2008年5月31日土曜日

神戸松蔭 学習心理学Ⅰ第7回 パヴロフ型条件づけ(4): 信号機能

1回目の小テストを実施したせいか,これまで多いときで91名,少ないときでは80名の出席者数が,この日は97名になった。そのうち初めて出席した学生は3名。これをきっかけにして,継続的に出席してくれればと思う。

さて,小テストはまだ採点していないが,リアクションペーパーには,難しかった,全然だったというものから,けっこうできたとか,個人的に出題の方法がすきというものなど,様々な反応があった。ただ,出題する側の勝手な言い草を書いてしまえば,今回のように,学習の定義,条件づけの基礎過程の説明,それらの日条例は,理解してもらわなければ先に進まない話である。
人間の行動を記述して説明する際に,用いる基本的な用語だから,言ってしまえば,「学習心理学語」の基本単語。人間の様々な行動を記述して説明するというのは,喩えてみれば,私たちが日本語以外の言葉を使って,自分の思いや情報を伝えるようなものである。その言葉の基礎的な内容や使い方を知らなければできない相談である。授業でもまた言及するが,これを機会に,復習,確認してほしい。

今回のリアクションペーパーには,「テスト難しいです。もうちょっと時間をいただきたいです。授業もよくわかりません。もっと簡単に説明してください」,さらに,「A君はみるだけでどきどきするのは結局どーゆーことですか? サッカーは関係あるんですか?」という反応もあった。約束通りに,リアクションペーパーは,誰が書いたのかチェックしないから,これまでほとんど出席していなかった学生によって書かれたものか,それとも熱心に参加していた学生によるものなのかわからない。ただ,ここでも教える側の勝手な言いぐさを書いてしまえば,もっと早くに書いてほしいというのが正直なところである。小テストが思うように書けなくて,これまで書きたいのに我慢していたことを素直に書いたということなのかもしれないけれど・・・。

ちょっと困ったことが起こってしまった。というのは,問題1を無回答の答案がたくさんあること。実をいえば,昨年度も全く同じことが起こってしまっていたのである。答案を出すときになって気づいた学生もいて,そのときや授業直後にそんな話を聞いたり,リアクションペーパーに気づかなくて残念といったコメントもあったのだが,無回答の答案が予想以上に多い。昨年度もそのようなことがあったのを,まったく失念していたために,問題の書き方をもっとわかりやすくするのも失念していたのである。

次回の授業で返却予定だったのだが,念のために学生と話して,問1については正規の得点から除いて,いわばボーナスポイントのような扱いにすることを提案しようと思う。昨年度の親和での研究法のテストとはまた違った問題点だが,フェアであることを第一義にして善処できればと思う。

心理学(共通教育) 第8回 学習・行動その2

学習・行動の2回目というか,パヴロフ型条件づけの概観。獲得と消去でいっぱいいっぱいである。

今回話したような,また松蔭で話しているような,誰かを好きになるひとつのパターンでパヴロフ型を説明し始めたのはもう数年前になる。イヌの話でパヴロフ型,ラットやハトでオペラントのそれぞれ典型的な実験を紹介して,それを説明するために条件づけの言葉を用いると,学習心理学はヒトのことでなくて動物の話だと誤解してしまう学生が多くいるように感じられた(データはないが)のがそもそものきっかけである。けれども,昨年あたりから気づいたのは(そしてたぶん以前にもこのブログのどこかに書いたが),今度はパヴロフ型とは,誰かのことを好きになることと理解してしまう学生が少なからずいた。

学習心理学が日常的な人間の行動を説明するのに有効な手段であるばかりか,さまざまな応用場面においても人間を見つめる一つの視点を与えてくれる強い武器であることが伝えるというのが,まずは目標なのである。

2008年5月27日火曜日

5月29日 学習心理学 小テスト

このところ,アクセス数が急増している。と言っても,もちろん一般に言うものに比べれば1桁も2桁も少ないのだけれど,このごく限られた対象のためブログにすれば特筆できるここ2~3日である。

さて,そのアクセス数増加の理由の一つには,学習心理学の小テストがあるのかなと想像する。そのために少しでもとは思ったのだけれど,結局改めて書くべきことがない。以前に書いたものの繰り返しにしかならない。つまり,基礎的な用語についてきちんと理解できているかどうかについてのテストということでしかない。敢えて付け加えるとすれば(そして不公平が生じないように,試験当日にもアナウンスするが,採点方法は基本的に減点方式ではない。少しあやふやかなと思うことを書いて不正解だからと減点はしない。言い方は直截だがふたつでもみっつでも書いてみて正解があれば,それでOKである。

どうぞくれぐれも受験前から諦めてしまうことのないように。

2008年5月25日日曜日

グリーン・オープンキャンパス

日曜日のきょうは午前中からグリーン・オープンキャンパスと称した,AO入試の説明会。ミント神戸のサテライトキャンパスを会場に,AO入試を中心とした説明と個別の対応を行った。

幸いに30組近くの高校生,ご両親,高校の先生にお集まりいただくことが出来た。神戸近郊だけでなく,兵庫県内はもとより,高知県,香川県などからも参加していただいた。

以前にもAO入試について書いたことがあるが,学力試験がないことが主な理由なのか,一般にAO入試は簡単に入学できる手段と誤解されているような気がする。けれども,少しでも考えてもらえれば,たとえばセンター試験を通じての国公立の試験よりも,より丁寧な,ある意味で難しい試験形態であることに気づくことはそれほど困難でない。

話は飛躍するが,センター試験で受験校を決めることは,結婚相手を見つけるときに,その人がどのような人かが書かれた釣書だけを読んで,あるいは知り合いの誰かから話を聞くだけで決めてしまうようなものかもしれない。その人と自分との相性がどうか,実際に生活し始めたときにどのような問題が生じるか,どのように楽しむことができるかきちんと知らないままに結婚相手を決めるようなものである。そこでまず必要とされるのは,学力を磨くことである。自分と相手との関係がどうであれ,人間が持っている様々な能力のうち,学力を向上させなければ,思いを遂げることは難しい。また,AOと同様に専願である指定校推薦は,主に高校との信頼関係の上に成り立つ入試形態であり,AOのように,同じ学科の教員が複数ずつ3度に亘って面談・面接するのでなく,1度だけの面接で判定する。

誤解を招かないために,急いで付け加えなければならないが,そのような試験形態を否定しているわけではない。むしろ,ここで私が言いたいのは,一般に肯定的に受け止められている学力試験や指定校推薦などの入試形態に比べて,AO入試が軽視されすぎてはいないかという点である。

大学は,アドミッションポリシーを呈示し,親和であれば,ただ志願する生徒がそのアドミッションポリシーを満たしているだけでなく,入学後に学科を引っ張っていくような役割を期待する。今年度の心理の新入生はそのような役割をここまで十二分に果たしてくれていて,私たちが望むAO入試が実現できているのは嬉しい限りである。きょうの説明会を手伝ってくれたふたりの在学生はいずれもAOで入学した学生だが,高校生だけでなく,そのご両親などに対しても,きちんと自分が体験したことを自分のことばで説明できていたことに,私はあらためて感心した。そして,そのような学生をAO入試で選抜できていることをとても嬉しく感じることができた。

そのようなAO入試であるからこそ,本選好の最終面接に至るまで2度の話し合い(予備選考)を実施し,大学が望む受験生かどうか,受験生が望むことを大学が提供できるか,つまり,受験生の考えていることと大学が提供できることにギャップがないかをひとりひとりについて検討するのである。1度の学力試験で合否を判断するよりも,実はと言うまでもなく,AO入試は手間と時間をかけた選抜方法なのである。大学は様々な色を持った,個性を持った,目的を持った学生たちの集まる場所だが,親和には親和らしさ,言うならば私学であればどこでも持っているだろう「カラー」がある。私たちは,私たちが誇りに感じている,「親和カラー」を大切に受け継いでいきたいと考えている。そして,AO入試で親和を志す受験生は,その「親和カラー」を受け継ぐ担い手であって欲しいと期待しているのである。

きょうの初めての説明会で,親和を気に入ってくれた高校生が多かったのは私たちにとってはとても嬉しいことだが,ミントキャンパスだけでなく,鈴蘭台のキャンパスを訪れて,大学の雰囲気を知り,学科の複数の教員と直接に面談した上で,やはり親和に来たいという受験生がひとりでも多くいてくれれば,そして入学後に「ああ来てよかった」と満足してくれる学生がひとりでも多くいてくれればと願ってやまない。

2008年5月22日木曜日

教育実習

ゼミ生が教育実習でお世話になっている中学校にご挨拶に上がる。

高校へは,入試関係のご案内や模擬授業等で頻繁に立ち入るが,中学校の教室内に立ち入ったのはたぶん卒業以来ではないだろうか。教員が板書しながら授業を進めるスタイルは基本的には変わっていないように見える。また,誤解を恐れずに書けば,生徒たちがとてもまじめに授業を受けていたことに少し驚いた。校長先生が教室に入り,教育実習生が授業を担当し,また私のような部外者が見学に来ている状況では滅多なこともできないだろうが,お話によれば,生徒たちの授業態度は校長先生や私の存在とはあまり関係なく,十分まじめであるとのこと。

これまた驚いたのは,実習生が生徒たちに,「○○についてわかる人?」と質問すると少なからぬ数の手が挙がること。そういえばそうだったと思い出したことに,「前に出てきて黒板に書ける人?」という問いかけにも同じように何人もの生徒が入れ替わり立ち替わり反応していた。確か高校でも数学の授業で前に出て解答するなどということがけっこう頻繁にあったなと思い出した。

良くも悪くも大学の授業ではそのようなことが多くない。質問の仕方を工夫することで少しは変わるのかもしれないが,より積極的に参加できる授業ができればと感じた。

2008年5月21日水曜日

心理学(共通教育) 第7回 認知その4, 学習・行動その1

第7回目でようやく学習に半歩足を踏み入れたところ。第7回というと,シラバスでは学習が終わっていなければならない段階。白状すれば,前任校では心理学は通年の科目だったため,どうしてもそんなペースになってしまいがちなのである。共通教育,一般教養としての心理学は,単に心理学を概観するだけでなく,とてもとてもおもしろい(独立しているように見える各領域が有機的に関わり合っていたりする)。そのおもしろさがわかるには,各領域を単に概観するだけでは不十分なような気がするのである。

かといって,シラバス通りに進んでいないのはルール違反。2週で1領域から1.5週で1領域というような形にしないと,おもしろさを云々する以前の話になってしまいかねない。

もうひとつ申し訳なく思うことは,リアクションペーパーのひとつひとつにきちんと回答や言及できないことである。最近聞いた話では,私の知り合いの先生は300人を越える受講生に毎回記名式でリアクションペーパーを書かせて,その翌週にひとりひとりにコメントを添えて返却しているとか。私の授業では,自由に内容を書いてもらうために,コメントを添えることができないでいる。何かよいアイディアがあればよいけれど・・・。たとえば,このブログ以外のサイトを準備して,そこにコメントを載せるとか・・・。

きょうの授業のまとめを最後に。長期記憶の分類と人間の行動のほとんどは学習行動であることこの2点が理解できればOK。

ちなみに,授業の中で言及したMortyはこちらから

2008年5月16日金曜日

認定心理士書類チェック完了

一昨日届いた修正書類を再度修正して,3月末までに受け取った応募書類のチェックがすべて完了しました。確認の捺印と封を事務方にお願いして,週明けには発送できると思います。折り返し受領のはがきが届くことになりますから,もしこれから1ヶ月の間にはがきが届かない場合は,連絡してください。

予想以上に,修正をお願いした方からの返送に時間がかかってしまい,全体の発送が遅くなってしまったことについて,申し訳なく思います。

2008年5月15日木曜日

神戸松蔭 学習心理学Ⅰ第6回 パヴロフ型条件づけ(3): 消去過程

今日でごく基礎的な過程についての話が終了。興奮性条件づけ,抑制性条件づけ,般化,分化,高次条件づけ,そして3つの刺激とそれに対応する3つの反応。

きょうの話はごく単純な内容だったのだけれど,追加した方がよいかと思うことが二つある。ひとつは,獲得遅延テストのこと,もうひとつは条件づけが言及する範囲について。

きょうのリアクションペーパーには難しかったというコメント,とりわけ消去の理由(獲得遅延テストを使った説明)が難しかったというコメントが多かった。論理的な思考はよいとしても,実験のロジックについてある程度理解できていないと,きょうの実験やデータについて理解すること難しいかもしれない。研究法が重要である理由の一つでもある。

もうひとつの条件づけが言及する範囲というのは,授業の後で個人的に質問に来てくれた学生との話で気づかせてくれたことである。犬の話とか,Aくんの話とかいろいろ話すのはわかるが,条件づけって何なのかという(ニュアンスが違っていたらごめんなさい)質問である。条件づけはあくまで説明する手段である。一番重要なのは事実,そこで観察される事実,つまり私たちの行動である。犬の唾液分泌であれ,Aくんを見たときのどきどきであれ,それらは事実である。それを説明すると共通した原理で説明できるのだと言うことがわかってもらうべきこと,つまりパヴロフ型条件づけがどのような現象かがわかってもらうべきことなのである。

さて,来週(5月22日)は授業で予告したとおりに休講。現時点では補講の必要はないと考えている。翌々週(5月29日)が確認テスト。出題範囲は,パヴロフ型条件づけの3回分。行動のタイプとか科学とはという話については出題しない。基本的な用語とそれらの日常例が書ければ十分である。但し,持ち込みはすべて不可。10分から15分程度で解答できる内容を予定している。

再来週に向けて準備を頑張って下さい。

心理学(共通教育) 第6回 認知その3


この日から学習心理学の予定が遅れてまだ記憶が終わらず。記憶だけで1回半程度かかってしまっている。来週HM症例をベースとした長期記憶の分類から学習心理学に入る予定。

ハノイの塔の例は,図にあるパズル(Eduardo Lucasというフランスの数学者によって1883年に開発された)をHMという海馬摘出手術を受けたある患者が,その後選択的な記憶障害を発症したことを典型的に示す話である。そのパズルをやったこと,そのパズルをやるときに会った人などについては記憶に定着することはなかったものの,パズルのやり方はうまくなった(学習した)のである。ここから,記憶にはいくつかのタイプがあることなどが示唆される。その具体的内容については来週扱う。

2008年5月8日木曜日

神戸松蔭 学習心理学Ⅰ第5回 パヴロフ型条件づけ 獲得過程2: 般化・分化・高次条件づけ

とうとうやってしまった・・・。怒る前に,叱る前にやるべきことがまだあったのかもしれない。そしてこの後味の悪さ。そんなことは理想論だとわかっていても,多くの学生に関心を持ってもらえるような授業をすべきなのだろうと思う。自己弁護すれば何度かのプロンプトを呈示しても,行動に変化が生じなければ致し方ないと言い訳をしたくなってしまう。幸いなことに,リアクションペーパーでは多くの賛同をもらえてもいるし。来週以降の授業でのよい反応を期待している。

さて,きょうの話は般化・分化・高次条件づけ,そしておまけの実験神経症。紹介した日常例に近いことを少なくない学生が経験しているとのこと。その個別の事例から,さらに一般化した般化や高次条件づけの理解が進めばと思う。

かつて思ったことの一つにこんなことがある。パヴロフ型条件づけを理解してもらうためにきちんと統制のとれた犬を使ったパヴロフ自身の実験を紹介すると,それは犬の話であって人間とは関係ないでしょという反応がある。最近試みている,人がなぜ人を好きになるのかをテーマとしてパヴロフ型条件づけのことばで説明すると,そんな単純ではないという反応とか,逆に過度に一般化してパヴロフ型条件づけは誰かのことを好きになることなんだという,比較的短絡的な理解にとどまることがある。パヴロフ型条件づけに限らず,ほとんどの心理学が扱っている内容は,個々の事例についての個々の理解でなく,一般化されうる理解なのである。授業で紹介する事例だけでなく,多くの日常例を考えてもらうことですこしでもきちんとした理解が進めばと願ってやまない。

心理学(共通教育) 第4・5回 認知その1,2


4月30日に知覚の恒常性などを終わらせて,認知心理学のアウトライン(どのような領域があるかについての概観)を話す。連休を挟んで5月7日は認知の実質的な第1回としてパターン認知といくつかの記憶のデモ実験を話す。

リアクションペーパーを見るまでもなく,前回までとは学生の表情が違っているのが気がかりである。錯視などの知覚のデモを含めた話題は実感できる話だが,パターン認知は確実に人間の脳が行っている処理ではあるが実感できにくい内容になってしまう。心理学が扱う認識論はあくまでも実証的であるが,古来人間の持っている外界を捉える働きについての疑問は直観的な不思議さを内包しており,その不思議さは残念ながら実証できない。私が見ている世界と別の人が見ている世界とはおそらくは同じものなのだろうが,同じであることを実証できるのは,あくまでも操作的なレベルである。

外界の知覚はまだ操作的に理解できる範疇にあるのだろうが,私があまり好まないことばの一つである,「私も同じ経験をしましたから,あなたの気持ちがよくわかります」となると,クエスチョンマークの数ははるかに多くなってしまう。同じ経験というのがまずわからないし,何かを基準として同じ経験をしたからといって,そこで生じている感情的な変化が人間を越えて同一であるかどうかとなるとさらにわからない。

心理学で扱っている内容とは離れてしまうが,知覚や認知の問題はこのようなごく基本的な内容についての疑問を提起しているからこそ面白いと私は思うのである。そして,それは赤ちゃんがどのようにこの世界を認識しているかという知覚発達や認知発達の問題も提起する。授業では紹介していないが,山口 真美・金沢 創(編) (2008). 知覚・認知の発達心理学入門―実験で探る乳児の認識世界 北大路書房,同じ山口先生による新書,下條信輔 (2006). まなざしの誕生―赤ちゃん学革命 新曜社など,興味深い著書も少なくない。授業の中で扱われる内容をきっかけにして,興味を広げてもらえれば嬉しいのだけれど・・・。

2008年5月2日金曜日

オンとオフ

世の中はゴールデンウィーク真っ只中。常々思うことの一つに,こんなことがある。

日本の町並みはばらばら,でもそこで動いている人たちの思いや活動は似通っている。欧米の一部の町並みは統一されている,でもそこで動いている人たちの思いや活動はばらばら。

周囲が何をしているかは常に自分の行動を律するための規範であり続けている。行動分析学で言うところのルール。あるいは,実際に働いている阻止の随伴性,最後に働いている好子・嫌子はもちろん社会的なもの。自己主張することを強化する社会・文化と,何となく周囲がやっていることからはみ出ることを弱化する(正しい言い方ではないけれど,受動的な回避行動を強化する)社会・文化との違いがそのエッセンス。

だからといって,欧米の社会や文化をよりよいと結論づけるまでの確信は無いけれど,折に触れてそんなことを感じてしまう日本の社会・文化にある生きにくさを痛感する人は少なくないはずなのだけれど・・・。

きょうの2回生のゼミは出席率が低かった。私が学生だったとしたら(但し,今の時代の学生だとしたらちょっと違っているかもしれないが),今週の月,木,金の3日は必ずや大学には出席していなかっただろう。授業以外に大切なことは山ほどある。時間が許すからこそできることもある。カレンダー通りに活動しなければならない窮屈さを,それでも周囲がそうしているからという理由で否定してしまうのは,大学に4年間しか在籍しないほとんどの学生にはとてもとてももったいない気がするのだけれど・・・。

こんな書き方をすると,どこかからお叱りを受けるのではないかしらという思い(経験から学習した行動の随伴性である)に抗っている自分をちょっとだけ誉めてやりたい。

神戸松蔭 学習心理学Ⅰ第4回 パヴロフ型条件づけ 獲得過程1

3度目ならぬ4度目の正直で,今年度初めての晴れの木曜日。そして,本題の条件づけの話に入っていく。

パヴロフ型条件づけは,古典的条件づけ,レスポンデント条件づけと呼ばれることもある,自律系の反応の学習の基礎過程であると同時に,近年は情報獲得の基礎過程としても扱われることがある。きょうのリアクションペーパーを読む限りでは,私の例示の仕方が望ましくなかったようで,オペラントとレスポンデントとが混同されたままのように見える。これについては,次週まず確認する予定。

「パヴロフの犬」という表現は人口に膾炙しているものの,きわめて機械的で人間の行動の基礎原理として考えるにはあまりに単純すぎるという意味を含んでしまっているように思える。一般に例示される,唾液分泌や瞬きといった反応だけでなく,感情や情動という,一般にこころの働きを考えたときにまず最初にイメージされる働きにも,大いにかかわっていることにもきづいてほしい。最初は,例示した内容から,オペラントもレスポンデントも混同してしまっても致し方ない,というよりも,日常的な私たちの行動を厳密に二分して,どちらか一方だけしか関わらないものを考えることの方が実は難しいのである。