2008年9月30日火曜日

心理学(共通教育) 早速の休講

秋学期が始まるのを待っていたようにして台風がやってくる。先週金曜日は全日全学休講。明日もなんとなく怪しい雰囲気だが,それは別にしても早速休講しなければならなくなってしまった。校務とはいえごめんなさい。

共通教育科目の心理学第2回は,性格と知能の話の予定である。先週のリアクションペーパーを読ませてもらっても,いわゆる,「人の気持ち」について研究したり考えたりするのが心理学であるという,ごくごくまっとうなイメージを多くの学生が持っていることが分かる。「ごくごくまっとう」なのだけれど,前回のブログにも書いたように,それだけが心理学ではないのだよ,さらには,授業で話す機会もあるかもしれないが,行動や表情からその人の気持ちを知ることができるようにという,いわゆる読心術のようなものからは遠く離れたものだということをわかってもらわなければならない。そして,だからこそ面白いのだということも。

性格心理学については楽しみにしていた学生が少なくないようであるだけに,早速休講にしなければならなくなったことを申し訳なく思います。また,授業の中で予告できないままに休講することについてもお詫びしなければなりません。尤もdeprivationがかかって,より楽しいものになってくれればちょっとは申し訳になるかな?

2008年9月28日日曜日

日本心理学会報告 その1

第72回日本心理学会に参加した。久々の北海道である。

なかなか具体的な研究が進まない状況でも,何とか共同研究の先生方のご協力・ご助言を得て,毎年ここでは発表を続けられている。卒論指導の学生が関心を持ったテーマを何とか形にしたいというのもその理由の一つである。今年度は,ウォーキングの効果についての発表。万歩計を持ち歩き,そこに表示される消費カロリーが強化子として働きうるかという素朴な研究である。結論には遠い中間発表である。

今年の発表は,実はそれほど本意でなかった。というのは,計画時点で予定していた手続きの半ばまでしかデータが取れなかったためである。それでも瓢箪から駒。あるいは予想外にと言ってもよいかと思うが,いくつかの貴重なご助言をいただくことができた。とりわけ,自分たちだけでは気づかないような視点を提供していただけることが何より好子として機能する。東京時代にお世話になった先生お二人,近くで発表されていた先生からは体験談を交えていくつか貴重なアイディアをいただくこともできた。私自身は,実はそれほど深い関心を持っているテーマではないのだが,今後このようなテーマに関心を持って卒論や修論をと考えている学生と,より興味深い計画を考え出す材料になった。この場を借りてお礼を申し上げたい。

ところで,話は学会のことからは離れるが,上述の先生のお一人にとても印象深いエピソードがいくつもある。その中のひとつで折に触れて学生に話すことをここにも書いておこう。

すでに大きな存在だったその先生の授業を初めて履修したのは,演習や実習系の複数担当の授業は別としてだが,大学院になってからだった。その授業の中で時折私にも質問されたというだけのことなのだが,それは,「自分はこれを知らないのだけれど,教えてくれないかな」というものだった。学生に自分が知らない,わからないことがある,それを教えてくれというのは,当時の私には想像のつきにくいことだったのだ。そのように学会全体をリードするような存在の先生であれば,何でもご存じで,学生に尋ねなければならないようなことはないのではないか,しかもご自分の専門領域と関連した内容であるのだから。

知らないことを知らないと言う,ごく単純なことなのだけれど,スゴイと言う印象を深くしたのである。もちろん急いで付け加えるが,そのように知らないと言えるのは,(おそらく)ご自分のきちんと理解されていることについて自信があるからだろう。考えてみるまでもなく,自分一人で考えが及ぶ範囲というのは無限でない,知らないことを知らないと言うことで,学問の前で(このような表現が適切かどうかわからないが)謙虚である,古典的にはアリストテレスの無知の知と通じる,研究者としての態度の基本を教わったのは彼からだった。

翻って,わかっていないことを何となくわかったような言葉で説明するetc...いやいや,それは自分にも当てはまることである。もういちどきちんとのその姿勢で向き合うことを考えるだけで十分である。

ワークショップ,もうひとつの共同発表,認定心理士の資格関連,北大の印象等々,追々時間を作って書いていきたい。

2008年9月25日木曜日

心理学 (共通教育) 第1回 始まってしまいました

長いと思っていた夏休みも終わって,いつの間にか朝夕には秋風がたち始めています。親和も長かった夏休みから,月曜日に秋学期のスタートを迎えました。

驚いたのは受講生の数。200名を越える学生を前に話すのは久々のこと。前任校も親和も比較的こぢんまりとした大学だから,こんなに多くの受講生がいるのは稀である。どうやら児童教育学科の学生が春学期に時間割の関係で私の授業も,もうお一人の先生の授業も受講できずに,この時間に集中しているようである。

心理学の授業の最初は,心理学は一般に考えられているようなものと少し違いますよというのがメッセージである。だから,できれば自分の思いに囚われずに,ちょっと変じゃない?という内容であっても,まずは受け止めて聞いて欲しいというのが,もうひとつのメッセージ。そして,心理学はとても面白い,いろんなアプローチの複合体ですよというのが,それに続いていく。

そして,それぞれの内容が,来週以降の時間で語られるというわけである。

これから先もそうだけれど,授業で使ったファイルはpdfにして,アップします。左のLINKSの「神戸親和 心理学 (共通教育)」をクリックして,必要なファイルをダウンロードして下さい。

2008年9月16日火曜日

フラストレーション

卒業や進級がかかっている年度で取得単位が不足しているとき,所定の手続きによって再試験を受験できる。これはどこの大学でも実施されており,実を言えば私も卒業をかけて再試験を受験したことがある。

話せば長い事ながら,私が大学と大学院を過ごした東京のある大学では,博士課程の入学試験に,文学研究科ということもあるのだろうが,第二外国語が課されていた。要は,英語,ドイツ語,フランス語,ロシア語,中国語などから2つを選択するわけである。3年生の時に卒論では動物実験をすると決めてから,大学院に進学しようと考えていた私は,3年生の時に選択する専門外国語をドイツ語にした。英語は日常的に読まなければならない状況にあったから,そうではないドイツ語(1年と2年の2年間はそれぞれ週に4コマずつあった)を継続しておこうと考えたためである。これらは特別な話ではない。

大学の教員は,教える,研究するという,一般にイメージされる仕事(好きでやっているから遊びと言えなくもないかもしれない)の外に,学内外での教務的な仕事がある。教室運営,学科運営などなど,最近は大学の宣伝など募集活動なども含めて,いわゆる「雑務」と呼びたい(けれどもとても大切な)仕事は少なくない。たまたま3年の専門ドイツ語を担当された先生が,前期終了後に学内の役職に就くとかで,後期から交代になった。その先生は1年間だけという約束で担当されたので,4年生の後期にはまた別の先生が担当となった。

問題は,私の動物実験である。オペラントの実験は毎日同じ時間に始めることが原則である。その原則を守ろうとすると,勢い出席できにくい科目が出てきてしまう。私は,考え違いも甚だしいのだが,卒論の実験をしていれば出席なんかどうでもよいと考えていて,4年後期のドイツ語に結局ほとんど出席できず,従って,試験もできず,見事に単位を取得できなかったのである。今でも記憶に鮮明な,山田先生にお話しに伺ったとき(卒論で実験してるんだから何とかしろという気持ちである),正当に評価するしかないから単位は認められない。卒業できなければ死ぬというなら,ここから飛び降りると交渉した過去の強者には,飛び降りてもらって構わないと話したという逸話も交えながら,それでも,再試験だけは受けられるようにしてやると温情をかけてくださった。温情というのは,再試験を受験するにも資格が必要なのである。たとえば40点以上の評価であるとかなんとか。

大学院修士の試験(2月下旬の1次,3月初旬の2次)を無事合格しながら,卒業をかけた試験を3月12日に受験しなければならなかった。出題範囲が何ページあったか記憶にないが,今でもはっきり覚えているのは,ひとりひとりに厳封された試験問題が配付され,隣に座った同じくドイツ語の再試験を受ける女の子と,開始の合図の直後に問題1が,その出題範囲の最初のパラグラフであることを確認して,思わず顔を見合わせてほほえんだことである。そのようにして,私は無事に卒業し,大学院に進み,そして中略で現在に至るわけである。

さてしかし,私がこれまでにドイツ語に限らず,外国語をあれほど集中的に勉強した時期というのは,その大学院の1次試験を終えて,ドイツ語の再試験を受験するまでの1ヶ月足らずを措いて外にない。博士課程のときにも,結構勉強して,最終的に瞬間最大単語力は3,000を越えていたと思うが(受験直後から,どこから消えていくのか,その単語力は今や枯れ木にわずかに残る病葉のごとしである),それでもそのときほど集中して勉強してはいなかった。

さて,時は流れて,大学の授業を担当するようになって,そうした再試験を受験する側でなく出題・評価する側に回ってしまった。そして,今回どうしても単位を認定できない場面に巡り会ってしまった。受験するときは受験するときで,とてもフラストレイティブな状況に置かれたが,それでも,今思えば,出題する側よりはましである。なせなら,きちんと勉強すれば結果は自ずと見えるからである。つまり,自分で結果をコントロール可能な状況なのであるから。一方,出題する側に立つと,出題して,あとは学生の努力を待つしかない。そして今回のように,どうしても認定できないような状況に至ってしまうと,やるせない気持ちをどうしようもない。

最近は,入学は比較的容易で,卒業が難しくなるという,文字通りアメリカ型の大学のあり方へとシフトしているが,これからこのような例をいくつか経験するようになるのだろうか。それでも,人間を含めて動物は自分の失敗からも学習するはずである。今回の躓きを教訓としてもらえれば,少しは気も楽になるのだが・・・。

2008年9月6日土曜日

いろいろ問題はあったけれど

7月下旬からのべ5日間の夏のオープンキャンパスが無事終了。始まってからわかった問題点も少なくなかったが,とにかく終了。昨年度よりも1割弱,参加者が増えたのはうれしいことであり,これまでと同様に,受験や合格した後の入学につながってくれればと思う。

オープンキャンパスが積極的に開催されるようになったのは,1990年代の後半になってからのようだが,高校生が自分の目で自分が行ってみたい大学を実際に知ることのできる機会があるのは悪くない。私が大学に入ったのは1980年代はじめだったから,もちろんそのような機会はなかったし,せいぜい受験する大学の受験場は下見しておきましょう程度の認識しかなかった。私が最初に受けた大学は東京都内の3大学4学科だった。幸か不幸かどこにも入れてもらえなかった私は,その翌年には,前の年には受けなかった関西の3大学3学部と,東京ではそのうちの1大学1学部だけを受験した。もうずいぶん前の話で記憶が定かでないが,浪人したことで,自宅からより近いところ(関西)でよいと思ったのだろう。それでも,実際に受験したことで,東京のその大学には強い魅力を感じてぜひ入学したいという思いがあったのを,妙にはっきりと覚えている。そして,合格の知らせが届いたときのことも,はっきりと覚えている。そして結局その大学に入った私は,そこで学部,大学院,助手,非常勤講師として,丸20年に亘って関わり,今でも強い愛着を感じている。

もし,そのときにオープンキャンパスがあったとしても,東京の大学にはわざわざ出かけられなかったかもしれない。そして,受験して,浪人していなかったら,その大学に特別な魅力(受験したからといって,その大学のなにがわかるわけでもなく,大学そのものというよりも,その大学のある町の活力のようなものや雰囲気が,私を捉えていただけなのかもしれない)を感じることもなかったのかもしれない。そのときにオープンキャンパスがあったとしたら,私の人生はまた全く別物になってしまっていた可能性が低くない。

そう考えると,どこでもやっているからというスタンスでオープンキャンパスを開催するのでなく,受験生の人生を変える力を持つ,またその責任も担うようなものにしたいと,強く思うのである。似たような大きさ,学力レベルなどなどの大学が少なからずあり,選択肢が増えている。そのような状況にあるからこそ,自分で実際に足を運ぶことで,ひとつひとつの大学の持っている固有の魅力を直に感じて,自分に合うと感じられる大学選びの手がかりにして欲しいと思う。

親和では幸いご参加いただいた生徒さんたちからも,ご父兄からも,比較的好ましい印象を持ってもらえている。大規模校のような大人数の参加ではないにせよ(きょうは400人足らず),その中から小さくない割合の生徒さんたちが受験してくれる。これからも,来ていただいた方々に,その日だけ特別に繕ったのでなく,日常の様子を知っていただきながら,親和に魅力を感じてもらえるようにと思う。