2008年9月16日火曜日

フラストレーション

卒業や進級がかかっている年度で取得単位が不足しているとき,所定の手続きによって再試験を受験できる。これはどこの大学でも実施されており,実を言えば私も卒業をかけて再試験を受験したことがある。

話せば長い事ながら,私が大学と大学院を過ごした東京のある大学では,博士課程の入学試験に,文学研究科ということもあるのだろうが,第二外国語が課されていた。要は,英語,ドイツ語,フランス語,ロシア語,中国語などから2つを選択するわけである。3年生の時に卒論では動物実験をすると決めてから,大学院に進学しようと考えていた私は,3年生の時に選択する専門外国語をドイツ語にした。英語は日常的に読まなければならない状況にあったから,そうではないドイツ語(1年と2年の2年間はそれぞれ週に4コマずつあった)を継続しておこうと考えたためである。これらは特別な話ではない。

大学の教員は,教える,研究するという,一般にイメージされる仕事(好きでやっているから遊びと言えなくもないかもしれない)の外に,学内外での教務的な仕事がある。教室運営,学科運営などなど,最近は大学の宣伝など募集活動なども含めて,いわゆる「雑務」と呼びたい(けれどもとても大切な)仕事は少なくない。たまたま3年の専門ドイツ語を担当された先生が,前期終了後に学内の役職に就くとかで,後期から交代になった。その先生は1年間だけという約束で担当されたので,4年生の後期にはまた別の先生が担当となった。

問題は,私の動物実験である。オペラントの実験は毎日同じ時間に始めることが原則である。その原則を守ろうとすると,勢い出席できにくい科目が出てきてしまう。私は,考え違いも甚だしいのだが,卒論の実験をしていれば出席なんかどうでもよいと考えていて,4年後期のドイツ語に結局ほとんど出席できず,従って,試験もできず,見事に単位を取得できなかったのである。今でも記憶に鮮明な,山田先生にお話しに伺ったとき(卒論で実験してるんだから何とかしろという気持ちである),正当に評価するしかないから単位は認められない。卒業できなければ死ぬというなら,ここから飛び降りると交渉した過去の強者には,飛び降りてもらって構わないと話したという逸話も交えながら,それでも,再試験だけは受けられるようにしてやると温情をかけてくださった。温情というのは,再試験を受験するにも資格が必要なのである。たとえば40点以上の評価であるとかなんとか。

大学院修士の試験(2月下旬の1次,3月初旬の2次)を無事合格しながら,卒業をかけた試験を3月12日に受験しなければならなかった。出題範囲が何ページあったか記憶にないが,今でもはっきり覚えているのは,ひとりひとりに厳封された試験問題が配付され,隣に座った同じくドイツ語の再試験を受ける女の子と,開始の合図の直後に問題1が,その出題範囲の最初のパラグラフであることを確認して,思わず顔を見合わせてほほえんだことである。そのようにして,私は無事に卒業し,大学院に進み,そして中略で現在に至るわけである。

さてしかし,私がこれまでにドイツ語に限らず,外国語をあれほど集中的に勉強した時期というのは,その大学院の1次試験を終えて,ドイツ語の再試験を受験するまでの1ヶ月足らずを措いて外にない。博士課程のときにも,結構勉強して,最終的に瞬間最大単語力は3,000を越えていたと思うが(受験直後から,どこから消えていくのか,その単語力は今や枯れ木にわずかに残る病葉のごとしである),それでもそのときほど集中して勉強してはいなかった。

さて,時は流れて,大学の授業を担当するようになって,そうした再試験を受験する側でなく出題・評価する側に回ってしまった。そして,今回どうしても単位を認定できない場面に巡り会ってしまった。受験するときは受験するときで,とてもフラストレイティブな状況に置かれたが,それでも,今思えば,出題する側よりはましである。なせなら,きちんと勉強すれば結果は自ずと見えるからである。つまり,自分で結果をコントロール可能な状況なのであるから。一方,出題する側に立つと,出題して,あとは学生の努力を待つしかない。そして今回のように,どうしても認定できないような状況に至ってしまうと,やるせない気持ちをどうしようもない。

最近は,入学は比較的容易で,卒業が難しくなるという,文字通りアメリカ型の大学のあり方へとシフトしているが,これからこのような例をいくつか経験するようになるのだろうか。それでも,人間を含めて動物は自分の失敗からも学習するはずである。今回の躓きを教訓としてもらえれば,少しは気も楽になるのだが・・・。

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