2008年10月24日金曜日

学習心理学Ⅱ第4回 阻止の随伴性(復習)・2つの条件づけ

リアクションベーバーにあった随伴性についての説明をしていたら,今日の予定まで届かず。それでも,復習ができてよかったというコメントが多数あった。また,ハトのTURN/ PECKの弁別,スキナーによるハトの回転行動のシェイピングのビデオなどに面白かった,驚いたなどのコメントもまた多かった。話を聞くだけでなく,こうしたビデオには予想以上の反応がある。

しかし,随伴性を説明していると,自分もきちんと理解できていないことや気づかずにいたことがわかってくる。きょうの随伴性の例でも,何が好子か嫌子かは全く個人的なことだから,単にある状況でこんな行動をしたらこうなったというだけでは,その行動が強化されたのか弱化されたのかすらわからないことがある。また,単一の随伴性でなく,同一の行動に複数の随伴性が働いていることもよくある。こうしたことは,ちょっと考えてみれば当たり前なのだが,新しく学ぼうとする学生には理解を妨げる要因となっていることにあらためて気づかされてしまう。

来週の授業で再度再度簡単な復習をする予定だが,そこで記述されている日常的な行動を行動随伴性で理解するポイントは以下の4点である。

まず,ターゲットとなっている(扱うべき)行動を特定する。
その行動が,その随伴性によって生じやすくなるか(強化),生じにくくなるか(弱化)を判断する。
その行動が生じたときに,直前条件・直後条件の変化があり,生じないときにはその変化がないか(反応強化子随伴性),それとも,その行動が生じたときには変化がなく,生じないときに変化があるか(阻止の随伴性)を判断する。
強化や弱化を生んでいる好子,嫌子を特定する。

この4点は,授業で何度も扱っている直前条件,行動,直後条件のダイアグラムでより視覚的に捉えることができるだろう。

授業でも予告したが,再来週(第6回)に小テストを実施する予定である。成績への反映は20%。20点満点で評価する予定である。

心理学(共通教育) 第4回 知能


駆け足で終わらせた知能。性格と同様に,一般に考えられているものとは異なるのだということがわかってもらいたいことの本質である。とりわけ,IQが頭の良し悪しを表現するものでなく,そもそも知能検査が開発された本来の目的が何であったかをきちんと理解することはとても重要なことである。

画像に示したグールドの「人間の測りまちがい」には「差別の科学史」という副題が添えられている。古生物学者,進化生物学者,そして科学史家であったグールドには,サヴァンの息子がいたことも,こうした痛烈な論評を加える一因となっていたのかもしれない。グールドの主張を全面的に肯定することができるかどうかは議論の分かれるところだろうが,性格や知能といった,人間を何らかの形で測定することが,その使われ方によっては,誤解や偏見を生む危険性があることを,心理学を学んだ学生にはきちんと理解して欲しい。

2008年10月16日木曜日

学習心理学Ⅱ第3回 阻止の随伴性・2つの条件づけ

きょうもつくづく感じた,ホントに授業中に発言することが苦手な学生が多いのだなということ。きっと発言するのが嫌でマイクをどんどん渡してしまっていたのだろうと思いつつも,ちょっと苦言を呈してしまった。レスポンデントとオペラントの区別,しかも比較的曖昧で両方が関わっているようには見えない例で「わからない」を意味するマイクのパスが連発してしまったために。わかっていたのに発言しない理由もわからないではないのだけれど,そうした社会的な随伴性,しかも後々学ぶルールに近いような随伴性によって制御されていることの空しさ?を理解して(しかもその場合は嫌悪統制だ),より正の強化で自分を解放して欲しいとつくづく思う。

きょうのアンケート(発言,リアクションベーバーのよいコメントへの加点)でも,発言に加点することには消極的な学生が多く(発言したくても苦手に感じるというのがその主だった理由),コメントについては比較的積極的な学生が多かった。中学,高校までにどのような社会的随伴性が働いていたのだろう,そして今も働いているのだろうと,何だか胸が苦しくなる。受動回避的な随伴性(つまりは正の弱化,そしてルール支配)が強くなければよいけれど。

さて,先週の約束通り,阻止の随伴性のファイルをアップしました。左の「神戸松蔭 学習心理学Ⅱファイル」をクリックして,ダウンロードして下さい。

心理学(共通教育) 第3回 性格その2

いつも冗談のように言う話がある。夏は勉強するには暑すぎる。冬は寒すぎる。春と秋は勉強するには天気がよすぎる。きょうの授業時間などはその典型である。ちょうどおなかが大きくなって,外には秋の日差しが降り注ぎ,難しい話を聞くには暖かすぎる部屋の中・・・。

そのような状況で眠る学生と眠らないで話を聞く学生。さてそれは「性格」の違いによるものなのでしょうか???

私たちが,日常的にあの人は,この人はと,形容するとき,その説明の手段・視点は気ままなことが多い。性格はそのような行動を説明する手段・視点の代表的なものなのだろうが,上に挙げた例では,さてどれくらいの人が,それは「真面目な性格だから」「不真面目な性格だから」などと,性格によって説明しようとするのだろうか。おそらく多くの人が「部屋の中が暖かくて,ちょうどお昼ご飯の後で」といった状況によって説明するのではないだろうか。

そこには,このような状況だと「ふつうこうする」という行動であれば,性格でなく状況で,「ふつうこうする」という行動が思い当たらないときには,またそこで取り得る行動が多様であれば状況でなく性格で説明しようとしているのかもしれない。もしそうなら,その2つの手段・視点の境界線はどのあたりにあるのだろう。そしてそのような使い分けをどのようにして私たちは学習するのだろう。

ここに書いたことも,前回同様,何となく日常的に行っていることをきちんと説明しようとすると,けっこう難しいという話になってしまいそうである。きょうのリアクションベーバーにも,性格とかには興味があるけど,ちょっと難しいという反応が多く見られた。そこで,単に何かを教えてもらうのでなく,なんだか難しそうだけど面白そうだなと,自分で調べる,考えることをし始めてくれれば,こちらの思うつぼなのだけれど・・・。

前回,今回と2回分の性格についてのスライドをアップしました。左のLINKSの「 神戸親和 心理学 (共通教育)」からどうぞ。

それから授業で報告し忘れていて,きょうの授業の後で直接質問があったのだが,レポート・試験の選択については,後者の方が希望者が多いので,最後の授業(補講期間中になると思う)に試験することとしたい。これについては,来週の授業でアナウンスする予定である。

2008年10月10日金曜日

学習心理学Ⅱ第2回 阻止の随伴性

前期の授業アンケートから,十分に理解ができていない可能性を考えて,当初の予定を変更して,阻止の随伴性から始める。

若干名,この話が一番難しく感じたというリアクションペーパーもあったが,おおむね,前期の復習をふまえて,自分たちで考える時間を作った試みは,多くの学生にとっては,好ましい方法だったように感じられる。中には,私の日常生活では,阻止の随伴性によって説明できるものがとても多いように感じたといった反応も見られた。日本的な文化の特徴である気配りのようなものは,阻止の随伴性とルール支配によって説明できるのではないかと考えているが,そのような印象を持った学生も少なからずいたようである。

授業評価の扱いは難しいが,今回の学習心理学Ⅰでの反応は,少なくとも前期と同じやり方で同じように進めてしまうと,前期をふまえた内容であるだけに,その結果が望ましくないものになるということが,容易に予想できる。そして,授業評価をもらえていなかったら,そのようになってしまっていたかもしれない。話す側,参加する側の双方が,少しでも満足できるように変えていくきっかけとヒントを与えてくれたものと考えたい。

この日に扱ったスライドは,阻止の随伴性が終わってからアップする予定である。

2008年10月8日水曜日

心理学(共通教育) 第2回 性格その1

性格はおそらく,臨床系の話と並んで,一般に最も心理学としてイメージされやすいものだろう。だから,いつのころからか,一般教育や概論などでまず最初に扱うようになった。多くの教科書には,知覚や認知,あるいは生理的な内容から始まることを承知の上である。

理由もいくつかある。まず,心理学のイメージに近いだけに,聞き手が入りやすいと感じること。次に,イメージだけでなく,多くの学生が関心を寄せているテーマであること。そして,これが最も大きい理由なのだけれど,そしてこのblogでも何度か書いてきたことなのだけれど,日常的にわかっていると感じていることをきちんと説明しようとすると,結構難しいことを,おそらく実感してもらいやすいとかんじるからである。

まあ,こんな書き方をしてしまうと,また難しい話になって・・・と,叱られそうだけれど・・・。

きょうの授業では古いバージョンのTEGを実施して,質問紙法でどのように性格を測定しているのかを体験してもらった。授業で使ったスライドは,次回一区切りついてから,あらためてアップする予定である。

2008年10月7日火曜日

2つの模擬授業

共通教育の心理学を休講にして出かけた,兵庫県内のA高校,そして松蔭の授業の後で出かけた京都府内のF高校と2日続けて,高校2年生を対象とした模擬授業に出かけた。

いずれの高校での授業も,とても充実した時間になった。A高校では20名前後が2クラス,F高校でも25名程度の参加者だったが,50分程度の時間に私語も居眠りもなく,とてもまじめに,また積極的に反応しつつ聞いてもらえた。

話の内容はいつもと変わらない。心理学という学問が,非常に広い領域やアプローチを持つものであること,一般的に考えられているかもしれない心理学のイメージとは異なる側面を多く持つこと,日常的なあちこちに心理学の研究テーマが隠れていること,そして,心理学がとてもおもしろい学問であること。付け加えて,心理学を学んで大学を卒業した後のイメージである。

大学にもよりけりだろうが,親和でもほとんどの学生は心理学を学んで一般企業に就職する。どこまでが心理学を生かした仕事をしているかは残念ながらわからないが,そこで学んだことを役立てられるかどうかは,おそらくは当人次第ではないかと思う。

これは高校の先生方から時折耳にする話だが,大学で学ぶことはそのままその学問を生かした仕事をしなければならないと考えている高校生が少なからずいるとのこと。昔のような,教養としての学問をここで引っ張り出してくるほどずれているわけではないが,それでもそうした考えが,ある種専門学校のような学びと仕事とがそのままの形で繋がっている形態のイメージに基づいており,大学での学びを正しく理解していないためであると言わざるを得ない。

資格偏重は,現代の学生の社会で戦うための手段として認めてあげなければならないのだろうが,現在国家資格をひとつも持たない心理学は,そうすると,全く学ぶに値しない学問になってしまいかねない。そうではなく,何かがわかること,何かを知ることという,哲学,科学の原点に戻って,心理学に限らない多くの学問の楽しさを,このような高校での模擬授業で伝えることができればと思うのである。

学習心理学Ⅱ 第1回 オリエンテーション

松蔭も10月2日から後期の開講。きょうは,前期のまとめと今期のオリエンテーションで早めに終了する。

前期の授業評価がメールボックスに入っていて,ざっと目を通したが,予想以上に厳しい評価だった。難しい,意味が分からないといったコメントが並んでいる。またほとんどの評価項目で平均値を望ましい項目では下回り,望ましくない評価項目では上回った。とりわけ,難易度の評定は,平均値を大きく上回っていた。

それでも,これらの評価をそのまま受け取るのに保留したい理由がふたつある。

ひとつは,きょうの授業の学生の受講態度である。前期あれほど苦慮した私語がきょうはほとんどなかった。それがなぜなのかがわからない。そしてこうした受講態度が継続することで,少なくとも前期のような不幸な状況になることはないと楽観したいためである。

もうひとつの理由,そしてより大きな理由は,こうした評価が,これほど厳しい評価はなかった昨年度から,授業内容も方法もほとんど変化がなかったことである。つまり,ほぼ同じ内容の授業をほぼ同じような方法で授業をして,授業評価だけが大きく変化したと言うことである。

その変化の責任を学生の側にその責任を押しつけてしまうのは,けれども,あまりに安易にすぎるだろう。むしろ,この授業の中で,教員と学生との関係が(他人事みたいな書き方になってしまうのを許して欲しい),悪い方向に動いてしまったのを,止められなかったのは私の責任だと受け止めたい。そして,そのような望ましくない関係から,このような厳しい評価が下されたと考えるのが,おそらくは最も妥当な判断なのだろう。

そう考えると,今日の授業が静かに進んだのは悪くない兆候ではある。ただ,後期の内容はあくまでも前期の内容をふまえた上,理解した上でしか,成立しない議論なのである。復習の時間を予定より長く割くことで,また,いくつかの現在考えている授業方法の変更で,何とか後期の授業が望ましい方向に進むようにと考えている。