長いと思っていた夏休みも終わって,いつの間にか朝夕には秋風がたち始めています。親和も長かった夏休みから,月曜日に秋学期のスタートを迎えました。
驚いたのは受講生の数。200名を越える学生を前に話すのは久々のこと。前任校も親和も比較的こぢんまりとした大学だから,こんなに多くの受講生がいるのは稀である。どうやら児童教育学科の学生が春学期に時間割の関係で私の授業も,もうお一人の先生の授業も受講できずに,この時間に集中しているようである。
心理学の授業の最初は,心理学は一般に考えられているようなものと少し違いますよというのがメッセージである。だから,できれば自分の思いに囚われずに,ちょっと変じゃない?という内容であっても,まずは受け止めて聞いて欲しいというのが,もうひとつのメッセージ。そして,心理学はとても面白い,いろんなアプローチの複合体ですよというのが,それに続いていく。
そして,それぞれの内容が,来週以降の時間で語られるというわけである。
これから先もそうだけれど,授業で使ったファイルはpdfにして,アップします。左のLINKSの「神戸親和 心理学 (共通教育)」をクリックして,必要なファイルをダウンロードして下さい。
2008年9月25日木曜日
2008年9月16日火曜日
フラストレーション
卒業や進級がかかっている年度で取得単位が不足しているとき,所定の手続きによって再試験を受験できる。これはどこの大学でも実施されており,実を言えば私も卒業をかけて再試験を受験したことがある。
話せば長い事ながら,私が大学と大学院を過ごした東京のある大学では,博士課程の入学試験に,文学研究科ということもあるのだろうが,第二外国語が課されていた。要は,英語,ドイツ語,フランス語,ロシア語,中国語などから2つを選択するわけである。3年生の時に卒論では動物実験をすると決めてから,大学院に進学しようと考えていた私は,3年生の時に選択する専門外国語をドイツ語にした。英語は日常的に読まなければならない状況にあったから,そうではないドイツ語(1年と2年の2年間はそれぞれ週に4コマずつあった)を継続しておこうと考えたためである。これらは特別な話ではない。
大学の教員は,教える,研究するという,一般にイメージされる仕事(好きでやっているから遊びと言えなくもないかもしれない)の外に,学内外での教務的な仕事がある。教室運営,学科運営などなど,最近は大学の宣伝など募集活動なども含めて,いわゆる「雑務」と呼びたい(けれどもとても大切な)仕事は少なくない。たまたま3年の専門ドイツ語を担当された先生が,前期終了後に学内の役職に就くとかで,後期から交代になった。その先生は1年間だけという約束で担当されたので,4年生の後期にはまた別の先生が担当となった。
問題は,私の動物実験である。オペラントの実験は毎日同じ時間に始めることが原則である。その原則を守ろうとすると,勢い出席できにくい科目が出てきてしまう。私は,考え違いも甚だしいのだが,卒論の実験をしていれば出席なんかどうでもよいと考えていて,4年後期のドイツ語に結局ほとんど出席できず,従って,試験もできず,見事に単位を取得できなかったのである。今でも記憶に鮮明な,山田先生にお話しに伺ったとき(卒論で実験してるんだから何とかしろという気持ちである),正当に評価するしかないから単位は認められない。卒業できなければ死ぬというなら,ここから飛び降りると交渉した過去の強者には,飛び降りてもらって構わないと話したという逸話も交えながら,それでも,再試験だけは受けられるようにしてやると温情をかけてくださった。温情というのは,再試験を受験するにも資格が必要なのである。たとえば40点以上の評価であるとかなんとか。
大学院修士の試験(2月下旬の1次,3月初旬の2次)を無事合格しながら,卒業をかけた試験を3月12日に受験しなければならなかった。出題範囲が何ページあったか記憶にないが,今でもはっきり覚えているのは,ひとりひとりに厳封された試験問題が配付され,隣に座った同じくドイツ語の再試験を受ける女の子と,開始の合図の直後に問題1が,その出題範囲の最初のパラグラフであることを確認して,思わず顔を見合わせてほほえんだことである。そのようにして,私は無事に卒業し,大学院に進み,そして中略で現在に至るわけである。
さてしかし,私がこれまでにドイツ語に限らず,外国語をあれほど集中的に勉強した時期というのは,その大学院の1次試験を終えて,ドイツ語の再試験を受験するまでの1ヶ月足らずを措いて外にない。博士課程のときにも,結構勉強して,最終的に瞬間最大単語力は3,000を越えていたと思うが(受験直後から,どこから消えていくのか,その単語力は今や枯れ木にわずかに残る病葉のごとしである),それでもそのときほど集中して勉強してはいなかった。
さて,時は流れて,大学の授業を担当するようになって,そうした再試験を受験する側でなく出題・評価する側に回ってしまった。そして,今回どうしても単位を認定できない場面に巡り会ってしまった。受験するときは受験するときで,とてもフラストレイティブな状況に置かれたが,それでも,今思えば,出題する側よりはましである。なせなら,きちんと勉強すれば結果は自ずと見えるからである。つまり,自分で結果をコントロール可能な状況なのであるから。一方,出題する側に立つと,出題して,あとは学生の努力を待つしかない。そして今回のように,どうしても認定できないような状況に至ってしまうと,やるせない気持ちをどうしようもない。
最近は,入学は比較的容易で,卒業が難しくなるという,文字通りアメリカ型の大学のあり方へとシフトしているが,これからこのような例をいくつか経験するようになるのだろうか。それでも,人間を含めて動物は自分の失敗からも学習するはずである。今回の躓きを教訓としてもらえれば,少しは気も楽になるのだが・・・。
話せば長い事ながら,私が大学と大学院を過ごした東京のある大学では,博士課程の入学試験に,文学研究科ということもあるのだろうが,第二外国語が課されていた。要は,英語,ドイツ語,フランス語,ロシア語,中国語などから2つを選択するわけである。3年生の時に卒論では動物実験をすると決めてから,大学院に進学しようと考えていた私は,3年生の時に選択する専門外国語をドイツ語にした。英語は日常的に読まなければならない状況にあったから,そうではないドイツ語(1年と2年の2年間はそれぞれ週に4コマずつあった)を継続しておこうと考えたためである。これらは特別な話ではない。
大学の教員は,教える,研究するという,一般にイメージされる仕事(好きでやっているから遊びと言えなくもないかもしれない)の外に,学内外での教務的な仕事がある。教室運営,学科運営などなど,最近は大学の宣伝など募集活動なども含めて,いわゆる「雑務」と呼びたい(けれどもとても大切な)仕事は少なくない。たまたま3年の専門ドイツ語を担当された先生が,前期終了後に学内の役職に就くとかで,後期から交代になった。その先生は1年間だけという約束で担当されたので,4年生の後期にはまた別の先生が担当となった。
問題は,私の動物実験である。オペラントの実験は毎日同じ時間に始めることが原則である。その原則を守ろうとすると,勢い出席できにくい科目が出てきてしまう。私は,考え違いも甚だしいのだが,卒論の実験をしていれば出席なんかどうでもよいと考えていて,4年後期のドイツ語に結局ほとんど出席できず,従って,試験もできず,見事に単位を取得できなかったのである。今でも記憶に鮮明な,山田先生にお話しに伺ったとき(卒論で実験してるんだから何とかしろという気持ちである),正当に評価するしかないから単位は認められない。卒業できなければ死ぬというなら,ここから飛び降りると交渉した過去の強者には,飛び降りてもらって構わないと話したという逸話も交えながら,それでも,再試験だけは受けられるようにしてやると温情をかけてくださった。温情というのは,再試験を受験するにも資格が必要なのである。たとえば40点以上の評価であるとかなんとか。
大学院修士の試験(2月下旬の1次,3月初旬の2次)を無事合格しながら,卒業をかけた試験を3月12日に受験しなければならなかった。出題範囲が何ページあったか記憶にないが,今でもはっきり覚えているのは,ひとりひとりに厳封された試験問題が配付され,隣に座った同じくドイツ語の再試験を受ける女の子と,開始の合図の直後に問題1が,その出題範囲の最初のパラグラフであることを確認して,思わず顔を見合わせてほほえんだことである。そのようにして,私は無事に卒業し,大学院に進み,そして中略で現在に至るわけである。
さてしかし,私がこれまでにドイツ語に限らず,外国語をあれほど集中的に勉強した時期というのは,その大学院の1次試験を終えて,ドイツ語の再試験を受験するまでの1ヶ月足らずを措いて外にない。博士課程のときにも,結構勉強して,最終的に瞬間最大単語力は3,000を越えていたと思うが(受験直後から,どこから消えていくのか,その単語力は今や枯れ木にわずかに残る病葉のごとしである),それでもそのときほど集中して勉強してはいなかった。
さて,時は流れて,大学の授業を担当するようになって,そうした再試験を受験する側でなく出題・評価する側に回ってしまった。そして,今回どうしても単位を認定できない場面に巡り会ってしまった。受験するときは受験するときで,とてもフラストレイティブな状況に置かれたが,それでも,今思えば,出題する側よりはましである。なせなら,きちんと勉強すれば結果は自ずと見えるからである。つまり,自分で結果をコントロール可能な状況なのであるから。一方,出題する側に立つと,出題して,あとは学生の努力を待つしかない。そして今回のように,どうしても認定できないような状況に至ってしまうと,やるせない気持ちをどうしようもない。
最近は,入学は比較的容易で,卒業が難しくなるという,文字通りアメリカ型の大学のあり方へとシフトしているが,これからこのような例をいくつか経験するようになるのだろうか。それでも,人間を含めて動物は自分の失敗からも学習するはずである。今回の躓きを教訓としてもらえれば,少しは気も楽になるのだが・・・。
2008年9月6日土曜日
いろいろ問題はあったけれど
7月下旬からのべ5日間の夏のオープンキャンパスが無事終了。始まってからわかった問題点も少なくなかったが,とにかく終了。昨年度よりも1割弱,参加者が増えたのはうれしいことであり,これまでと同様に,受験や合格した後の入学につながってくれればと思う。
オープンキャンパスが積極的に開催されるようになったのは,1990年代の後半になってからのようだが,高校生が自分の目で自分が行ってみたい大学を実際に知ることのできる機会があるのは悪くない。私が大学に入ったのは1980年代はじめだったから,もちろんそのような機会はなかったし,せいぜい受験する大学の受験場は下見しておきましょう程度の認識しかなかった。私が最初に受けた大学は東京都内の3大学4学科だった。幸か不幸かどこにも入れてもらえなかった私は,その翌年には,前の年には受けなかった関西の3大学3学部と,東京ではそのうちの1大学1学部だけを受験した。もうずいぶん前の話で記憶が定かでないが,浪人したことで,自宅からより近いところ(関西)でよいと思ったのだろう。それでも,実際に受験したことで,東京のその大学には強い魅力を感じてぜひ入学したいという思いがあったのを,妙にはっきりと覚えている。そして,合格の知らせが届いたときのことも,はっきりと覚えている。そして結局その大学に入った私は,そこで学部,大学院,助手,非常勤講師として,丸20年に亘って関わり,今でも強い愛着を感じている。
もし,そのときにオープンキャンパスがあったとしても,東京の大学にはわざわざ出かけられなかったかもしれない。そして,受験して,浪人していなかったら,その大学に特別な魅力(受験したからといって,その大学のなにがわかるわけでもなく,大学そのものというよりも,その大学のある町の活力のようなものや雰囲気が,私を捉えていただけなのかもしれない)を感じることもなかったのかもしれない。そのときにオープンキャンパスがあったとしたら,私の人生はまた全く別物になってしまっていた可能性が低くない。
そう考えると,どこでもやっているからというスタンスでオープンキャンパスを開催するのでなく,受験生の人生を変える力を持つ,またその責任も担うようなものにしたいと,強く思うのである。似たような大きさ,学力レベルなどなどの大学が少なからずあり,選択肢が増えている。そのような状況にあるからこそ,自分で実際に足を運ぶことで,ひとつひとつの大学の持っている固有の魅力を直に感じて,自分に合うと感じられる大学選びの手がかりにして欲しいと思う。
親和では幸いご参加いただいた生徒さんたちからも,ご父兄からも,比較的好ましい印象を持ってもらえている。大規模校のような大人数の参加ではないにせよ(きょうは400人足らず),その中から小さくない割合の生徒さんたちが受験してくれる。これからも,来ていただいた方々に,その日だけ特別に繕ったのでなく,日常の様子を知っていただきながら,親和に魅力を感じてもらえるようにと思う。
オープンキャンパスが積極的に開催されるようになったのは,1990年代の後半になってからのようだが,高校生が自分の目で自分が行ってみたい大学を実際に知ることのできる機会があるのは悪くない。私が大学に入ったのは1980年代はじめだったから,もちろんそのような機会はなかったし,せいぜい受験する大学の受験場は下見しておきましょう程度の認識しかなかった。私が最初に受けた大学は東京都内の3大学4学科だった。幸か不幸かどこにも入れてもらえなかった私は,その翌年には,前の年には受けなかった関西の3大学3学部と,東京ではそのうちの1大学1学部だけを受験した。もうずいぶん前の話で記憶が定かでないが,浪人したことで,自宅からより近いところ(関西)でよいと思ったのだろう。それでも,実際に受験したことで,東京のその大学には強い魅力を感じてぜひ入学したいという思いがあったのを,妙にはっきりと覚えている。そして,合格の知らせが届いたときのことも,はっきりと覚えている。そして結局その大学に入った私は,そこで学部,大学院,助手,非常勤講師として,丸20年に亘って関わり,今でも強い愛着を感じている。
もし,そのときにオープンキャンパスがあったとしても,東京の大学にはわざわざ出かけられなかったかもしれない。そして,受験して,浪人していなかったら,その大学に特別な魅力(受験したからといって,その大学のなにがわかるわけでもなく,大学そのものというよりも,その大学のある町の活力のようなものや雰囲気が,私を捉えていただけなのかもしれない)を感じることもなかったのかもしれない。そのときにオープンキャンパスがあったとしたら,私の人生はまた全く別物になってしまっていた可能性が低くない。
そう考えると,どこでもやっているからというスタンスでオープンキャンパスを開催するのでなく,受験生の人生を変える力を持つ,またその責任も担うようなものにしたいと,強く思うのである。似たような大きさ,学力レベルなどなどの大学が少なからずあり,選択肢が増えている。そのような状況にあるからこそ,自分で実際に足を運ぶことで,ひとつひとつの大学の持っている固有の魅力を直に感じて,自分に合うと感じられる大学選びの手がかりにして欲しいと思う。
親和では幸いご参加いただいた生徒さんたちからも,ご父兄からも,比較的好ましい印象を持ってもらえている。大規模校のような大人数の参加ではないにせよ(きょうは400人足らず),その中から小さくない割合の生徒さんたちが受験してくれる。これからも,来ていただいた方々に,その日だけ特別に繕ったのでなく,日常の様子を知っていただきながら,親和に魅力を感じてもらえるようにと思う。
2008年8月28日木曜日
お待たせしました: 認定心理士
23日(土)に認定委員会が開かれて,ようやく神戸親和からの申請者の審査が完了しました。私のチェック漏れのせいか,2人の保留が発生しましたが,その他の44名については合格の判定が得られました。
保留の2名についても,再度の審査で合格となることがほぼ確実に予測されるような事例です。これまでこのblogで紹介していたような,研究法や実験実習など,履修した科目そのものに問題があるような理由での保留ではありません。ですから,今年度申請した方はすべて合格したと考えていただいてよいと言えます。書類を作成してから5ヶ月もかかってしまったのは,私のチェック作業が手間取ったことによるものです。できるだけ早くに合格通知が必要だった方にはこの場でお詫びを申し上げます。
もうひとつ,資格関係の話題。今年の日本心理学会(第72回大会)は9月19日から21日までの3日間,北海道大学で開かれます。この会期中に「心理職の国資格化の最近の動向と今後のゆくへ -どこに問題があるのか-」という講演会が開かれます。臨床心理士と医療心理師から成る,いわゆる2資格1法案以来の経過と今後の展望が扱われるようです。
ともあれ,認定心理士の資格取得,おめでとうございます。
保留の2名についても,再度の審査で合格となることがほぼ確実に予測されるような事例です。これまでこのblogで紹介していたような,研究法や実験実習など,履修した科目そのものに問題があるような理由での保留ではありません。ですから,今年度申請した方はすべて合格したと考えていただいてよいと言えます。書類を作成してから5ヶ月もかかってしまったのは,私のチェック作業が手間取ったことによるものです。できるだけ早くに合格通知が必要だった方にはこの場でお詫びを申し上げます。
もうひとつ,資格関係の話題。今年の日本心理学会(第72回大会)は9月19日から21日までの3日間,北海道大学で開かれます。この会期中に「心理職の国資格化の最近の動向と今後のゆくへ -どこに問題があるのか-」という講演会が開かれます。臨床心理士と医療心理師から成る,いわゆる2資格1法案以来の経過と今後の展望が扱われるようです。
ともあれ,認定心理士の資格取得,おめでとうございます。
2008年8月9日土曜日
ちょっと嬉しいこと
8月11日の月曜日が,親和の前期成績の提出締め切り。学生には常々締め切り前にきちんと計画を立ててと偉そうに宣っていながら,その実,自分はと言えば,学生時代から染みついた行動傾向から全く抜け出せずにいる。とても適応的とは言えないからこそ,学生にはそうならないようにという老婆心での発言とお許しいただければよいのですが・・・。
さて,レポートを読んで評価するのは,時に苦痛で時に楽しい。文字通りVRの弱化とVRの強化が平行して走っているような状態である。まあもうひとつ,評価して提出することが最終的な強化(この場合の好子は教務課の職員さんの微笑み,それとも仕事を完遂することに対する報酬であるはずの賃金?)を受けているのだろうけれど。尤も,その強化も,より主観的には,何もしないでいると教務課からの催促という嫌子が出現するから,嫌子出現の阻止による強化であると言った方がより正しい気もする。
などという他愛もないことを考えていたら,大学院の研究法特論の授業の感想(だからレポートの内容そのものではないけれど)で,好子をいくつも発見している。たとえば,Skinnerを誤解していた,Darwinに影響を受けていたことすら知らずにいた,さらには,私が授業中に喋った中で印象に残った言葉として,「単一被験体の行動生起頻度を観察することの重要性は、事実を事実として観察し、解釈はしないことにある」をあげてくれた院生もいた。
そうなのである。事実と解釈・意味づけ(さらには理論)とどちらがより重要かと言えば,そこに現実として存在する事実なのである。それに意味づけをして解釈すると,何となく立派になったような感じがして,感心してしまうことがあるが,さて,その意味づけや解釈によって,その事実が理解しやすくなるのだろうか,それとも・・・?
正直に言えば,このことは,私自身それほど昔から理解していたことではない。学生時代だったか院生時代にだったかに読んだSkinnerのAre Theories of Learning Nesessary?という論文(今から半世紀以上前の1950に出版された)に書かれていたにも関わらずである。
さて,レポートを読んで評価するのは,時に苦痛で時に楽しい。文字通りVRの弱化とVRの強化が平行して走っているような状態である。まあもうひとつ,評価して提出することが最終的な強化(この場合の好子は教務課の職員さんの微笑み,それとも仕事を完遂することに対する報酬であるはずの賃金?)を受けているのだろうけれど。尤も,その強化も,より主観的には,何もしないでいると教務課からの催促という嫌子が出現するから,嫌子出現の阻止による強化であると言った方がより正しい気もする。
などという他愛もないことを考えていたら,大学院の研究法特論の授業の感想(だからレポートの内容そのものではないけれど)で,好子をいくつも発見している。たとえば,Skinnerを誤解していた,Darwinに影響を受けていたことすら知らずにいた,さらには,私が授業中に喋った中で印象に残った言葉として,「単一被験体の行動生起頻度を観察することの重要性は、事実を事実として観察し、解釈はしないことにある」をあげてくれた院生もいた。
そうなのである。事実と解釈・意味づけ(さらには理論)とどちらがより重要かと言えば,そこに現実として存在する事実なのである。それに意味づけをして解釈すると,何となく立派になったような感じがして,感心してしまうことがあるが,さて,その意味づけや解釈によって,その事実が理解しやすくなるのだろうか,それとも・・・?
正直に言えば,このことは,私自身それほど昔から理解していたことではない。学生時代だったか院生時代にだったかに読んだSkinnerのAre Theories of Learning Nesessary?という論文(今から半世紀以上前の1950に出版された)に書かれていたにも関わらずである。
2008年8月8日金曜日
心理学(共通教育) レポート締め切りました
0:58のタイムスタンプのあったメールを最後に心理学のレポート提出を締め切った。送信直後に受領のメールを返信できないために,届いていたかどうか不安に感じていた学生が若干いたことについて,申し訳なく思う。
ざっと眺めた限りでは,とても丁寧に書かれたものから(わたしも昔昔,その昔,ときどきそのようなレポートを書いた記憶があるが),時間に追われてやっつけ仕事になったものまで,例によって多種多様である。
心理学は,一般にイメージされるものと,アカデミックな場所で実際に行われている学問としての活動とのギャップが,大きいものの代表だと思う。記憶している学生がいるかどうか,授業の一番最初に,心とは何かを自由に書いてもらったが,そこで書かれていた内容と,今回の課題で書かれた内容との変化を知りたいのが,課題の目的である。もちろん,とりわけ心理学科の学生であれば,心理学関連の授業はこれだけではないから,その変化をもたらしたものはこの授業だけではないが,少なくともその原因の一つではあるはず。換言すれば,私の授業が学生にどのような変化をもたらしたのかを知りたいのである。そして,望むらくは,その変化が小さくないものであって欲しいのではあるけれど・・・。
ざっと眺めた限りでは,とても丁寧に書かれたものから(わたしも昔昔,その昔,ときどきそのようなレポートを書いた記憶があるが),時間に追われてやっつけ仕事になったものまで,例によって多種多様である。
心理学は,一般にイメージされるものと,アカデミックな場所で実際に行われている学問としての活動とのギャップが,大きいものの代表だと思う。記憶している学生がいるかどうか,授業の一番最初に,心とは何かを自由に書いてもらったが,そこで書かれていた内容と,今回の課題で書かれた内容との変化を知りたいのが,課題の目的である。もちろん,とりわけ心理学科の学生であれば,心理学関連の授業はこれだけではないから,その変化をもたらしたものはこの授業だけではないが,少なくともその原因の一つではあるはず。換言すれば,私の授業が学生にどのような変化をもたらしたのかを知りたいのである。そして,望むらくは,その変化が小さくないものであって欲しいのではあるけれど・・・。
2008年8月4日月曜日
神戸松蔭 学習心理学Ⅰ レポート締め切りました

0:58のタイムスタンプのレポートを最後にレポート提出を締め切った。私の不注意で何度も確認メールを催促しなければならなかった方には,この場を借りてお詫びしたい。
さて,レポートの内容は,これはいつもそうだが,自分なりの考え方をまとめたものから,いくつかのページをそのままつぎはぎしたものまで様々である。後者については,文の表現が途中で変わっていたり,その他の理由で一見して,剽窃したものであることがわかる場合が多い。ちょっと怪しいなと思ったら,一つの文章を検索すれば,そのまま引用した(この場合は剽窃だが)ページがわかる。同じ使うにしても,引用を明示するなどすればよいのにと思うことしきりである。
感想にもいろいろと貴重なものがあった。私語に対する思いや,大学生のあり方に言及したもの,比較的否定的なものが多くあったのは,サンプリングの偏りなのだろうとは思う。ただ,今の大学は昔の大学ではない。少なくともこれはよいことなのだが,様々な理由で大学で学ぶことができなかった人が多かった昔に比べて,遙かに多くの割合の人が大学で学ぶことができている。たとえばこのページによれば,1960年から右肩上がりで上昇した大学進学率は70年代の半ばから90年代の初頭まで約25年の間,25%前後で推移していた。そして,その90年代初頭から再び右肩上がりになって,現在では40%を越えている。つまり5人に2人は大学,さらに短大,高専,専門学校を含めてしまうと70%を越えて,ほぼ4人に3人が,いわゆる高等教育を受けていることになる。さらに,同じページの下の方には,80年代半ばに3万人余りだった大学院への進学者も実数として約3倍に伸びていることが示されている(ちょっと見にくいが,右上の図がその変化を示したもので,画像をクリックすれば,より大きい図を見ることもできる)。
いまさらここに書くまでもないが,Martin Trowの言う,エリート型,マス型,ユニバーサル型の分類で言えば,日本の現状はすでにマスを越えてユニバーサル型に入っていると考えてよいだろう。一部にエリート教育が可能な大学はあるだろうが,誤解を怖れずに書けば,親和であれ松蔭であれ,他の多くの大学と同様にユニバーサル型の大学として存在しなければならないのが現状である。そこで,かつての大学のイメージを基準に現状を見ると,納得しにくい点がいくつか現れてくるのは致し方ない。かくあるべきという理想と乖離した現状を否定することは,そのような大学の存在意義自体を否定することに他ならない。そうでなくて,私たちがやるべきことは,現状をきちんと把握して,それがあくまでも「現状」であることを認識して,そこから出発することしかない。FDであれ,学生による授業評価であれ,第三者評価であれ,いずれも現状がどうかを理解して,そこから少しでもよい方向に向けるにはどうすればよいかを考える手段なのである。
回りくどい言い方になるが,私の学習心理学の授業でずっと私語が続いてしまっていたのは,学生の問題だけでなく,私自身の問題でもあるのだということなのである。後期(実はこの期に及んでまだ交代できないかと模索中なのだが)には,さしあたって座席指定(やるからには,教務にお願いするのでなく,前任校でやっていたように,私が毎時間座席指定)するしかないかと考えている。と,同時に,これまでの私なりの工夫では十分ではないと言うことなのだから,授業の進め方自体も,私が基本的に説明するというスタイルから,テキストを読みながら一緒に考えるなど,何か別の(ある意味で高校で学生が馴染んでいるだろう)スタイルに変えてみるのも一つの手段かと考えているところである。
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