい学問のひとつになってくれると楽観している。なんて書くと学長から「甘い」というつっこみが入りそうだけれど・・・。
きょうはこの授業に続いて,4つの高校を訪問した。親和の現状の説明と12月23日の受験生を対象としたウィンターキャンパスの紹介が主目的である。今年度はこれまでにも40校くらい訪問させていただいているのだが,高校によっても,また先生によっても対応は様々である。きょうの1校目はたまたまご担当の授業直前になってしまい,早く帰ってくれというけんもほろろの対応だった。
体調もさほどすぐれないような日だと,このような対応があると,もう帰ってしまおうかという気になってしまうのだが,頑張って訪問したその後の3校ではいずれも楽しい時間となった。結構な坂を登ったところにある高校でも,峠を越えてかなり車を走らせたところにある高校でも,またそこからの戻りがけの高校でも(ここは4時半ころになっていた),とてもきちんとこちらの話に耳を傾けてくださり,また貴重なご意見を伺うこともできた。こうしたことがあるからこそ,高校訪問そのものが楽しめる仕事になる。文字通りの間歇強化である。そして忘れずに付け加えれば,同じ簡潔でも罰(弱化)が行動を抑制する力は間歇強化に比べるまでもなくごくわずかである。もちろん,こうした訪問によって,親和を進学先として考えてくれる高校生がひとりでも増えてくれればさらによいことは言うまでもない。
画像に上げているものは,模擬授業でも使っている自宅の近くにあるあるお宅の表札。行動分析学に基盤を置いている私にも,こうしたゲシュタルトのお話しも十分楽しめる。問題があればすぐに消します。
心理学研究法 第8回 (11月19日)
きょうは授業の合間を縫って大学から30分くらいの高校で模擬授業。思ったほど反応がよくなかったのが残念だけれど,こればかりは致し方ない。聞くところによれば,この高校では様々な領域を順に聞くことで,その中から自分が関心のある領域を見つけるようにという方法を採用しているとのこと。きょうの32人の中で現時点で心理学に関心がある生徒は2~3人にすきなかった。
さて,大学に急いで戻っての研究法は第1回小テスト。職員さんに持ち込み不可,席は1つずつ空けて座るなどの細かいことをきちんとお願いしていなかったためか,ちょっとどころか相当困ったことになってしまった。少なからぬ学生から,ノートやプリントを机の上に出してやっていたとか,隣の席の学生に見せてもらっていたという報告があった。このようなことをブログに書くことが適当かどうかわからないが,これが現状である。もちろん,急いで付け加えなければならないが,そのような学生が「少なからぬ」ではあっても,大半であるというわけでは決してない。
テストの内容は以下のようなものである。心理学の5つの研究法から3つの名前を書く。研究仮説・対立仮説・帰無仮説のうち,2つについて説明する。3つの変数の名前を使って,実験室実験を説明する。3つの変数のうち,2つについて説明する。さて,「難しい」と感じる学生がいるのだろうかというつもりで出題した内容である。換言すれば,きちんと授業を聴いていれば容易に満点を取ることのできる内容であると思うのだが・・・。
採点して次回の授業で返却する予定だったのだけれど,少し対応について考えなければならないのはとても残念。最近巷を騒がしている,不当・不正表示に匹敵する出来事だと感じる。関連して思い出したことがあったのだが,これについては稿を改めて書きたい。タイトルはIt's not fair!!
残った時間は剰余変数の統制。次回は非実験的方法をまとめる予定。
さて,大学に急いで戻っての研究法は第1回小テスト。職員さんに持ち込み不可,席は1つずつ空けて座るなどの細かいことをきちんとお願いしていなかったためか,ちょっとどころか相当困ったことになってしまった。少なからぬ学生から,ノートやプリントを机の上に出してやっていたとか,隣の席の学生に見せてもらっていたという報告があった。このようなことをブログに書くことが適当かどうかわからないが,これが現状である。もちろん,急いで付け加えなければならないが,そのような学生が「少なからぬ」ではあっても,大半であるというわけでは決してない。
テストの内容は以下のようなものである。心理学の5つの研究法から3つの名前を書く。研究仮説・対立仮説・帰無仮説のうち,2つについて説明する。3つの変数の名前を使って,実験室実験を説明する。3つの変数のうち,2つについて説明する。さて,「難しい」と感じる学生がいるのだろうかというつもりで出題した内容である。換言すれば,きちんと授業を聴いていれば容易に満点を取ることのできる内容であると思うのだが・・・。
採点して次回の授業で返却する予定だったのだけれど,少し対応について考えなければならないのはとても残念。最近巷を騒がしている,不当・不正表示に匹敵する出来事だと感じる。関連して思い出したことがあったのだが,これについては稿を改めて書きたい。タイトルはIt's not fair!!
残った時間は剰余変数の統制。次回は非実験的方法をまとめる予定。
2007年11月15日木曜日
学習心理学Ⅱ@松蔭 第7回 (11月15日)
後期第1回の小テスト。にも関わらず出席者が少ない。ほとんどの回で80%以上の出席率であったにもかかわらず,きょうは74%。授業後になって,山陽電車が車両故障で90分延着という証明を持ってきた学生がやってきた。私自身もそうだけれど,体調を崩しやすい時期と言うことも重なってのことだろう。いずれにしても,正当な理由で出席できなかった学生への対応は次週の時間にアナウンス予定である。
テストの内容はいつもの通り,基本的な用語の説明と,その日常例を書いてもらうものとした。テスト中に眺めている限りでは大丈夫そうだけれど,さて実際に採点してみるとどういうことになるか。テストは学生一人ひとりの理解度のチェックであると同時に,教員にとっても学生に伝えたいことが伝わっているかをチェックする機能がある。その意味で,採点はとても緊張する作業なのである。
きょうの授業内容は選択行動とセルフコントロール。例によって遅延大強化と即時小強化との選択による定義である。非常に実用的なのだが,並立の選択だけでなく,日常的なセルフコントロールには,遅延大弱化と即時小弱化との強制選択場面,あるいは継時選択場面が多いように感じる。例えば,虫歯になったときの選択。歯医者に行くとちょっと痛い(もちろん虫歯がなおるという強化はあるが,虫歯が痛みを伴っていない場合は,嫌子消失による強化が働かない場合も多い)。けれども行かないでほったらかしにしていると虫歯自体も痛みが生じて,治療の痛みもより大きくなる。すぐあるちょっとした痛みを我慢する選択ができることがセルフコントロール。この場合の対立概念は衝動性でなくて何と呼べばいいのだうろか。尤も,このような場合は嫌子出現の阻止による強化であると言えなくもないのだが,その選択行動に嫌子出現が伴う場合だから,セルフコントロールと呼べないかと思うのだけれど・・・。
テストの内容はいつもの通り,基本的な用語の説明と,その日常例を書いてもらうものとした。テスト中に眺めている限りでは大丈夫そうだけれど,さて実際に採点してみるとどういうことになるか。テストは学生一人ひとりの理解度のチェックであると同時に,教員にとっても学生に伝えたいことが伝わっているかをチェックする機能がある。その意味で,採点はとても緊張する作業なのである。
きょうの授業内容は選択行動とセルフコントロール。例によって遅延大強化と即時小強化との選択による定義である。非常に実用的なのだが,並立の選択だけでなく,日常的なセルフコントロールには,遅延大弱化と即時小弱化との強制選択場面,あるいは継時選択場面が多いように感じる。例えば,虫歯になったときの選択。歯医者に行くとちょっと痛い(もちろん虫歯がなおるという強化はあるが,虫歯が痛みを伴っていない場合は,嫌子消失による強化が働かない場合も多い)。けれども行かないでほったらかしにしていると虫歯自体も痛みが生じて,治療の痛みもより大きくなる。すぐあるちょっとした痛みを我慢する選択ができることがセルフコントロール。この場合の対立概念は衝動性でなくて何と呼べばいいのだうろか。尤も,このような場合は嫌子出現の阻止による強化であると言えなくもないのだが,その選択行動に嫌子出現が伴う場合だから,セルフコントロールと呼べないかと思うのだけれど・・・。
いそがしい?
14日はかねてより定期的に集まっている研究会に参加した。4年半前に東京から大阪にやってきたとき,学会などを通じて知っていたある先生に相談したところ,ゼミの出身者に呼びかけてくださり,私を含めて5人で始まった研究会。うち1人は半年もしないうちに,そしてもう1人も1年半前に異動のために抜け,このところ3人で集まっていた。私が半ば無理矢理に引き入れたもうひとりが今日から参加。かつては毎月やりくりしていたのだけれど,今日は実は夏以来初めてだった。
そのときに話題になったこと(私がしたのだけれど)のひとつが,以前にもこのブログで書いた中島先生の活動ぶりである。春にオーストラリアに行かれてからすでに7つ目の論文を執筆中とのこと。しかも論文以外の著作を別にしてである。日本にいるときにも定期的に論文を書かれてはいるが,多忙を極めていたのだろう,貯めていたデータを一気に出版しようという勢いである。
ずっと前,ある先生から頼まれた仕事を忙しいことを理由にお断りしようとして叱られたことがあった。忙しいのは当たり前だから,それを前提にして何をするかを考えなければならない。少なくとも仕事を断るのに忙しいことを理由にしてはならないというものであった。宜なるかなである。その先生も含めて,きちんと仕事を生産的にこなしている人たちは,本当にどこにそんな時間があるのかと思うような結果を残されている。対外的な仕事は削るわけにいかないから,削ることのできる睡眠時間がその資源なのだとか。私など真似しようとしてもできないスゴイ人たちである。
今日の研究会でもそんなことを嫌でも思い出してしまうことがあった。詳細については省くが,さすがに忙しいことを理由にしなくはなっても,低い生産性は相変わらずで,かつては十分に理解していたことさえ定かでなくなっており,肝心の実験や研究を疎かにしてしまっている自分を映し出す現実である。月に一度というのは頻度として決して高くはないけれど,何とか研究という本来の仕事に細々とでも自分を繋げる命綱として大切にしなければならないものなのである。
そのときに話題になったこと(私がしたのだけれど)のひとつが,以前にもこのブログで書いた中島先生の活動ぶりである。春にオーストラリアに行かれてからすでに7つ目の論文を執筆中とのこと。しかも論文以外の著作を別にしてである。日本にいるときにも定期的に論文を書かれてはいるが,多忙を極めていたのだろう,貯めていたデータを一気に出版しようという勢いである。
ずっと前,ある先生から頼まれた仕事を忙しいことを理由にお断りしようとして叱られたことがあった。忙しいのは当たり前だから,それを前提にして何をするかを考えなければならない。少なくとも仕事を断るのに忙しいことを理由にしてはならないというものであった。宜なるかなである。その先生も含めて,きちんと仕事を生産的にこなしている人たちは,本当にどこにそんな時間があるのかと思うような結果を残されている。対外的な仕事は削るわけにいかないから,削ることのできる睡眠時間がその資源なのだとか。私など真似しようとしてもできないスゴイ人たちである。
今日の研究会でもそんなことを嫌でも思い出してしまうことがあった。詳細については省くが,さすがに忙しいことを理由にしなくはなっても,低い生産性は相変わらずで,かつては十分に理解していたことさえ定かでなくなっており,肝心の実験や研究を疎かにしてしまっている自分を映し出す現実である。月に一度というのは頻度として決して高くはないけれど,何とか研究という本来の仕事に細々とでも自分を繋げる命綱として大切にしなければならないものなのである。
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