2008年12月24日水曜日

またいい本が出ました

舞田竜宣・杉山尚子 (2008). 行動分析学マネジメント: 人と組織を変える方法論 日本経済新聞出版社

応用行動分析を中心とした,行動分析学の臨床系の本がこのところ多く出版されるようになってきた。そんな中で,島宗理先生(現法政大学)のパフォーマンスマネジメント以来,行動マネジメント系のよい本が出版されました。

集英社新書の行動分析学入門も版を重ねているとお聞きしたが,この本もそうなりそうである。目次を見れば一目瞭然,架空の会社を想定して現実場面における問題の捉え方,介入の方法の具体例を紹介しながら,強化,弱化,消去,スケジュールなどから,確率操作,ルール支配,トークンまで,行動分析学の基礎を学ぶことができる。

ビジネスの世界なんか私には関係ないと,最初からルールを消去の弁別刺激にしないで,ぜひ手にとって目を通して欲しい。

12月12日のコメントで紹介した2冊は現時点で吉野が借り出しています。ご希望の方は図書館または吉野まで直接ご連絡ください。

2008年12月18日木曜日

初めての島根,121年めの親和


これまで日本の中で訪れたことのない都道府県が5つ。そのうちの一つが島根県だった。過去形にしたのは,今週の頭に高校訪問の仕事で初めて足を踏み入れる機会に恵まれたから。

親和でも,地方での入試会場を準備している。一般A方式の初日,1月28日が最も多く,本学(鈴蘭台キャンパス)・三田・姫路・豊岡・大阪(梅田)・岡山・広島・米子・高松・松山と10会場である。一般入試の受験者の動向を知るべく,親和の学科関連の受験希望者を耕すべく,また,推薦入試の受験者のお礼を伝えるべく高校訪問を実施中なのだが,その一環として松江から大社,出雲,雲南,米子をひとまわりした。

ちょうどこれから一般入試の希望などについて生徒と話すという高校もあれば,私立は主に推薦での入学希望が多く,センター試験や一般入試は国公立を目指す生徒が多いという高校もあり,当然ながら様々である。

親和は,今年で創立121年を迎える。兵庫県内で現在大学を有している学校法人の中では,神戸女学院,聖和に続いて3番目に古い歴史を持っている(ちなみに,その次は関西学院)。ふと気づいたのだが,親和を除くこれらの学園はすべてミッション系であり,日本人が日本人のために,特定の宗教に基づかないで開いた学園としては親和が一番古く,以来,主に地元に密着する形で親和はその歴史を刻んできたことになる。そして,神戸から兵庫県内,近隣の府県へと翼を広げようとしているのである。そうした歴史の一翼を担えることを,誇りにも感じつつ高校の先生方とお話しさせていただいているのである。

たまたま,私が訪問した火曜日は本当に一日中光に満ちあふれた,しかも穏やかな天候に恵まれた。ここに掲げたのは,ようやく夕方になってから少し気分的な余裕ができて撮影した大山の様子である。このときにはすでに安来から米子へと車を走らせており,鳥取県に戻ってはいるのだけれど。山陰からひとりでも多くの受験生,そして入学生を迎えることができればと切に思う。

2008年12月15日月曜日

心理学(共通教育) 第10~11回 知覚

いつも楽しんでもらえる知覚。現象として面白いけれど,それを説明するとなると難しい。難しいからこそ面白いところもあるのだけれど・・・。

まあ,心理学が,一般に考えられているようなものでなく,しかも面白いものだということを実感してもらいやすいテーマであることは確か。

だからというわけでもないが,11月に入ってから4回(そして明日もう1回予定されている)高校での模擬授業や進路相談などでも,自分は学習心理学が専門だというのに,その専門よりも,知覚の話を好んでする。それをとっかかりにして,心理学の基礎的な研究のおもしろさに目覚めてくれればこんな嬉しいことはない。

しかし,1番面白いのは,そのような自分でも気づいていないようなことをごくごく日常的に繰り返して,それをちょっと振り返っておもしろがったりする,人間そのものなのだけれど・・・。

学習心理学Ⅱ 第11回 社会的行動

選択行動の前に,社会的行動を扱う。言語行動のエコーイックとの関連が高いと考えたためである。リアクションベーバーによれば,むしろ,Banduraのボボ人形の実験の方がインパクトがあったみたい。子どもたちに,そのようなビデオを見せることの影響を考えると,R12とかR15とかの必要性がわかると書いた学生もいた。

善悪や倫理的な感覚についても,学習が大きな役割を果たしていることに,これとの関連で気づいてくれればとも思う。何がよいことで,何がよくないことで,何が社会的に受け入れられることで,何がそうでないかといった,獲得してしまった後では,当然と感じてしまう,そして言語的にも説明することの難しいこうした感覚も,辿ってみれば,学習によっていることに気づいてもらえると思う。

ずっと更新していなかったために,授業で使ったファイルのアップも滞っていました。12月11日の授業で配布した授業内レポートについての説明もアップしました。レポート課題については,当日配布した手書きのものと異なっていますが,内容は同一です。

2008年12月12日金曜日

臨床心理学概論

臨床心理学概論を12月2, 9日と2回担当する。内容は行動療法。それに伴って,科学,エビデンスベイストなどの話をする。

おそらくはこうした概念は1回生にとってみるとなじみのないものだろう。もともと医学も臨床心理学も,患者さん(様),クライエントさん(様)の問題が解決に向かうことを目的とするものであり,科学的な説明としてより信頼性や妥当性があるということは,副次的な目的に過ぎなかった。けれども,科学的な,知ることのできる範囲が広がるにつれて,もともと知ることだけが目的であった科学も,必然的に応用や社会的な還元を求められるようになっている。

エビデンスベイストという概念が提唱されるようになったのが,20世紀の最後の10~15年くらいであったことは,ある意味,驚きである。医学だけでなく,心理療法においても,エビデンスベイスト心理療法という呼称が使われるようになってきたのは,もちろんそれより遅れてのことだった。

ただ,精神医学の領域と同様に,心理療法でもエビデンスベイストという概念を持ち出すことが,必ずしも容易でないのは,証拠のレベルをどのように設定するかという問題とともに,今後も議論が必要である。

おそらく,認知行動療法を含む行動療法は,心理療法の中でも,アプローチとしてできるだけ科学的であろうとする最右翼である。当初,このようなアプローチに対しては,学生からの「気持ち」の問題を大切にしていないなどという反発を予測していたのだが,たとえばパヴロフ型条件付けによるパニック障害の説明などをすると,私にも似たような経験があることを少なくない学生が感想に書いてくれる。

心理療法がまだまだ発展途上にあることから,心理学の基礎と同様に,さまざまなアプローチがあることをまずは知ってほしいというのが,さしあたってのメッセージである。

授業中に紹介した,もともとは臨床心理の専門家でもなんでもなかった,自閉性障害の子どもさんを持つお父さんが出版されている本を,冒頭にあげておいた。

藤居 学・神谷 栄治 (2007). 自閉症―「からだ」と「せかい」をつなぐ新しい理解と療育 新曜社
藤居 学 (2008). 自閉症の子どもと家族の幸せプロジェクト―お父さんもがんばる!「そらまめ式」自閉症療育 ぶどう社

いずれも,親和の図書館に配架されていなかったので,購入依頼を出しておいた。

2008年12月10日水曜日

学習心理学Ⅱ第9,10回 言語行動・ルール支配行動

11月27日と12月4日の2回で,言語行動とそれに関連するルール支配行動を扱った。

言語行動は一般的に,ヒトに特有のものと考えられることが多いが,いわゆる文字言語を含めて,他者とのコミュニケーションがその機能の中心であることを考えたとき,特有でなくなることに気づくことはそれほど難しくないだろう。たとえばアイヌ民族のように,ヒトであっても文字言語を持たない文化がある一方で,ミツバチやイルカなどのように他個体に情報を伝える方法を持っている動物がいることもよく知られている。

行動分析学から言語行動を見つめたときの何よりの特徴は,言語行動も他の一般の行動と同様に(ということは,ラットがレバーを押したりハトがキーをつついたりするのと同様に),獲得され,維持され,抑制されるということである。マンド,タクト,エコーイックと分類される獲得・維持過程だけでなく,そうした言語行動を分析することによって,操作的に「意識」の分析ができるということである。

2008年11月26日水曜日

学習心理学Ⅱ第5~8回 弁別刺激・刺激性制御

学習心理学の方も,このブログで触れるのは久々になってしまった。この間,小テストの実施,11月初旬には私の都合で休講もあった。とりあえず,この間に授業で扱った,弁部刺激または三項強化随伴性と,刺激性制御のファイルを挙げておく。

11月13日に第1回小テストを実施した。そしてその翌週20日に返却し,解説した。この解説と個別対応のために時間がかかってしまい,予定していた授業内容に進めなかったことについては,私の対応のまずさが原因と,反省している。

心理学(共通教育) 第5~9回 発達・学習

第5回から第9回までの発達と学習のファイルを1度にアップしました。ファイルは発達のものと学習のものと別々になっています。

学習心理学者,しかもちょっと「古いタイプ」と分類されてしまうような学習心理学者である私にとって,発達や,次回以降に扱う感覚・知覚などのやはり「古典的な」心理学の領域がずっと継続的に維持されているのを横目に見つつ,学習心理学者を自称することに何となく気がひけてしまうような状況になってしまっているのは残念至極です。

発達と学習は,人間を形作る基礎的なふたつの過程であることに変わりはありません。ちょっと難しく書けば,Skinnerが言う3つの水準での「変異と選択」(このブログのタイトルそのままです)のうちの,系統発生あるいは種に働く水準として発達過程は人間が一般的にどのように年齢と共に発達していくかを記述するのに対して,発達をベースに,個体発生や行動に働く水準として学習過程は,ひとりひとりが経験・つまり環境との関わりによって変化していくかを記述的・予測的に「個性を形作る過程」としてあることに,基本的にかわりはありません。発達も学習もそれぞれが,(誤解を怖れずに言えば)表層的な人間のありようを扱う領域と違って,根本のところで人間を理解する視点であるために,心理学の中ではずっと中心的な位置を占めるものであるはずなのだとは思うのですが,最近の「学習」の軽視のされ方は何とも言いようがありません。これについては,別のところで触れた拙文もありますので,もし興味があればご一読いただければと思います(このリンクは2008年11月26日現在生きています)。

きょうはたまたま大島剛先生の発達心理学概論の授業で,表象をキーワードに,保存,頭足人,心の理論(これについてもまた議論はさまざま)といった,重要な概念について,概観していただいていた。私が扱った発達にせよ,学習にせよ,本当にそれは入口から2~3歩だけ足を踏み入れただけに過ぎなくて,じつはその先にこそ,本当に面白いことが待っていると言いたくなってしまうのはいつに変わらぬことである。ならば,最初からその先の面白いことを聴かせてくれと頼まれてもそれはできない相談。なぜならば,入口できちんと言葉や基本的な概念を理解していなければ,その先に待っているもっと面白いことはとても理解できないからなのです。意地悪という非難の声が聞こえそうですが,決して「意地悪」ではありません。

長い休止のお詫び

全く更新せずファイルもアップせずの日々が続いてしまいました。

授業で配布するプリントも翌週以降は配らない言い訳は,このページからオリジナルのファイルをダウンロードできるということであるにも関わらず,申し訳ない日々が続いてしまいました。

これからまた順次アップしていきます。とりあえず,お詫びのコメントを。

2008年10月24日金曜日

学習心理学Ⅱ第4回 阻止の随伴性(復習)・2つの条件づけ

リアクションベーバーにあった随伴性についての説明をしていたら,今日の予定まで届かず。それでも,復習ができてよかったというコメントが多数あった。また,ハトのTURN/ PECKの弁別,スキナーによるハトの回転行動のシェイピングのビデオなどに面白かった,驚いたなどのコメントもまた多かった。話を聞くだけでなく,こうしたビデオには予想以上の反応がある。

しかし,随伴性を説明していると,自分もきちんと理解できていないことや気づかずにいたことがわかってくる。きょうの随伴性の例でも,何が好子か嫌子かは全く個人的なことだから,単にある状況でこんな行動をしたらこうなったというだけでは,その行動が強化されたのか弱化されたのかすらわからないことがある。また,単一の随伴性でなく,同一の行動に複数の随伴性が働いていることもよくある。こうしたことは,ちょっと考えてみれば当たり前なのだが,新しく学ぼうとする学生には理解を妨げる要因となっていることにあらためて気づかされてしまう。

来週の授業で再度再度簡単な復習をする予定だが,そこで記述されている日常的な行動を行動随伴性で理解するポイントは以下の4点である。

まず,ターゲットとなっている(扱うべき)行動を特定する。
その行動が,その随伴性によって生じやすくなるか(強化),生じにくくなるか(弱化)を判断する。
その行動が生じたときに,直前条件・直後条件の変化があり,生じないときにはその変化がないか(反応強化子随伴性),それとも,その行動が生じたときには変化がなく,生じないときに変化があるか(阻止の随伴性)を判断する。
強化や弱化を生んでいる好子,嫌子を特定する。

この4点は,授業で何度も扱っている直前条件,行動,直後条件のダイアグラムでより視覚的に捉えることができるだろう。

授業でも予告したが,再来週(第6回)に小テストを実施する予定である。成績への反映は20%。20点満点で評価する予定である。

心理学(共通教育) 第4回 知能


駆け足で終わらせた知能。性格と同様に,一般に考えられているものとは異なるのだということがわかってもらいたいことの本質である。とりわけ,IQが頭の良し悪しを表現するものでなく,そもそも知能検査が開発された本来の目的が何であったかをきちんと理解することはとても重要なことである。

画像に示したグールドの「人間の測りまちがい」には「差別の科学史」という副題が添えられている。古生物学者,進化生物学者,そして科学史家であったグールドには,サヴァンの息子がいたことも,こうした痛烈な論評を加える一因となっていたのかもしれない。グールドの主張を全面的に肯定することができるかどうかは議論の分かれるところだろうが,性格や知能といった,人間を何らかの形で測定することが,その使われ方によっては,誤解や偏見を生む危険性があることを,心理学を学んだ学生にはきちんと理解して欲しい。

2008年10月16日木曜日

学習心理学Ⅱ第3回 阻止の随伴性・2つの条件づけ

きょうもつくづく感じた,ホントに授業中に発言することが苦手な学生が多いのだなということ。きっと発言するのが嫌でマイクをどんどん渡してしまっていたのだろうと思いつつも,ちょっと苦言を呈してしまった。レスポンデントとオペラントの区別,しかも比較的曖昧で両方が関わっているようには見えない例で「わからない」を意味するマイクのパスが連発してしまったために。わかっていたのに発言しない理由もわからないではないのだけれど,そうした社会的な随伴性,しかも後々学ぶルールに近いような随伴性によって制御されていることの空しさ?を理解して(しかもその場合は嫌悪統制だ),より正の強化で自分を解放して欲しいとつくづく思う。

きょうのアンケート(発言,リアクションベーバーのよいコメントへの加点)でも,発言に加点することには消極的な学生が多く(発言したくても苦手に感じるというのがその主だった理由),コメントについては比較的積極的な学生が多かった。中学,高校までにどのような社会的随伴性が働いていたのだろう,そして今も働いているのだろうと,何だか胸が苦しくなる。受動回避的な随伴性(つまりは正の弱化,そしてルール支配)が強くなければよいけれど。

さて,先週の約束通り,阻止の随伴性のファイルをアップしました。左の「神戸松蔭 学習心理学Ⅱファイル」をクリックして,ダウンロードして下さい。

心理学(共通教育) 第3回 性格その2

いつも冗談のように言う話がある。夏は勉強するには暑すぎる。冬は寒すぎる。春と秋は勉強するには天気がよすぎる。きょうの授業時間などはその典型である。ちょうどおなかが大きくなって,外には秋の日差しが降り注ぎ,難しい話を聞くには暖かすぎる部屋の中・・・。

そのような状況で眠る学生と眠らないで話を聞く学生。さてそれは「性格」の違いによるものなのでしょうか???

私たちが,日常的にあの人は,この人はと,形容するとき,その説明の手段・視点は気ままなことが多い。性格はそのような行動を説明する手段・視点の代表的なものなのだろうが,上に挙げた例では,さてどれくらいの人が,それは「真面目な性格だから」「不真面目な性格だから」などと,性格によって説明しようとするのだろうか。おそらく多くの人が「部屋の中が暖かくて,ちょうどお昼ご飯の後で」といった状況によって説明するのではないだろうか。

そこには,このような状況だと「ふつうこうする」という行動であれば,性格でなく状況で,「ふつうこうする」という行動が思い当たらないときには,またそこで取り得る行動が多様であれば状況でなく性格で説明しようとしているのかもしれない。もしそうなら,その2つの手段・視点の境界線はどのあたりにあるのだろう。そしてそのような使い分けをどのようにして私たちは学習するのだろう。

ここに書いたことも,前回同様,何となく日常的に行っていることをきちんと説明しようとすると,けっこう難しいという話になってしまいそうである。きょうのリアクションベーバーにも,性格とかには興味があるけど,ちょっと難しいという反応が多く見られた。そこで,単に何かを教えてもらうのでなく,なんだか難しそうだけど面白そうだなと,自分で調べる,考えることをし始めてくれれば,こちらの思うつぼなのだけれど・・・。

前回,今回と2回分の性格についてのスライドをアップしました。左のLINKSの「 神戸親和 心理学 (共通教育)」からどうぞ。

それから授業で報告し忘れていて,きょうの授業の後で直接質問があったのだが,レポート・試験の選択については,後者の方が希望者が多いので,最後の授業(補講期間中になると思う)に試験することとしたい。これについては,来週の授業でアナウンスする予定である。

2008年10月10日金曜日

学習心理学Ⅱ第2回 阻止の随伴性

前期の授業アンケートから,十分に理解ができていない可能性を考えて,当初の予定を変更して,阻止の随伴性から始める。

若干名,この話が一番難しく感じたというリアクションペーパーもあったが,おおむね,前期の復習をふまえて,自分たちで考える時間を作った試みは,多くの学生にとっては,好ましい方法だったように感じられる。中には,私の日常生活では,阻止の随伴性によって説明できるものがとても多いように感じたといった反応も見られた。日本的な文化の特徴である気配りのようなものは,阻止の随伴性とルール支配によって説明できるのではないかと考えているが,そのような印象を持った学生も少なからずいたようである。

授業評価の扱いは難しいが,今回の学習心理学Ⅰでの反応は,少なくとも前期と同じやり方で同じように進めてしまうと,前期をふまえた内容であるだけに,その結果が望ましくないものになるということが,容易に予想できる。そして,授業評価をもらえていなかったら,そのようになってしまっていたかもしれない。話す側,参加する側の双方が,少しでも満足できるように変えていくきっかけとヒントを与えてくれたものと考えたい。

この日に扱ったスライドは,阻止の随伴性が終わってからアップする予定である。

2008年10月8日水曜日

心理学(共通教育) 第2回 性格その1

性格はおそらく,臨床系の話と並んで,一般に最も心理学としてイメージされやすいものだろう。だから,いつのころからか,一般教育や概論などでまず最初に扱うようになった。多くの教科書には,知覚や認知,あるいは生理的な内容から始まることを承知の上である。

理由もいくつかある。まず,心理学のイメージに近いだけに,聞き手が入りやすいと感じること。次に,イメージだけでなく,多くの学生が関心を寄せているテーマであること。そして,これが最も大きい理由なのだけれど,そしてこのblogでも何度か書いてきたことなのだけれど,日常的にわかっていると感じていることをきちんと説明しようとすると,結構難しいことを,おそらく実感してもらいやすいとかんじるからである。

まあ,こんな書き方をしてしまうと,また難しい話になって・・・と,叱られそうだけれど・・・。

きょうの授業では古いバージョンのTEGを実施して,質問紙法でどのように性格を測定しているのかを体験してもらった。授業で使ったスライドは,次回一区切りついてから,あらためてアップする予定である。

2008年10月7日火曜日

2つの模擬授業

共通教育の心理学を休講にして出かけた,兵庫県内のA高校,そして松蔭の授業の後で出かけた京都府内のF高校と2日続けて,高校2年生を対象とした模擬授業に出かけた。

いずれの高校での授業も,とても充実した時間になった。A高校では20名前後が2クラス,F高校でも25名程度の参加者だったが,50分程度の時間に私語も居眠りもなく,とてもまじめに,また積極的に反応しつつ聞いてもらえた。

話の内容はいつもと変わらない。心理学という学問が,非常に広い領域やアプローチを持つものであること,一般的に考えられているかもしれない心理学のイメージとは異なる側面を多く持つこと,日常的なあちこちに心理学の研究テーマが隠れていること,そして,心理学がとてもおもしろい学問であること。付け加えて,心理学を学んで大学を卒業した後のイメージである。

大学にもよりけりだろうが,親和でもほとんどの学生は心理学を学んで一般企業に就職する。どこまでが心理学を生かした仕事をしているかは残念ながらわからないが,そこで学んだことを役立てられるかどうかは,おそらくは当人次第ではないかと思う。

これは高校の先生方から時折耳にする話だが,大学で学ぶことはそのままその学問を生かした仕事をしなければならないと考えている高校生が少なからずいるとのこと。昔のような,教養としての学問をここで引っ張り出してくるほどずれているわけではないが,それでもそうした考えが,ある種専門学校のような学びと仕事とがそのままの形で繋がっている形態のイメージに基づいており,大学での学びを正しく理解していないためであると言わざるを得ない。

資格偏重は,現代の学生の社会で戦うための手段として認めてあげなければならないのだろうが,現在国家資格をひとつも持たない心理学は,そうすると,全く学ぶに値しない学問になってしまいかねない。そうではなく,何かがわかること,何かを知ることという,哲学,科学の原点に戻って,心理学に限らない多くの学問の楽しさを,このような高校での模擬授業で伝えることができればと思うのである。

学習心理学Ⅱ 第1回 オリエンテーション

松蔭も10月2日から後期の開講。きょうは,前期のまとめと今期のオリエンテーションで早めに終了する。

前期の授業評価がメールボックスに入っていて,ざっと目を通したが,予想以上に厳しい評価だった。難しい,意味が分からないといったコメントが並んでいる。またほとんどの評価項目で平均値を望ましい項目では下回り,望ましくない評価項目では上回った。とりわけ,難易度の評定は,平均値を大きく上回っていた。

それでも,これらの評価をそのまま受け取るのに保留したい理由がふたつある。

ひとつは,きょうの授業の学生の受講態度である。前期あれほど苦慮した私語がきょうはほとんどなかった。それがなぜなのかがわからない。そしてこうした受講態度が継続することで,少なくとも前期のような不幸な状況になることはないと楽観したいためである。

もうひとつの理由,そしてより大きな理由は,こうした評価が,これほど厳しい評価はなかった昨年度から,授業内容も方法もほとんど変化がなかったことである。つまり,ほぼ同じ内容の授業をほぼ同じような方法で授業をして,授業評価だけが大きく変化したと言うことである。

その変化の責任を学生の側にその責任を押しつけてしまうのは,けれども,あまりに安易にすぎるだろう。むしろ,この授業の中で,教員と学生との関係が(他人事みたいな書き方になってしまうのを許して欲しい),悪い方向に動いてしまったのを,止められなかったのは私の責任だと受け止めたい。そして,そのような望ましくない関係から,このような厳しい評価が下されたと考えるのが,おそらくは最も妥当な判断なのだろう。

そう考えると,今日の授業が静かに進んだのは悪くない兆候ではある。ただ,後期の内容はあくまでも前期の内容をふまえた上,理解した上でしか,成立しない議論なのである。復習の時間を予定より長く割くことで,また,いくつかの現在考えている授業方法の変更で,何とか後期の授業が望ましい方向に進むようにと考えている。

2008年9月30日火曜日

心理学(共通教育) 早速の休講

秋学期が始まるのを待っていたようにして台風がやってくる。先週金曜日は全日全学休講。明日もなんとなく怪しい雰囲気だが,それは別にしても早速休講しなければならなくなってしまった。校務とはいえごめんなさい。

共通教育科目の心理学第2回は,性格と知能の話の予定である。先週のリアクションペーパーを読ませてもらっても,いわゆる,「人の気持ち」について研究したり考えたりするのが心理学であるという,ごくごくまっとうなイメージを多くの学生が持っていることが分かる。「ごくごくまっとう」なのだけれど,前回のブログにも書いたように,それだけが心理学ではないのだよ,さらには,授業で話す機会もあるかもしれないが,行動や表情からその人の気持ちを知ることができるようにという,いわゆる読心術のようなものからは遠く離れたものだということをわかってもらわなければならない。そして,だからこそ面白いのだということも。

性格心理学については楽しみにしていた学生が少なくないようであるだけに,早速休講にしなければならなくなったことを申し訳なく思います。また,授業の中で予告できないままに休講することについてもお詫びしなければなりません。尤もdeprivationがかかって,より楽しいものになってくれればちょっとは申し訳になるかな?

2008年9月28日日曜日

日本心理学会報告 その1

第72回日本心理学会に参加した。久々の北海道である。

なかなか具体的な研究が進まない状況でも,何とか共同研究の先生方のご協力・ご助言を得て,毎年ここでは発表を続けられている。卒論指導の学生が関心を持ったテーマを何とか形にしたいというのもその理由の一つである。今年度は,ウォーキングの効果についての発表。万歩計を持ち歩き,そこに表示される消費カロリーが強化子として働きうるかという素朴な研究である。結論には遠い中間発表である。

今年の発表は,実はそれほど本意でなかった。というのは,計画時点で予定していた手続きの半ばまでしかデータが取れなかったためである。それでも瓢箪から駒。あるいは予想外にと言ってもよいかと思うが,いくつかの貴重なご助言をいただくことができた。とりわけ,自分たちだけでは気づかないような視点を提供していただけることが何より好子として機能する。東京時代にお世話になった先生お二人,近くで発表されていた先生からは体験談を交えていくつか貴重なアイディアをいただくこともできた。私自身は,実はそれほど深い関心を持っているテーマではないのだが,今後このようなテーマに関心を持って卒論や修論をと考えている学生と,より興味深い計画を考え出す材料になった。この場を借りてお礼を申し上げたい。

ところで,話は学会のことからは離れるが,上述の先生のお一人にとても印象深いエピソードがいくつもある。その中のひとつで折に触れて学生に話すことをここにも書いておこう。

すでに大きな存在だったその先生の授業を初めて履修したのは,演習や実習系の複数担当の授業は別としてだが,大学院になってからだった。その授業の中で時折私にも質問されたというだけのことなのだが,それは,「自分はこれを知らないのだけれど,教えてくれないかな」というものだった。学生に自分が知らない,わからないことがある,それを教えてくれというのは,当時の私には想像のつきにくいことだったのだ。そのように学会全体をリードするような存在の先生であれば,何でもご存じで,学生に尋ねなければならないようなことはないのではないか,しかもご自分の専門領域と関連した内容であるのだから。

知らないことを知らないと言う,ごく単純なことなのだけれど,スゴイと言う印象を深くしたのである。もちろん急いで付け加えるが,そのように知らないと言えるのは,(おそらく)ご自分のきちんと理解されていることについて自信があるからだろう。考えてみるまでもなく,自分一人で考えが及ぶ範囲というのは無限でない,知らないことを知らないと言うことで,学問の前で(このような表現が適切かどうかわからないが)謙虚である,古典的にはアリストテレスの無知の知と通じる,研究者としての態度の基本を教わったのは彼からだった。

翻って,わかっていないことを何となくわかったような言葉で説明するetc...いやいや,それは自分にも当てはまることである。もういちどきちんとのその姿勢で向き合うことを考えるだけで十分である。

ワークショップ,もうひとつの共同発表,認定心理士の資格関連,北大の印象等々,追々時間を作って書いていきたい。

2008年9月25日木曜日

心理学 (共通教育) 第1回 始まってしまいました

長いと思っていた夏休みも終わって,いつの間にか朝夕には秋風がたち始めています。親和も長かった夏休みから,月曜日に秋学期のスタートを迎えました。

驚いたのは受講生の数。200名を越える学生を前に話すのは久々のこと。前任校も親和も比較的こぢんまりとした大学だから,こんなに多くの受講生がいるのは稀である。どうやら児童教育学科の学生が春学期に時間割の関係で私の授業も,もうお一人の先生の授業も受講できずに,この時間に集中しているようである。

心理学の授業の最初は,心理学は一般に考えられているようなものと少し違いますよというのがメッセージである。だから,できれば自分の思いに囚われずに,ちょっと変じゃない?という内容であっても,まずは受け止めて聞いて欲しいというのが,もうひとつのメッセージ。そして,心理学はとても面白い,いろんなアプローチの複合体ですよというのが,それに続いていく。

そして,それぞれの内容が,来週以降の時間で語られるというわけである。

これから先もそうだけれど,授業で使ったファイルはpdfにして,アップします。左のLINKSの「神戸親和 心理学 (共通教育)」をクリックして,必要なファイルをダウンロードして下さい。

2008年9月16日火曜日

フラストレーション

卒業や進級がかかっている年度で取得単位が不足しているとき,所定の手続きによって再試験を受験できる。これはどこの大学でも実施されており,実を言えば私も卒業をかけて再試験を受験したことがある。

話せば長い事ながら,私が大学と大学院を過ごした東京のある大学では,博士課程の入学試験に,文学研究科ということもあるのだろうが,第二外国語が課されていた。要は,英語,ドイツ語,フランス語,ロシア語,中国語などから2つを選択するわけである。3年生の時に卒論では動物実験をすると決めてから,大学院に進学しようと考えていた私は,3年生の時に選択する専門外国語をドイツ語にした。英語は日常的に読まなければならない状況にあったから,そうではないドイツ語(1年と2年の2年間はそれぞれ週に4コマずつあった)を継続しておこうと考えたためである。これらは特別な話ではない。

大学の教員は,教える,研究するという,一般にイメージされる仕事(好きでやっているから遊びと言えなくもないかもしれない)の外に,学内外での教務的な仕事がある。教室運営,学科運営などなど,最近は大学の宣伝など募集活動なども含めて,いわゆる「雑務」と呼びたい(けれどもとても大切な)仕事は少なくない。たまたま3年の専門ドイツ語を担当された先生が,前期終了後に学内の役職に就くとかで,後期から交代になった。その先生は1年間だけという約束で担当されたので,4年生の後期にはまた別の先生が担当となった。

問題は,私の動物実験である。オペラントの実験は毎日同じ時間に始めることが原則である。その原則を守ろうとすると,勢い出席できにくい科目が出てきてしまう。私は,考え違いも甚だしいのだが,卒論の実験をしていれば出席なんかどうでもよいと考えていて,4年後期のドイツ語に結局ほとんど出席できず,従って,試験もできず,見事に単位を取得できなかったのである。今でも記憶に鮮明な,山田先生にお話しに伺ったとき(卒論で実験してるんだから何とかしろという気持ちである),正当に評価するしかないから単位は認められない。卒業できなければ死ぬというなら,ここから飛び降りると交渉した過去の強者には,飛び降りてもらって構わないと話したという逸話も交えながら,それでも,再試験だけは受けられるようにしてやると温情をかけてくださった。温情というのは,再試験を受験するにも資格が必要なのである。たとえば40点以上の評価であるとかなんとか。

大学院修士の試験(2月下旬の1次,3月初旬の2次)を無事合格しながら,卒業をかけた試験を3月12日に受験しなければならなかった。出題範囲が何ページあったか記憶にないが,今でもはっきり覚えているのは,ひとりひとりに厳封された試験問題が配付され,隣に座った同じくドイツ語の再試験を受ける女の子と,開始の合図の直後に問題1が,その出題範囲の最初のパラグラフであることを確認して,思わず顔を見合わせてほほえんだことである。そのようにして,私は無事に卒業し,大学院に進み,そして中略で現在に至るわけである。

さてしかし,私がこれまでにドイツ語に限らず,外国語をあれほど集中的に勉強した時期というのは,その大学院の1次試験を終えて,ドイツ語の再試験を受験するまでの1ヶ月足らずを措いて外にない。博士課程のときにも,結構勉強して,最終的に瞬間最大単語力は3,000を越えていたと思うが(受験直後から,どこから消えていくのか,その単語力は今や枯れ木にわずかに残る病葉のごとしである),それでもそのときほど集中して勉強してはいなかった。

さて,時は流れて,大学の授業を担当するようになって,そうした再試験を受験する側でなく出題・評価する側に回ってしまった。そして,今回どうしても単位を認定できない場面に巡り会ってしまった。受験するときは受験するときで,とてもフラストレイティブな状況に置かれたが,それでも,今思えば,出題する側よりはましである。なせなら,きちんと勉強すれば結果は自ずと見えるからである。つまり,自分で結果をコントロール可能な状況なのであるから。一方,出題する側に立つと,出題して,あとは学生の努力を待つしかない。そして今回のように,どうしても認定できないような状況に至ってしまうと,やるせない気持ちをどうしようもない。

最近は,入学は比較的容易で,卒業が難しくなるという,文字通りアメリカ型の大学のあり方へとシフトしているが,これからこのような例をいくつか経験するようになるのだろうか。それでも,人間を含めて動物は自分の失敗からも学習するはずである。今回の躓きを教訓としてもらえれば,少しは気も楽になるのだが・・・。

2008年9月6日土曜日

いろいろ問題はあったけれど

7月下旬からのべ5日間の夏のオープンキャンパスが無事終了。始まってからわかった問題点も少なくなかったが,とにかく終了。昨年度よりも1割弱,参加者が増えたのはうれしいことであり,これまでと同様に,受験や合格した後の入学につながってくれればと思う。

オープンキャンパスが積極的に開催されるようになったのは,1990年代の後半になってからのようだが,高校生が自分の目で自分が行ってみたい大学を実際に知ることのできる機会があるのは悪くない。私が大学に入ったのは1980年代はじめだったから,もちろんそのような機会はなかったし,せいぜい受験する大学の受験場は下見しておきましょう程度の認識しかなかった。私が最初に受けた大学は東京都内の3大学4学科だった。幸か不幸かどこにも入れてもらえなかった私は,その翌年には,前の年には受けなかった関西の3大学3学部と,東京ではそのうちの1大学1学部だけを受験した。もうずいぶん前の話で記憶が定かでないが,浪人したことで,自宅からより近いところ(関西)でよいと思ったのだろう。それでも,実際に受験したことで,東京のその大学には強い魅力を感じてぜひ入学したいという思いがあったのを,妙にはっきりと覚えている。そして,合格の知らせが届いたときのことも,はっきりと覚えている。そして結局その大学に入った私は,そこで学部,大学院,助手,非常勤講師として,丸20年に亘って関わり,今でも強い愛着を感じている。

もし,そのときにオープンキャンパスがあったとしても,東京の大学にはわざわざ出かけられなかったかもしれない。そして,受験して,浪人していなかったら,その大学に特別な魅力(受験したからといって,その大学のなにがわかるわけでもなく,大学そのものというよりも,その大学のある町の活力のようなものや雰囲気が,私を捉えていただけなのかもしれない)を感じることもなかったのかもしれない。そのときにオープンキャンパスがあったとしたら,私の人生はまた全く別物になってしまっていた可能性が低くない。

そう考えると,どこでもやっているからというスタンスでオープンキャンパスを開催するのでなく,受験生の人生を変える力を持つ,またその責任も担うようなものにしたいと,強く思うのである。似たような大きさ,学力レベルなどなどの大学が少なからずあり,選択肢が増えている。そのような状況にあるからこそ,自分で実際に足を運ぶことで,ひとつひとつの大学の持っている固有の魅力を直に感じて,自分に合うと感じられる大学選びの手がかりにして欲しいと思う。

親和では幸いご参加いただいた生徒さんたちからも,ご父兄からも,比較的好ましい印象を持ってもらえている。大規模校のような大人数の参加ではないにせよ(きょうは400人足らず),その中から小さくない割合の生徒さんたちが受験してくれる。これからも,来ていただいた方々に,その日だけ特別に繕ったのでなく,日常の様子を知っていただきながら,親和に魅力を感じてもらえるようにと思う。

2008年8月28日木曜日

お待たせしました: 認定心理士

23日(土)に認定委員会が開かれて,ようやく神戸親和からの申請者の審査が完了しました。私のチェック漏れのせいか,2人の保留が発生しましたが,その他の44名については合格の判定が得られました。

保留の2名についても,再度の審査で合格となることがほぼ確実に予測されるような事例です。これまでこのblogで紹介していたような,研究法や実験実習など,履修した科目そのものに問題があるような理由での保留ではありません。ですから,今年度申請した方はすべて合格したと考えていただいてよいと言えます。書類を作成してから5ヶ月もかかってしまったのは,私のチェック作業が手間取ったことによるものです。できるだけ早くに合格通知が必要だった方にはこの場でお詫びを申し上げます。

もうひとつ,資格関係の話題。今年の日本心理学会(第72回大会)は9月19日から21日までの3日間,北海道大学で開かれます。この会期中に「心理職の国資格化の最近の動向と今後のゆくへ -どこに問題があるのか-」という講演会が開かれます。臨床心理士と医療心理師から成る,いわゆる2資格1法案以来の経過と今後の展望が扱われるようです。

ともあれ,認定心理士の資格取得,おめでとうございます。

2008年8月9日土曜日

ちょっと嬉しいこと

8月11日の月曜日が,親和の前期成績の提出締め切り。学生には常々締め切り前にきちんと計画を立ててと偉そうに宣っていながら,その実,自分はと言えば,学生時代から染みついた行動傾向から全く抜け出せずにいる。とても適応的とは言えないからこそ,学生にはそうならないようにという老婆心での発言とお許しいただければよいのですが・・・。

さて,レポートを読んで評価するのは,時に苦痛で時に楽しい。文字通りVRの弱化とVRの強化が平行して走っているような状態である。まあもうひとつ,評価して提出することが最終的な強化(この場合の好子は教務課の職員さんの微笑み,それとも仕事を完遂することに対する報酬であるはずの賃金?)を受けているのだろうけれど。尤も,その強化も,より主観的には,何もしないでいると教務課からの催促という嫌子が出現するから,嫌子出現の阻止による強化であると言った方がより正しい気もする。

などという他愛もないことを考えていたら,大学院の研究法特論の授業の感想(だからレポートの内容そのものではないけれど)で,好子をいくつも発見している。たとえば,Skinnerを誤解していた,Darwinに影響を受けていたことすら知らずにいた,さらには,私が授業中に喋った中で印象に残った言葉として,「単一被験体の行動生起頻度を観察することの重要性は、事実を事実として観察し、解釈はしないことにある」をあげてくれた院生もいた。

そうなのである。事実と解釈・意味づけ(さらには理論)とどちらがより重要かと言えば,そこに現実として存在する事実なのである。それに意味づけをして解釈すると,何となく立派になったような感じがして,感心してしまうことがあるが,さて,その意味づけや解釈によって,その事実が理解しやすくなるのだろうか,それとも・・・?

正直に言えば,このことは,私自身それほど昔から理解していたことではない。学生時代だったか院生時代にだったかに読んだSkinnerのAre Theories of Learning Nesessary?という論文(今から半世紀以上前の1950に出版された)に書かれていたにも関わらずである。

2008年8月8日金曜日

心理学(共通教育) レポート締め切りました

0:58のタイムスタンプのあったメールを最後に心理学のレポート提出を締め切った。送信直後に受領のメールを返信できないために,届いていたかどうか不安に感じていた学生が若干いたことについて,申し訳なく思う。

ざっと眺めた限りでは,とても丁寧に書かれたものから(わたしも昔昔,その昔,ときどきそのようなレポートを書いた記憶があるが),時間に追われてやっつけ仕事になったものまで,例によって多種多様である。

心理学は,一般にイメージされるものと,アカデミックな場所で実際に行われている学問としての活動とのギャップが,大きいものの代表だと思う。記憶している学生がいるかどうか,授業の一番最初に,心とは何かを自由に書いてもらったが,そこで書かれていた内容と,今回の課題で書かれた内容との変化を知りたいのが,課題の目的である。もちろん,とりわけ心理学科の学生であれば,心理学関連の授業はこれだけではないから,その変化をもたらしたものはこの授業だけではないが,少なくともその原因の一つではあるはず。換言すれば,私の授業が学生にどのような変化をもたらしたのかを知りたいのである。そして,望むらくは,その変化が小さくないものであって欲しいのではあるけれど・・・。

2008年8月4日月曜日

神戸松蔭 学習心理学Ⅰ レポート締め切りました


0:58のタイムスタンプのレポートを最後にレポート提出を締め切った。私の不注意で何度も確認メールを催促しなければならなかった方には,この場を借りてお詫びしたい。

さて,レポートの内容は,これはいつもそうだが,自分なりの考え方をまとめたものから,いくつかのページをそのままつぎはぎしたものまで様々である。後者については,文の表現が途中で変わっていたり,その他の理由で一見して,剽窃したものであることがわかる場合が多い。ちょっと怪しいなと思ったら,一つの文章を検索すれば,そのまま引用した(この場合は剽窃だが)ページがわかる。同じ使うにしても,引用を明示するなどすればよいのにと思うことしきりである。

感想にもいろいろと貴重なものがあった。私語に対する思いや,大学生のあり方に言及したもの,比較的否定的なものが多くあったのは,サンプリングの偏りなのだろうとは思う。ただ,今の大学は昔の大学ではない。少なくともこれはよいことなのだが,様々な理由で大学で学ぶことができなかった人が多かった昔に比べて,遙かに多くの割合の人が大学で学ぶことができている。たとえばこのページによれば,1960年から右肩上がりで上昇した大学進学率は70年代の半ばから90年代の初頭まで約25年の間,25%前後で推移していた。そして,その90年代初頭から再び右肩上がりになって,現在では40%を越えている。つまり5人に2人は大学,さらに短大,高専,専門学校を含めてしまうと70%を越えて,ほぼ4人に3人が,いわゆる高等教育を受けていることになる。さらに,同じページの下の方には,80年代半ばに3万人余りだった大学院への進学者も実数として約3倍に伸びていることが示されている(ちょっと見にくいが,右上の図がその変化を示したもので,画像をクリックすれば,より大きい図を見ることもできる)。

いまさらここに書くまでもないが,Martin Trowの言う,エリート型,マス型,ユニバーサル型の分類で言えば,日本の現状はすでにマスを越えてユニバーサル型に入っていると考えてよいだろう。一部にエリート教育が可能な大学はあるだろうが,誤解を怖れずに書けば,親和であれ松蔭であれ,他の多くの大学と同様にユニバーサル型の大学として存在しなければならないのが現状である。そこで,かつての大学のイメージを基準に現状を見ると,納得しにくい点がいくつか現れてくるのは致し方ない。かくあるべきという理想と乖離した現状を否定することは,そのような大学の存在意義自体を否定することに他ならない。そうでなくて,私たちがやるべきことは,現状をきちんと把握して,それがあくまでも「現状」であることを認識して,そこから出発することしかない。FDであれ,学生による授業評価であれ,第三者評価であれ,いずれも現状がどうかを理解して,そこから少しでもよい方向に向けるにはどうすればよいかを考える手段なのである。

回りくどい言い方になるが,私の学習心理学の授業でずっと私語が続いてしまっていたのは,学生の問題だけでなく,私自身の問題でもあるのだということなのである。後期(実はこの期に及んでまだ交代できないかと模索中なのだが)には,さしあたって座席指定(やるからには,教務にお願いするのでなく,前任校でやっていたように,私が毎時間座席指定)するしかないかと考えている。と,同時に,これまでの私なりの工夫では十分ではないと言うことなのだから,授業の進め方自体も,私が基本的に説明するというスタイルから,テキストを読みながら一緒に考えるなど,何か別の(ある意味で高校で学生が馴染んでいるだろう)スタイルに変えてみるのも一つの手段かと考えているところである。

2008年7月24日木曜日

神戸松蔭 学習心理学Ⅰ第14回 

調査に協力をお願いしてきょうが3回目。現時点で親和でも他大学でも進行中なので,調査の目的などの詳細については後日ここで説明するが,回答することが楽しくなるような内容の調査ではないので,真摯に協力してくれたみなさんに,この場でもお礼を申し上げたい。

たまたまきのうのニュースにこんなのがあった。

たばこの煙払い、鼻折られる-埼玉
さいたま市在住のアルバイトの男(22)は22日午後9時50分ごろ、さいたま市南区別所の路上で喫煙していたところ、通りかかった「嫌煙派」の男子大学生(23)が自分の顔の前で手を振り、煙を払ったのを見て立腹。大学生ともみ合いになり、顔を殴った。大学生が「知らない男に顔を殴られて鼻血が出た」と110番。駆け付けた同署員が男を逮捕した。
受動喫煙の防止について、健康増進法は屋内の多数の者が利用する施設と規定しているが、路上喫煙を規制するために公道も含めるかどうか、議論は分かれている。

公的な場所と私的な場所の区別,自分の行動が他者へどのような迷惑をかけているのかについての認識も,ひとりひとりの経験によって作られていくしかないが,他者が自分はそれを迷惑に感じていると表現すると,上記のような痛い目に会う結果を招いてしまう。結果,表現することをやめてしまうと,他人は迷惑していることを感じる機会がなくなってしまう。悪循環。この悪循環を断ち切る良い方法はないものだろうか。結局,いくつかの自治体が行っている路上喫煙に科料を徴収するという弱化の方法しかないのだろうか。

閑話休題。最後の授業は小テストと消去と復帰の残りをさらって終了。正直に言えば,やっと終わったという感じ。こんな教員でも,最後までまじめに授業に参加してくれていた学生が少なからずいたことを,これまたお詫びをした上で,感謝するしかない。結局,授業に積極的に参加してくれる学生の反応が,準備してしゃべる側の何よりの好子なのである。さて,きょうの小テストとレポートの結果や如何に。

2008年7月20日日曜日

学期の終わりのお引っ越し

別に好きこのんでこの時期になったわけではないのだけれど,火曜日はお引っ越し。春先にたまたま見つけたオンボロ一軒家に,とりあえず住めるようにするための手を加えていたら,いつの間にかこんな時期になってしまったというわけ。

もともと私は父の仕事の都合でごく短距離ではあるけれど,小さい頃から引っ越しを繰り返してきた。大学で東京に出るまでで9回,東京で2回(2回目の引っ越し,東京での3箇所目がこれまでのそれほど短くはない人生の中で最も長く住んだ場所である。たしか10年くらい同じ場所にいた)。その後のLondonでも4箇所に住んだ。帰国してから東京に戻る前に実家で半年を過ごし,その東京での3年の後,大阪にやってきて3箇所を通り過ぎて神戸にやってきたのが2年数ヶ月前。そして今回の引っ越しに至ることになる。通算22回目のお引っ越しである。

幸か不幸か梅雨も明けて,高校訪問,模擬授業,学期末でのレポート,成績評価,それに加えて実験準備,オープンキャンバスなどなど,枚挙に暇がない中での引っ越しなのだが,私が荷造りするのはただ私の部屋の中のものだけ。後は家人がせっせこともうずいぶん前からほとんどひとりでやっている。移り住む先の改装についても,キッチンのことを除けば私はほとんどタッチしなかった。家人は私などよりはるかに具体的なイメージを持っているようで,ちょっと気づいたところに口出ししても,ほとんど意味を持たない。また,意見を求められたとしても,正の強化を受けることはまずない。要は,消去されてきたのである。

22回も移り住んでいるせいか,またずいぶん年齢をとってから人並みの生活を始めたせいか,結構な年齢になった今でも,住むところにはあまりこだわりがない。家のつくりなどなどについてはこだわりがないと書いた方が正確だろう。大人になってからは,住む街にはこだわりたいし,自分の住処の中に自分だけの空間(つまり自分の部屋)は必須である。何ということと顰蹙を買うことを承知で書いてしまえば,子ども部屋はなくても自分の部屋は確保しなければならないし,その自分の部屋には,子どもたちであっても,自由な出入りは禁じている。

そのような自分の空間は確保したいという思いの一方で,その入れ物,つまり家を持つとかマンションとかを自分のものとして買うという発想はほぼ皆無に等しかった。毎週末に届くずっしりとした新聞の折り込みの束を眺めれば,なるほど家を持つことが多くの人にとってとても大切なことなのだろうことは何となく想像はつくのだけれど,30代から定年近くまでのローンを組んでということが,実行に移される必要があるかは,わからずにいたし,今でもよくはわかっていないのだろう。

にも関わらず今回このようなことになってしまって,段ボールの山とまだこれから詰め込まなければならない本やCDを眺めていても,そして移り住む先(今住んでいるところから車で5分とかからない)に何度か足を運んで,ほとんど移り住むことができるようになっていることを目の当たりにしていながら,まだ実感がない。

もう10年以上前のことになってしまうが,ロンドンに住んでいたときに,ときどき妙な感覚に襲われたことがあった。確かに私はそのときロンドンにいて,日々実験をし,パブに通い,コンサートに通っていたのだが,ここにいる自分とは別にもう1人,東京にいてあの懐かしい場所で変わらずに齷齪と生活している自分もいるのではないかしらという感覚である。なんだかそんな感覚がごく近い将来またやってくるのかなという想像を巡らせたりしている。

2008年7月13日日曜日

神戸松蔭 学習心理学Ⅰ第11~13回 オペラント条件づけ(2~4)

ここ2回分の授業内容について書かずにいたが,一応触れておこう。第11回は反応強化子随伴性,4つの基本的手続きの枠組み,第12回は強化子と確立操作,そして第13回の7月10日の授業で消去の半ばまで。次週は所用のために休講しなければならないので,復帰のこと(とこれに伴ってオペラントレベル)を扱って,前期は終了である。

来週の予定を確認しておくと,まずフィードバック(それほど時間はかからないかもしれない),その後,調査の3回目,小テストの2回目,そして残りの内容を扱う。念のために書き添えるが,小テストで出題する範囲は,7月10日までのオペラント条件づけの内容である。基本的には第1回と同じように,基礎的な用語をきちんと理解しているかどうか,日常的な行動をそうした用語によって説明できるかどうかを確認するためものである。

なお,プリントでも配布したが,レポート締め切りが,教場では24日,メールでは8月4日であることを,再度確認しておく。

2つの授業参観: 知っていること,できること

親和でもFD (Faculty Development: 大学教員の資質開発,とりわけ授業内容や方法の改善・向上を目指す) の取り組みが行われている。昨年度より始まったのが,教員相互の授業参観である。今回は3つの授業を(うち一つは所用のために最初の30分だけ)参観した。

驚くことも沢山あったのだけれど,私の授業に比べると,3つのどの授業もより多くの学生の興味・関心を引きつける力の強いものだった。だからといって,私の授業を自ら卑下しているわけでも貶めているわけでもない。選んだ授業の3つがいずれもたまたま,実学的な要素の強いもので,そこで学ぶことが自分の近い将来の仕事に直結する,理論を伴いながらも具体的に何をどうするかという内容のものだったことが,その最も大きな理由だったのではないかと考えるからである。

たとえば,幼児教育の教員の話し方は,私が知っている限り,いわゆる幼稚園や保育園の先生方が子どもたちを相手にするときのしゃべり方とほとんど変わらない。実は最初耳にしたときには,言葉を選ばずに書いてしまえば,目が点になる思いだった。けれども,すぐに気づいたのだが,そうした話し方は学生が近い将来にこどもたちを実際に相手に話すときのとてもとてもよいモデルとして機能しているのである。一緒に歌って,手遊びをして,といった様子は,私がこれまでに全く大学という場所で見聞きしたことのないものだった。

幼児教育の授業の例は,ほんの一例だが,そうした授業で私が最も強く感じたことは,当たり前のことなのだが,自分ができることというのは,自分が知っていることから大きく逸脱しないということである。私が過ごしてきた大学,大学院の時間で巡り会った教員が一体全部で何人いたのかわからないが,たぶん私が現在行っている授業の形態は,そうした経験をもとにして私なりに変化させて工夫したものにすぎない。昨年参観した心理学関連の授業は,私がそれまでに知っていた範疇に十分収まるもので,今回のような驚きは些かも感じることがなかった。

今回の参観した授業の中から私が実際にうまく取り入れられる方法がどれほどあるかはわからないが,少なくとも,自分がこれまでに知っていた枠を壊してしまってもよいのだということを感じられただけでも,十分すぎるほどの収穫だったと強く思う。

もうひとつ付け加えれば,私の知らなかったこと,また誤解していたことが,内容としてあつかわれており,勉強になった,そして,わかっているつもりできちんとわかっていないことが,当たり前だけれど,沢山あるのだと,これまた痛感した。

心理学(共通教育) 第12, 13回 性格・知能

おそらく一般にイメージされる心理学の中核,性格。そのテーマと言うだけでなく,もうひとつの意味でも一般にイメージされる心理学の中核と言いたいのが,この性格(と,ついでに知能)。
誰もが知っていて,誰にもきちんと説明することのできない現象,事象,要因,何かという意味である。

おそらく誰もが親や友人や教員やetc.に,お前は○○な性格だから・・・とか××な性格だなあとか言われて育ってきた。そこで使われる日常的な意味での性格と,心理学で使われる意味での性格と,もちろん重なっている部分もあるが,そこから大きく逸脱している部分もある。とりわけ,日常的にはアプリオリに何らかの意味でわかっているものとして扱われているのに対して,心理学ではそれ自体が説明されるべき対象である。つまり,きちんとわかっていない。

前述の心理学の中核というのは,この意味である。すなわち,日常的に何となくわかって使われている事柄であるのに,心理学的にきちんと説明しようとすれば,さて何なんだろうと頭を傾げてしまう事象を心理学はとても沢山抱えている。その典型という意味である。

もうひとつ書いてしまえば,正確にいつの頃からか知らないが,Kretschmerを説明する教科書が欧米にはまず存在しないのに対して,日本の教科書では旧態依然としている。そもそも類型論的な理解を大学で教える必要があるとすれば,心理学史においてだろう。そのような現象,洋の東西で教えられる内容の隔絶は,私が学生であった頃が最後でない。1980年代にして,10年遅れていると言われていた,そのまま今に至っているのか。それともさらに周回遅れになってしまっているのか。もちろん,心理学でも最先端を走っている人たちが日本にも沢山いて,そのような人たちが10年遅れているわけでないことは急いで書き添えなければならないが・・・。

そして,肝心の内容。私たちは,性格や知能について,学生に今,何を教えなければならないのだろう。旧態依然とした授業をしながら,これまた教える側も首を傾げてしまわざるを得ない。

2008年7月5日土曜日

初代に名門なし

このタイトルは,芝居の話である。もともと誰が言い出した言葉かは知らないが,私が知ったのは中村仲蔵という落語である。圓生か先代の馬生で聴いたのが最初(と言っても生で聴いたことはない)。

親和に着任して固辞していた大学院での指導を今年度から担当させていただくことになり,親和の修士の面白いと言っては言葉が違うかもしれないが,研究指導(臨床の指導はまた別個にある)の担当が決まるのが春学期が終わってからだった。今年度からは少しだけ早くなったが,それでも7月の初旬である。

昔の大学院と今の大学院では,院生の求めるものが異なっており,必然的に大学院の入試のありようも私の時代(もう20年以上前になってしまった)とは全くと言っていいほど別物になってしまった。つまり,大学院も大学入試と同様に,資格取得,大学の名前,あるいは偏差値といったような要因によって受験生から選択されて,受験対策もいわゆる大学入試と同様に過去問を検討するなど,文字通りの「お受験」である。そもそも,大学院を志す人数が昔とはかけ離れた桁数になってしまった。その評価はまた別問題だが,少なくとも記述的にはそうである。

この間の事情やそれに対する私なりの考えはまた時を改めたいが,要するに,私が大学院で正式に指導する学生の初代が決まったということである。そして,その3名を歓迎したいということである。私たちの周囲は様々な偶然に満ちている。それをある種の必然として「共時性」などという言葉で飾りたい人の心情を唾棄してしまうほど無粋でないつもりだが,それを学問の世界に,科学の世界に持ち込むのはどうにかして欲しいというのも正直なところである。それだけでなく,そうした偶然が良い結果をもたらすか否かは,あらかじめ決まったものでなく,その出来事の後でどのような相互的な関わりがあるかによって決まるにすぎない。共時性と喜んでことが足りるほど現実は甘くない。これからわずか1年半しかない時間だけれど,3名との関わりを私は「濃密な」ものにしたいと考えているとしたら,この3名はすでにこの時点で後悔してしまうのかしら。

こんなコメントをブログに書いてしまう教員を指導教員に選んだ3名にお願いがあるとすれば,どうぞどうぞ生意気になって欲しいということ。教えてもらうのでなく自ら学んで,私なんかはせいぜい踏み台程度にしか考えないで,成長してくれれば,あるいは少なくとも,共同研究者として一緒に研究を進めることができればと思う。

しかし,名門だなんて,このタイトルはちょっと大仰だったかな。

2008年7月3日木曜日

ちょっとおめでたいこと


あまり書きたくない日々が続いていたのだけれど,ちょっとおめでたいことは書いておきましょう。7月1日は150周年。この写真のSir Charles Darwinが,Alfred Russel Wallacesと共同(と言っても,両名ともその場は欠席していたのだそうだが)で,進化論のアイディアをThe Linnaean Society of Londonで発表したのが1858年の7月1日。Darwinがいなくても,やがて進化論は新しい生物学を率いることになったのだろうが,誰がその始祖であったとしても進化論的な考え,とりわけ変異と選択(Variation and Selection)無くしては,行動分析学も生まれようはなかった。古典的行動主義であるWatsonの機械的連合論にも,刺激と反応との媒介過程(今の認知心理学などの基盤である)を探る新行動主義にも,Skinnerの言う変異と選択は含まれていない。

そのSkinnerが亡くなって,もう18回目の夏を迎えようとしている。彼の基本的な考え,そして行動分析学に基づく活動が変異と選択を経て,さて,最終的に淘汰されてしまうのかどうなのか。私にはそれほど悪くはない現状と,とても楽観的な展望が開けているように思えるのだけれど・・・。

学習心理学Ⅰ 課題レポートについて

きょうの授業で発表するとアナウンスしておきながら,全く失念していたレポートの件。別紙の通りとする。ここからダウンロードまたは参照できる。来週の授業でプリントも配布予定である。

授業内容についてのコメントを書けないでいることについてもお詫びしたい。

授業で使用したパワーポイントのファイルはいつものようにアップしてある。

2008年7月1日火曜日

心理学 レポート 過ちて改むるにはばかることなかれ

レポート提出の数が増えてきた。添付ファイルで提出されたものには,受領のメールを送っているが,ちょっと気にかかったことがあったので,ここに書いておく。明日の授業でも話すことになるとは思うが・・・。

気にかかったというのは,剽窃。ひょうせつと読む。他人が書いたものをそのまま無断で自分のものとして発表することである。つまり,盗みである。残念ながらそのようなレポートが提出されている。これは授業でも話したことだが,剽窃されたかどうかを調べるのはそれほど難しいことではない。今から時間に追われて,ネットからそのままコピペして提出するなどという安易な方法には決して頼らないでほしい。剽窃レポートは評価は0点である。すでに提出してしまったという学生は,締め切りまでは再提出してかまわない。自分の言葉で書いてほしい。前回が剽窃であったことで減点はしない。過ちて改むるにはばかることなかれ。

念のために書き添えるが,引用と剽窃は違うからね。

2008年6月25日水曜日

学習心理学Ⅰ: 調査のお願い

もう全く混乱していて,調査のお願いを明日からお願いしていたか,来週以降にお願いしていたか判然としません。

いずれにしても,明日の授業では調査のお願いはありません。来週以降,つまり,7月3, 10日の2日と,休講となる17日の補講日(予定では24日)の3日間に実施します。

高校訪問開始


大学全入時代である。良くも悪くも,大学で勉強したい,あるいは大学で様々な経験をしたいと考える高校生の全数よりも,現存する大学の定員総数の方が大きくなってしまっている。全入時代と言いつつも,自分が希望する大学に必ず入れるわけではなく,どこでもよければ必ず入れるということにすぎない。

大学側は,学力,人間力,その他様々な能力などなどにおいて,よりすぐれた高校生に入学してもらうための努力をしなければならないのは必然である。入試制度の変更,学部,学科やコースの新設などなど,少しでも高校生,高校の先生方,そして保護者の方々に興味関心を持ってもらえばと宣伝して回るのが,高校訪問である。

私もきょうと明日は親和の授業がお休み(調整休講)のために,高校訪問を予定していた。その1日目は大阪市内の高校。鈴蘭台という場所のために,なかなか大阪はおろか阪神間の高校生にも宣伝しにくかった親和だが,昨年より三宮と今年は三田からスクールバスを走らせているおかげか,今年度の大阪からの入学生は近年にない数に上った。ならば,親和のスクールカラーを好んで来てくれる高校生を大阪にも見つけない手はない。とりあえず,オープンキャンバスに,しかも今年から始めた神戸市内の5女子大(西から,神戸女子,神戸親和女子,神戸海星女子学院,神戸松蔭女子学院,甲南女子)が提携してのオープンキャンバスでのスタンプラリーの宣伝を中心に,きょうは7つの高校を訪問した。神戸5女子大のページへのリンクはこちら

資料だけ置いておいてという高校もあれば,40分以上も時間をとってくれた高校もあり,当たり前だが,いろいろである。すべての高校から関心を持たれる大学はおそらく存在しない。それぞれの状況に対応した大学があって,良くも悪くも棲み分けが出来ているのが実状だろう。それでも,訪問する側の立場だけを言ってしまえば,少しでも話を聞いてもらえれば有り難いのが本音ではある。

そこで,大学生にお願いがある。私が関わっている親和であれ,松蔭であれ,自分が在籍する大学がどうであるかを自分の出身校に帰って担任や進路担当の先生方に良い面も悪い面もぜひ伝えて欲しい。それぞれの個性に合う大学が見つけられるように,また高校の先生方がアドバイスされる際に役立つように,ひとりの大学生としての実感はとてもとても貴重な情報なのだということをわかってもらえたら嬉しい。

2008年6月20日金曜日

おめでとう


今までこのブログでは担当している授業を中心として,ゼミについてはあまり言及しないできた。つい最近嬉しい知らせがあったので書いておきましょう。

今年度のゼミ生は4回生が4名,3回生はゼロ(親和のゼミ選択は,基本的に学生の希望を重視するから,要するに私を指導教員に選択した学生がいなかったということである)。4回生の4名の内3名は就職希望なのだが,全員が現時点で内定をもらえたとのこと(あとの1名は大学院進学を考えている)。小学校以来(幼稚園や保育園を含めるともっと長くなるが),16年間に亘る児童・生徒・学生としての生活を終えて社会に旅立つわけだが,その行き先が現時点で決まったというのは嬉しい限りである。行く先々で幸多かれと祈っている。

さて,一方の卒業論文だが,2名の実験・調査がまもなく始まる。ここでアップできる内容があれば随時紹介していきたい。

心理学(共通教育) 第10, 11回 発達

先週,今週の2回で発達を終える。ピアジェもフロイトもハヴィガーストも省略しての発達の話。

発達とは何かという話から,発達段階の区分,発達初期から愛着,青年期から同一性,そして成年以降の発達課題,老年期の問題に言及して終了。

リアクションペーパーから印象的なものを授業でも紹介したがここにも書いておきたい。発達という言葉を聞くと,プラスの方向への変化しかイメージしないが,心理学ではマイナス方向への変化も含むことに驚いたというものや,私たちが日常的に使っている意味とは異なっていることに気づいたというもの。これは心理学のプロパーにもあることだが,使われている言葉がきちんと定義されているかどうかは重要である。また,日常的にも使われる言葉がそのまま心理学用語として流用されている場合には,心理学で意味する内容と日常的な意味との違いに気づかないままになってしまうことがあるだろう。それに気づいてくれた学生がいたことはとても嬉しいことだった。

行動分析学は言葉が難しいとよく言われる。日常的には使われることの少ない用語が行動分析学で使われているのか,その理由を考えてほしい。

さて,7月16日は休講。教室で連絡したとおり,7月30日の1限に補講する。

神戸松蔭 学習心理学Ⅰ第10回 オペラント条件づけ(1) 強化と弱化(罰)


オペラント条件づけへの導入。日常的な場面での行動や選択行動がなぜ生じたり生じにくくなるかについての具体例から,強化と弱化という概念だけを説明する。これらをまとめて反応強化子随伴性と呼ぶことについては,コメントしただけで時間切れになった。ちなみにアップしたファイルにはその説明のためのスライドも含まれている。時間切れになった理由についてはここには書かない。

また,ルール違反といえばルール違反。きょうから出席点をとらないことに突然決めてしまった。きちんと授業を受けている学生には申し訳ないが,前回の小テストのヒストグラムを見てもわかるとおり,きちんと受けていると考えられる学生は出席点が成績に反映されてもされなくても影響はないと考える。学習の定義を正答できた3割程度の学生の平均点は8割を越えるが,そうでない学生の平均点は5割に満たないことからも,それは言えるだろう。

さて,7月17日は休講と話したが,補講はできればその翌週にと教務課にお願いしてある。最終決定は現時点ではできないとのことで,決まり次第掲示されるだろうし,連絡があればこのブログでも報告する。

なお,きょう使ったファイルは青をベースとしていたが,印刷している学生が少なからずいるようなので,背景を白にしてアップしてある。内容に変化はない。ささやかながらインクの節約のために・・・。

2008年6月16日月曜日

認定心理士の申請状況

先週土曜日に認定心理士資格認定委員会に出席しました。6月の認定委員会に間に合うかと思っていたのですが,残念ながら予定が1週間早まったこともあって,今回の委員会には親和からの書類は審査されませんでした。提出してからすでに2ヶ月以上経っているのにという声が聞こえてきそうですが,ここはもう少し待っていただくしかありません。

次回の認定委員会は2ヶ月後,つまり8月の下旬(現在の予定は23日)に予定されています。果報は寝て待てということで,ご了解下さい。

さて,今回も数多くの問題が出てきました。資格申請は原則として個人で行うことになっており,たとえば卒業してからしばらく経ってしまうと,申請に必要なシラバスの入手が難しかったり,教員の捺印をもらうことが難しかったりします。それだけでなく,今回も研究法と実験実習の領域で問題となったために不合格や保留になった申請が少なからずありました。

臨床心理学をカリキュラムの中心に据えた大学の中には,いわゆる基礎的な心理学の研究法や実験実習がきちんと教えられていないようにみえるものがあります。科目名には研究法と書かれていながら,内容は体験実習のようなものだったり,心理学統計法と書かれていながら,その入門編としてのコンピュータ実習のような内容だったり,などなど。申請された書類のひとつひとつについて,シラバスと書かれている内容を吟味しながら,問題がないかどうかをチェックする作業はけっこう大変です。

当初そんなに認定心理士の資格を取ろうとする学生は多くないのではと勝手に想像していたのですが,現実には毎回多くの申請を審査させていただいており,きちんと仕事をしなければと毎回思いを新たに取り組んでいます。

2008年6月13日金曜日

心理学レポート参考文献

レポート作成のための参考文献を紹介する。
1回生のしかも共通教育のための授業だから,図書館などにある一般教養の教科書の該当する章を適宜読んでもらうだけでもよいが,もっと勉強したい学生のために,比較的入手しやすそうなものを選んだ。図書館にあるものが含まれているが,ここでは特定しない。各自で調べてほしい。

A. 知覚・錯視
北岡明佳 (2007). だまされる視覚  化学同人
馬場雄二・田中康博 (2004). 試してナットク!錯視図典 講談社
藤田 一郎 (2007). 「見る」とはどういうことか―脳と心の関係をさぐる 化学同人
フリスビー, J.P. (1982). シーイング 誠信書房
後藤倬男・田中平八編 (2006). 錯視の科学ハンドブック 東京大学出版会
山口 真美 (2005). 視覚世界の謎に迫る―脳と視覚の実験心理学 講談社ブルーバックス

B. 記憶
池谷裕二 (2001). だれでも天才になれる脳の仕組みと科学的勉強法 ライオン社
池谷裕二 (2001). 記憶力を強くする―最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方 講談社ブルーバックス
池谷裕二 (2007). 進化しすぎた脳 講談社ブル-バックス
池谷裕二・糸井重里(2005). 海馬―脳は疲れない 新潮文庫
マッガウ, L.J., 久保田競・大石高生(訳) (2006). 記憶と情動の脳科学 講談社ブルーバックス
高橋雅延 (1999). 記憶のふしぎがわかる心理学 日本実業出版社

C. 学習
伊藤正人(2005). 行動と学習の心理学 昭和堂
実森正子・中島定彦 (2000). 学習の心理 サイエンス社
久美沙織(2003). 人生思い通りにコトを運ぶ法 三笠書房
小野浩一(2005). 行動の基礎 豊かな人間理解のために 培風館
杉山尚子(2005). 行動分析学入門: ヒトの行動の思いがけない理由 集英社新書
渡辺芳之・佐藤達哉 (2000). 図解心理学のことが面白いほどわかる本―本当のことがホントにわかる! 中経出版

神戸松蔭 学習心理学Ⅰ第9回 パヴロフ型条件づけ(6): 生物学的制約


今回でパヴロフ型条件づけは終了。生物学的制約の話も,理論的に意味があるテーマなのだが,生活実感からすれば,そんなの当たり前じゃないかという話である。けれども,少し考えてみればわかってもらえると思うが,私たちが日常的に「当たり前」と感じていることを,どれだけきちんと説明できるかはとても怪しいのである。

「当たり前」ということばと近いものに,たとえば「ふつう・・・」という表現がある。「ふつう○○するでしょう」,「××するのがふつう」,そしてそれを論拠にして,「あれは変」「変わっている」「おかしいんじゃない?」というような判断がなされているように見える。その「ふつう」というのは,何を基準に「ふつう」なのだろう。

ある人は自分が見聞きしたことを基準に「ふつう」という表現を使うのかもしれないし,またある人は本で読んだこと,別の人は科学的にわかっていることを基準に判断しているのかもしれない。そうした判断基準の違いは措くとしても,私たちが事実として知っていることと,それをきちんと説明することとは同じでないことに気づいて欲しい。授業で紹介した池内了氏の「疑似科学入門」も,そのような私たちの認識の危うさに関わっているものなのである(そのタイトルにある「疑似科学」を理解するというよりも)。危ういからこそ,簡単に何かを信用してみたりしてしまうという意味に於いて。

2008年6月9日月曜日

神戸松蔭 学習心理学Ⅰ第8回 パヴロフ型条件づけ(5): 随伴性空間

さて,パヴロフ型条件づけもいよいよ佳境に入ってきた。先週の信号機能の続きとしての情報獲得の基礎過程としてのパヴロフ型条件づけである。どうしても確率の話をしなければならないために,たぶん取っつきにくい話だろう。2つの確率差分でどのような条件づけが成立するかが決まると言われてもたぶん最初はイメージしにくいと思う。ただ,それが一度わかってしまえば,自分自身の日常的な思いにバイアスがかかっていたことに気づくまでには時間はかからない。

2008年6月6日金曜日

学習心理学Ⅰ 小テスト欠席者対応

6月5日の授業でアナウンスしたように,小テスト当日(5月29日)の授業を正当な理由で欠席した学生は,別紙の要領でレポートを提出して下さい。

2008年6月4日水曜日

親和のロゴマーク: 人に学び,人に生かす


先日のAO入試説明会,そして先週末の大阪,今週初めの姫路,今週末の鈴蘭台,そして来週の岡山と,本年度の入試についての説明会が始まった。大学では多くの受験生に関心を持ってもらうために,少なくない活動を行っている。現在進行中の大学主催の説明会だけでなく,業者が主催するものには,入試課の職員が文字通り休日返上で東奔西走している。

そんな中,私も始めて知ったのは,ここに掲げた親和のロゴマークのこと。もちろん見慣れたものだったのだが,その意味についてはアルファベットのSをデザインしたものという程度の推測にとどまっていた。緑は確かにSだけれど,オレンジ色の丸は何だろうと,尋ねられればなるほどという話である。オレンジの丸は人の頭,つまり,このSにはふたりの人間が集っている,あるいは踊っている姿としての意味が含まれていたのである。そうしてみれば,親和の「人に学び,人に生かす」というキャッチフレーズとつながりを持っていることに気づくには時間はかからない。なるほどと感心できたのは,入学案内が上梓されたためである。

さて,肝心の入試説明会は,絶対数はそれほど多くはないものの,高等学校をはじめとする熱心な先生方にお集まりいただくことができて,入試業務の対外的な始動としては順調と言っていいかな。

心理学(共通教育) 第9回 学習・行動その3

パヴロフ型,オペラントをそれぞれ1日で終わらせる。きょうのオペラント条件づけでは,日常的な行動を例示しながら,強化と罰の概念を十分に理解してもらうことが目的である。ここでも通常の教科書に書かれているようなラットの話もハトの話もほとんどしないまま。

このところ,フロアに出かけて学生の意見を聞きながら授業を進めるようにしている。つい最近(実感とすればもうずいぶん昔のような気がする)の教育実習の見学で感じた,学生を参加させる授業をという試みのひとつである。ただし,マイクを向けられることが苦手な学生には,ひとこと「パス」と言ってもらうだけお願いしている。私の印象とすれば,それほど悪くないのだが,さて,学生ひとりひとりがどのように感じているのだろうか・・・。

松陰の学習でも書いているが,条件づけの言葉は,人間を含む生体の行動を科学的に説明するためものであり,その言葉で書かれた知見を応用することで,困った人たちや困った状況を解決したり,解決の手助けをするためものである。科学的にものを考えることが好きな学生や将来的に臨床や応用的な仕事をしたいと考えている学生は言うに及ばず,日常生活での自分の行動を振り返ったり,より適応的な行動を獲得するためのひとつの方法論である,学習心理学・行動分析学に興味を持ってもらえればとてもとてもうれしい。

きょう,授業内レポートのアナウンスをした。きょう欠席していた学生は,心理学のページにアップしてあるファイルで内容を確認してほしい。また,授業の後で,手書きで提出したいのだが,いわゆるレポート用紙(罫線の印刷されている市販のもの)を使ってもよいかという質問があった。またメールでB5サイズの用紙を使ってはいけないかという問い合わせがあった。A4版であれば罫線が入っていても構わない。ただ,大学でレポート,やがて卒業論文を書くときに,ワープロを使わないことはもう考えにくい。自宅にはパソコンがないとか,あったとしても自分が専用で使うことができにくいといった事情があるだろうが,ワープロを使うことをぜひぜひ薦めたい。

2008年5月31日土曜日

神戸松蔭 学習心理学Ⅰ第7回 パヴロフ型条件づけ(4): 信号機能

1回目の小テストを実施したせいか,これまで多いときで91名,少ないときでは80名の出席者数が,この日は97名になった。そのうち初めて出席した学生は3名。これをきっかけにして,継続的に出席してくれればと思う。

さて,小テストはまだ採点していないが,リアクションペーパーには,難しかった,全然だったというものから,けっこうできたとか,個人的に出題の方法がすきというものなど,様々な反応があった。ただ,出題する側の勝手な言い草を書いてしまえば,今回のように,学習の定義,条件づけの基礎過程の説明,それらの日条例は,理解してもらわなければ先に進まない話である。
人間の行動を記述して説明する際に,用いる基本的な用語だから,言ってしまえば,「学習心理学語」の基本単語。人間の様々な行動を記述して説明するというのは,喩えてみれば,私たちが日本語以外の言葉を使って,自分の思いや情報を伝えるようなものである。その言葉の基礎的な内容や使い方を知らなければできない相談である。授業でもまた言及するが,これを機会に,復習,確認してほしい。

今回のリアクションペーパーには,「テスト難しいです。もうちょっと時間をいただきたいです。授業もよくわかりません。もっと簡単に説明してください」,さらに,「A君はみるだけでどきどきするのは結局どーゆーことですか? サッカーは関係あるんですか?」という反応もあった。約束通りに,リアクションペーパーは,誰が書いたのかチェックしないから,これまでほとんど出席していなかった学生によって書かれたものか,それとも熱心に参加していた学生によるものなのかわからない。ただ,ここでも教える側の勝手な言いぐさを書いてしまえば,もっと早くに書いてほしいというのが正直なところである。小テストが思うように書けなくて,これまで書きたいのに我慢していたことを素直に書いたということなのかもしれないけれど・・・。

ちょっと困ったことが起こってしまった。というのは,問題1を無回答の答案がたくさんあること。実をいえば,昨年度も全く同じことが起こってしまっていたのである。答案を出すときになって気づいた学生もいて,そのときや授業直後にそんな話を聞いたり,リアクションペーパーに気づかなくて残念といったコメントもあったのだが,無回答の答案が予想以上に多い。昨年度もそのようなことがあったのを,まったく失念していたために,問題の書き方をもっとわかりやすくするのも失念していたのである。

次回の授業で返却予定だったのだが,念のために学生と話して,問1については正規の得点から除いて,いわばボーナスポイントのような扱いにすることを提案しようと思う。昨年度の親和での研究法のテストとはまた違った問題点だが,フェアであることを第一義にして善処できればと思う。

心理学(共通教育) 第8回 学習・行動その2

学習・行動の2回目というか,パヴロフ型条件づけの概観。獲得と消去でいっぱいいっぱいである。

今回話したような,また松蔭で話しているような,誰かを好きになるひとつのパターンでパヴロフ型を説明し始めたのはもう数年前になる。イヌの話でパヴロフ型,ラットやハトでオペラントのそれぞれ典型的な実験を紹介して,それを説明するために条件づけの言葉を用いると,学習心理学はヒトのことでなくて動物の話だと誤解してしまう学生が多くいるように感じられた(データはないが)のがそもそものきっかけである。けれども,昨年あたりから気づいたのは(そしてたぶん以前にもこのブログのどこかに書いたが),今度はパヴロフ型とは,誰かのことを好きになることと理解してしまう学生が少なからずいた。

学習心理学が日常的な人間の行動を説明するのに有効な手段であるばかりか,さまざまな応用場面においても人間を見つめる一つの視点を与えてくれる強い武器であることが伝えるというのが,まずは目標なのである。

2008年5月27日火曜日

5月29日 学習心理学 小テスト

このところ,アクセス数が急増している。と言っても,もちろん一般に言うものに比べれば1桁も2桁も少ないのだけれど,このごく限られた対象のためブログにすれば特筆できるここ2~3日である。

さて,そのアクセス数増加の理由の一つには,学習心理学の小テストがあるのかなと想像する。そのために少しでもとは思ったのだけれど,結局改めて書くべきことがない。以前に書いたものの繰り返しにしかならない。つまり,基礎的な用語についてきちんと理解できているかどうかについてのテストということでしかない。敢えて付け加えるとすれば(そして不公平が生じないように,試験当日にもアナウンスするが,採点方法は基本的に減点方式ではない。少しあやふやかなと思うことを書いて不正解だからと減点はしない。言い方は直截だがふたつでもみっつでも書いてみて正解があれば,それでOKである。

どうぞくれぐれも受験前から諦めてしまうことのないように。

2008年5月25日日曜日

グリーン・オープンキャンパス

日曜日のきょうは午前中からグリーン・オープンキャンパスと称した,AO入試の説明会。ミント神戸のサテライトキャンパスを会場に,AO入試を中心とした説明と個別の対応を行った。

幸いに30組近くの高校生,ご両親,高校の先生にお集まりいただくことが出来た。神戸近郊だけでなく,兵庫県内はもとより,高知県,香川県などからも参加していただいた。

以前にもAO入試について書いたことがあるが,学力試験がないことが主な理由なのか,一般にAO入試は簡単に入学できる手段と誤解されているような気がする。けれども,少しでも考えてもらえれば,たとえばセンター試験を通じての国公立の試験よりも,より丁寧な,ある意味で難しい試験形態であることに気づくことはそれほど困難でない。

話は飛躍するが,センター試験で受験校を決めることは,結婚相手を見つけるときに,その人がどのような人かが書かれた釣書だけを読んで,あるいは知り合いの誰かから話を聞くだけで決めてしまうようなものかもしれない。その人と自分との相性がどうか,実際に生活し始めたときにどのような問題が生じるか,どのように楽しむことができるかきちんと知らないままに結婚相手を決めるようなものである。そこでまず必要とされるのは,学力を磨くことである。自分と相手との関係がどうであれ,人間が持っている様々な能力のうち,学力を向上させなければ,思いを遂げることは難しい。また,AOと同様に専願である指定校推薦は,主に高校との信頼関係の上に成り立つ入試形態であり,AOのように,同じ学科の教員が複数ずつ3度に亘って面談・面接するのでなく,1度だけの面接で判定する。

誤解を招かないために,急いで付け加えなければならないが,そのような試験形態を否定しているわけではない。むしろ,ここで私が言いたいのは,一般に肯定的に受け止められている学力試験や指定校推薦などの入試形態に比べて,AO入試が軽視されすぎてはいないかという点である。

大学は,アドミッションポリシーを呈示し,親和であれば,ただ志願する生徒がそのアドミッションポリシーを満たしているだけでなく,入学後に学科を引っ張っていくような役割を期待する。今年度の心理の新入生はそのような役割をここまで十二分に果たしてくれていて,私たちが望むAO入試が実現できているのは嬉しい限りである。きょうの説明会を手伝ってくれたふたりの在学生はいずれもAOで入学した学生だが,高校生だけでなく,そのご両親などに対しても,きちんと自分が体験したことを自分のことばで説明できていたことに,私はあらためて感心した。そして,そのような学生をAO入試で選抜できていることをとても嬉しく感じることができた。

そのようなAO入試であるからこそ,本選好の最終面接に至るまで2度の話し合い(予備選考)を実施し,大学が望む受験生かどうか,受験生が望むことを大学が提供できるか,つまり,受験生の考えていることと大学が提供できることにギャップがないかをひとりひとりについて検討するのである。1度の学力試験で合否を判断するよりも,実はと言うまでもなく,AO入試は手間と時間をかけた選抜方法なのである。大学は様々な色を持った,個性を持った,目的を持った学生たちの集まる場所だが,親和には親和らしさ,言うならば私学であればどこでも持っているだろう「カラー」がある。私たちは,私たちが誇りに感じている,「親和カラー」を大切に受け継いでいきたいと考えている。そして,AO入試で親和を志す受験生は,その「親和カラー」を受け継ぐ担い手であって欲しいと期待しているのである。

きょうの初めての説明会で,親和を気に入ってくれた高校生が多かったのは私たちにとってはとても嬉しいことだが,ミントキャンパスだけでなく,鈴蘭台のキャンパスを訪れて,大学の雰囲気を知り,学科の複数の教員と直接に面談した上で,やはり親和に来たいという受験生がひとりでも多くいてくれれば,そして入学後に「ああ来てよかった」と満足してくれる学生がひとりでも多くいてくれればと願ってやまない。

2008年5月22日木曜日

教育実習

ゼミ生が教育実習でお世話になっている中学校にご挨拶に上がる。

高校へは,入試関係のご案内や模擬授業等で頻繁に立ち入るが,中学校の教室内に立ち入ったのはたぶん卒業以来ではないだろうか。教員が板書しながら授業を進めるスタイルは基本的には変わっていないように見える。また,誤解を恐れずに書けば,生徒たちがとてもまじめに授業を受けていたことに少し驚いた。校長先生が教室に入り,教育実習生が授業を担当し,また私のような部外者が見学に来ている状況では滅多なこともできないだろうが,お話によれば,生徒たちの授業態度は校長先生や私の存在とはあまり関係なく,十分まじめであるとのこと。

これまた驚いたのは,実習生が生徒たちに,「○○についてわかる人?」と質問すると少なからぬ数の手が挙がること。そういえばそうだったと思い出したことに,「前に出てきて黒板に書ける人?」という問いかけにも同じように何人もの生徒が入れ替わり立ち替わり反応していた。確か高校でも数学の授業で前に出て解答するなどということがけっこう頻繁にあったなと思い出した。

良くも悪くも大学の授業ではそのようなことが多くない。質問の仕方を工夫することで少しは変わるのかもしれないが,より積極的に参加できる授業ができればと感じた。

2008年5月21日水曜日

心理学(共通教育) 第7回 認知その4, 学習・行動その1

第7回目でようやく学習に半歩足を踏み入れたところ。第7回というと,シラバスでは学習が終わっていなければならない段階。白状すれば,前任校では心理学は通年の科目だったため,どうしてもそんなペースになってしまいがちなのである。共通教育,一般教養としての心理学は,単に心理学を概観するだけでなく,とてもとてもおもしろい(独立しているように見える各領域が有機的に関わり合っていたりする)。そのおもしろさがわかるには,各領域を単に概観するだけでは不十分なような気がするのである。

かといって,シラバス通りに進んでいないのはルール違反。2週で1領域から1.5週で1領域というような形にしないと,おもしろさを云々する以前の話になってしまいかねない。

もうひとつ申し訳なく思うことは,リアクションペーパーのひとつひとつにきちんと回答や言及できないことである。最近聞いた話では,私の知り合いの先生は300人を越える受講生に毎回記名式でリアクションペーパーを書かせて,その翌週にひとりひとりにコメントを添えて返却しているとか。私の授業では,自由に内容を書いてもらうために,コメントを添えることができないでいる。何かよいアイディアがあればよいけれど・・・。たとえば,このブログ以外のサイトを準備して,そこにコメントを載せるとか・・・。

きょうの授業のまとめを最後に。長期記憶の分類と人間の行動のほとんどは学習行動であることこの2点が理解できればOK。

ちなみに,授業の中で言及したMortyはこちらから

2008年5月16日金曜日

認定心理士書類チェック完了

一昨日届いた修正書類を再度修正して,3月末までに受け取った応募書類のチェックがすべて完了しました。確認の捺印と封を事務方にお願いして,週明けには発送できると思います。折り返し受領のはがきが届くことになりますから,もしこれから1ヶ月の間にはがきが届かない場合は,連絡してください。

予想以上に,修正をお願いした方からの返送に時間がかかってしまい,全体の発送が遅くなってしまったことについて,申し訳なく思います。

2008年5月15日木曜日

神戸松蔭 学習心理学Ⅰ第6回 パヴロフ型条件づけ(3): 消去過程

今日でごく基礎的な過程についての話が終了。興奮性条件づけ,抑制性条件づけ,般化,分化,高次条件づけ,そして3つの刺激とそれに対応する3つの反応。

きょうの話はごく単純な内容だったのだけれど,追加した方がよいかと思うことが二つある。ひとつは,獲得遅延テストのこと,もうひとつは条件づけが言及する範囲について。

きょうのリアクションペーパーには難しかったというコメント,とりわけ消去の理由(獲得遅延テストを使った説明)が難しかったというコメントが多かった。論理的な思考はよいとしても,実験のロジックについてある程度理解できていないと,きょうの実験やデータについて理解すること難しいかもしれない。研究法が重要である理由の一つでもある。

もうひとつの条件づけが言及する範囲というのは,授業の後で個人的に質問に来てくれた学生との話で気づかせてくれたことである。犬の話とか,Aくんの話とかいろいろ話すのはわかるが,条件づけって何なのかという(ニュアンスが違っていたらごめんなさい)質問である。条件づけはあくまで説明する手段である。一番重要なのは事実,そこで観察される事実,つまり私たちの行動である。犬の唾液分泌であれ,Aくんを見たときのどきどきであれ,それらは事実である。それを説明すると共通した原理で説明できるのだと言うことがわかってもらうべきこと,つまりパヴロフ型条件づけがどのような現象かがわかってもらうべきことなのである。

さて,来週(5月22日)は授業で予告したとおりに休講。現時点では補講の必要はないと考えている。翌々週(5月29日)が確認テスト。出題範囲は,パヴロフ型条件づけの3回分。行動のタイプとか科学とはという話については出題しない。基本的な用語とそれらの日常例が書ければ十分である。但し,持ち込みはすべて不可。10分から15分程度で解答できる内容を予定している。

再来週に向けて準備を頑張って下さい。

心理学(共通教育) 第6回 認知その3


この日から学習心理学の予定が遅れてまだ記憶が終わらず。記憶だけで1回半程度かかってしまっている。来週HM症例をベースとした長期記憶の分類から学習心理学に入る予定。

ハノイの塔の例は,図にあるパズル(Eduardo Lucasというフランスの数学者によって1883年に開発された)をHMという海馬摘出手術を受けたある患者が,その後選択的な記憶障害を発症したことを典型的に示す話である。そのパズルをやったこと,そのパズルをやるときに会った人などについては記憶に定着することはなかったものの,パズルのやり方はうまくなった(学習した)のである。ここから,記憶にはいくつかのタイプがあることなどが示唆される。その具体的内容については来週扱う。

2008年5月8日木曜日

神戸松蔭 学習心理学Ⅰ第5回 パヴロフ型条件づけ 獲得過程2: 般化・分化・高次条件づけ

とうとうやってしまった・・・。怒る前に,叱る前にやるべきことがまだあったのかもしれない。そしてこの後味の悪さ。そんなことは理想論だとわかっていても,多くの学生に関心を持ってもらえるような授業をすべきなのだろうと思う。自己弁護すれば何度かのプロンプトを呈示しても,行動に変化が生じなければ致し方ないと言い訳をしたくなってしまう。幸いなことに,リアクションペーパーでは多くの賛同をもらえてもいるし。来週以降の授業でのよい反応を期待している。

さて,きょうの話は般化・分化・高次条件づけ,そしておまけの実験神経症。紹介した日常例に近いことを少なくない学生が経験しているとのこと。その個別の事例から,さらに一般化した般化や高次条件づけの理解が進めばと思う。

かつて思ったことの一つにこんなことがある。パヴロフ型条件づけを理解してもらうためにきちんと統制のとれた犬を使ったパヴロフ自身の実験を紹介すると,それは犬の話であって人間とは関係ないでしょという反応がある。最近試みている,人がなぜ人を好きになるのかをテーマとしてパヴロフ型条件づけのことばで説明すると,そんな単純ではないという反応とか,逆に過度に一般化してパヴロフ型条件づけは誰かのことを好きになることなんだという,比較的短絡的な理解にとどまることがある。パヴロフ型条件づけに限らず,ほとんどの心理学が扱っている内容は,個々の事例についての個々の理解でなく,一般化されうる理解なのである。授業で紹介する事例だけでなく,多くの日常例を考えてもらうことですこしでもきちんとした理解が進めばと願ってやまない。

心理学(共通教育) 第4・5回 認知その1,2


4月30日に知覚の恒常性などを終わらせて,認知心理学のアウトライン(どのような領域があるかについての概観)を話す。連休を挟んで5月7日は認知の実質的な第1回としてパターン認知といくつかの記憶のデモ実験を話す。

リアクションペーパーを見るまでもなく,前回までとは学生の表情が違っているのが気がかりである。錯視などの知覚のデモを含めた話題は実感できる話だが,パターン認知は確実に人間の脳が行っている処理ではあるが実感できにくい内容になってしまう。心理学が扱う認識論はあくまでも実証的であるが,古来人間の持っている外界を捉える働きについての疑問は直観的な不思議さを内包しており,その不思議さは残念ながら実証できない。私が見ている世界と別の人が見ている世界とはおそらくは同じものなのだろうが,同じであることを実証できるのは,あくまでも操作的なレベルである。

外界の知覚はまだ操作的に理解できる範疇にあるのだろうが,私があまり好まないことばの一つである,「私も同じ経験をしましたから,あなたの気持ちがよくわかります」となると,クエスチョンマークの数ははるかに多くなってしまう。同じ経験というのがまずわからないし,何かを基準として同じ経験をしたからといって,そこで生じている感情的な変化が人間を越えて同一であるかどうかとなるとさらにわからない。

心理学で扱っている内容とは離れてしまうが,知覚や認知の問題はこのようなごく基本的な内容についての疑問を提起しているからこそ面白いと私は思うのである。そして,それは赤ちゃんがどのようにこの世界を認識しているかという知覚発達や認知発達の問題も提起する。授業では紹介していないが,山口 真美・金沢 創(編) (2008). 知覚・認知の発達心理学入門―実験で探る乳児の認識世界 北大路書房,同じ山口先生による新書,下條信輔 (2006). まなざしの誕生―赤ちゃん学革命 新曜社など,興味深い著書も少なくない。授業の中で扱われる内容をきっかけにして,興味を広げてもらえれば嬉しいのだけれど・・・。

2008年5月2日金曜日

オンとオフ

世の中はゴールデンウィーク真っ只中。常々思うことの一つに,こんなことがある。

日本の町並みはばらばら,でもそこで動いている人たちの思いや活動は似通っている。欧米の一部の町並みは統一されている,でもそこで動いている人たちの思いや活動はばらばら。

周囲が何をしているかは常に自分の行動を律するための規範であり続けている。行動分析学で言うところのルール。あるいは,実際に働いている阻止の随伴性,最後に働いている好子・嫌子はもちろん社会的なもの。自己主張することを強化する社会・文化と,何となく周囲がやっていることからはみ出ることを弱化する(正しい言い方ではないけれど,受動的な回避行動を強化する)社会・文化との違いがそのエッセンス。

だからといって,欧米の社会や文化をよりよいと結論づけるまでの確信は無いけれど,折に触れてそんなことを感じてしまう日本の社会・文化にある生きにくさを痛感する人は少なくないはずなのだけれど・・・。

きょうの2回生のゼミは出席率が低かった。私が学生だったとしたら(但し,今の時代の学生だとしたらちょっと違っているかもしれないが),今週の月,木,金の3日は必ずや大学には出席していなかっただろう。授業以外に大切なことは山ほどある。時間が許すからこそできることもある。カレンダー通りに活動しなければならない窮屈さを,それでも周囲がそうしているからという理由で否定してしまうのは,大学に4年間しか在籍しないほとんどの学生にはとてもとてももったいない気がするのだけれど・・・。

こんな書き方をすると,どこかからお叱りを受けるのではないかしらという思い(経験から学習した行動の随伴性である)に抗っている自分をちょっとだけ誉めてやりたい。

神戸松蔭 学習心理学Ⅰ第4回 パヴロフ型条件づけ 獲得過程1

3度目ならぬ4度目の正直で,今年度初めての晴れの木曜日。そして,本題の条件づけの話に入っていく。

パヴロフ型条件づけは,古典的条件づけ,レスポンデント条件づけと呼ばれることもある,自律系の反応の学習の基礎過程であると同時に,近年は情報獲得の基礎過程としても扱われることがある。きょうのリアクションペーパーを読む限りでは,私の例示の仕方が望ましくなかったようで,オペラントとレスポンデントとが混同されたままのように見える。これについては,次週まず確認する予定。

「パヴロフの犬」という表現は人口に膾炙しているものの,きわめて機械的で人間の行動の基礎原理として考えるにはあまりに単純すぎるという意味を含んでしまっているように思える。一般に例示される,唾液分泌や瞬きといった反応だけでなく,感情や情動という,一般にこころの働きを考えたときにまず最初にイメージされる働きにも,大いにかかわっていることにもきづいてほしい。最初は,例示した内容から,オペラントもレスポンデントも混同してしまっても致し方ない,というよりも,日常的な私たちの行動を厳密に二分して,どちらか一方だけしか関わらないものを考えることの方が実は難しいのである。

2008年4月29日火曜日

脳が意志を持つ?

最近飛ぶ鳥を落とす勢いの茂木さん。きょうもNHKで持論・すべては脳が意志を持ち,脳が行っているというトートロジーを展開している。脳が飽きる,脳がつまらないと思う,脳が不確実なことと確実なこととのバランスを取ろうとするetc.。「脳」を「私」に置き換えても,「人間」とか「自分」に置き換えても,全く意味は変わらない。

動物は飽きられない,人間だけが飽きられる,ひとつひとつの発言がもう意味不明である。「飽きる」をどのようにていぎするのだろう,「脳は変わることができる」ということばと,「人間はかわることができる」以前に,「人間は経験によって変わる存在である」という行動分析学の基本理念と,どちらが「何かを説明」しているのだろうか。変わることや判断することや脳が行っている活動を否定する必要はないし,それは事実だが,それは何によって生じている活動なのだろう。

「脳」の活動,機能が,「こころ」であること,「脳」の構造はその入れ物であることは,もはや否定使用のない事実であるが,脳を擬人化することは本当に奇妙に響く。クオリアを理解したいという話と,彼が最近様々なメディアを通じて発言していることとの弁別をして欲しい。少なくとも,発信する彼でなく,それを媒介するメディアに判断する力を持って欲しい。彼の発言のいくつかは,スピリチュアルだとか,一時期の「あるある」と変わらない。「あるある」の一時期と同様に,「科学」のふりをしているぶんだけ一層悪質である。

ちょっとだけ擁護すれば,彼もいっぱいいっぱいなんじゃないかな。要求されたことに応えようとする,ナイーヴな良心の故に,あるいは,顕示性のためにきちんとわかっていないことまで,それなりに応えようとしているのではないかしら。それが不憫というか痛ましくさえ見えてしまうのである。

2008年4月25日金曜日

神戸松蔭 学習心理学Ⅰ第3回 行動の種類


人間の行動の特徴を一言で言えば,学習行動がレパートリーのほとんどであるということです。もちろん出発点は生得的なものですが,その出発点からひとりひとりの経験(周囲との社会的・物理的関わり)によって変化する度合いが他の動物たちに比べて大きいのです。

ところで,授業で紹介したミッキーマウスの進化ですが,あれから再度調べたところ,モーティマーは甥でなく,ミッキーのおじとミニーの幼なじみのふたつのキャラクターがあるそうです。甥は当初お話ししていたとおり,モーティー Morty でした。またモーティーはフェルディ Ferdie と双子なのだそうです。その1シーンを画像としてアップしました。

しかし,松蔭での学習心理学の日はこれまで3回続けて雨模様。このようなとき,リアクションペーパーにもありましたが,「私は雨男?」という表現が出てくることがあります。このあたりのことは,人間の随伴性判断や確率の理解に偏りがあるためと考えられているようです。それにしても,授業でも一度話したように,私はこれまで晴れ男であると自認していたのですが・・・。来週こそは晴れるように,みんなでてるてる坊主(今でも作られているのでしょうか?)でも作りましょうか。

来週に話す分まで含めて,ファイルをアップしました。ここからどうぞ。

2008年4月23日水曜日

ファイルのダウンロードについて

結局理由はわからないのですが,通常の方法でダウンロードできるようになっているようです。おそらく,Googleのシステム上の問題だったのでしょうか。私は,このようなときに,日頃が便利なだけによけいいらいらしてしまいます。いろんなことが便利になったぶんだけ,しばらくの時間待つとか,我慢するとかいった行動が生じにくくなっているのかもしれません。最近の若者は切れやすいといった表現を安易に使ってしまいがちですが,それを性格や気質の問題にでなく,環境との関わりによって考えてみれば(つまり,行動分析学的に考えてみれば),何かが見えてくるような気がします。

心理学(共通教育) 第2・3回 感覚・知覚その2

初めてのサテライトキャンパスをつないでの授業,先週と今週の2回が終了した。それに伴って,授業計画を変更して,性格・知能を後回しにして,感覚・知覚の話から始めた。

錯視の話は,たぶん誰が聞いても見ても,素直に「おもしろい」と感じられる内容であると信じている。私の専門である行動分析の話のように,少し言葉などを理解しなければならないのに対して,素直に感じられる,文字通り「感覚・知覚」される内容である。そして,そのように入り口でおもしろみを感じつつ,奥行きもとても深い。人間の感覚の不思議さ,複雑さを知ることのできる興味深い分野である。

学問が,そのように入り口でおもしろいと感じられて,それをきっかけとして深めていければいうことはない。リアクションペーパーにも,おもしろいという反応が数多くあるが,現象としてのおもしろさだけでなく,その背景の特徴や理論に,またそうした現象をとらえる方法自体のおもしろさも感じてもらえるようになればと思う。

左のリンク一覧, 神戸親和 心理学 (共通教育) から前回と今回と使用したファイルをダウンロードできます。

2008年4月22日火曜日

認定心理士 認定委員会出席しました

先週末,2ヶ月に一度開かれる認定心理士資格認定委員会に出席してきました。年度初めと言うこともあって,多くの申請があったのですが,今回もこれまでと同様に,基礎科目で不合格になった申請が数多くありました。つまり,その内容が,認定委員会が要求する研究法,実験実習の基準を満たしていないというものです。再度強調しておけば,大学で心理学を学ぶことの意味は,研究の方法論の獲得と,実践するための技術の獲得にあります。

もうひとつ気にかかったのは,書類作成上の単純な不備が散見されたことです。親和では私が担当して,説明会を行い,具体的に記入する内容をプリントで配布し,提出前に再度不備が内かどうかを確認してから一括して認定委員会に送付するようにしています。ひとりひとりが注意していても間違いを無くすことは非常に難しい相談だからです。申請用紙,特に科目履修の一覧には,証明者としてそれぞれの大学の先生(多くはゼミ担当なのでしょうか?)の署名と捺印をいただいていますが,その際にチェックしていただければ,例えば合計の単位数不足で不合格になってしまうようなことを無くせるとは思うのですが・・・。

ファイルのダウンロードについて

理由がわからないので困っているのですが,なぜかリンクを貼ってもダウンロードができない状態が続いています。しばらくの間は,ここからファイル名を探してダウンロードして下さい。

2008年4月17日木曜日

神戸松蔭 学習心理学Ⅰ第2回 行動のなぜと科学的説明

今年度も担当させていただく神戸松蔭女子学院大学での学習心理学ⅠとⅡ。内容は昨年度と基本的に同じものとする予定。

授業で使用したファイルは,パワーポイントではないけれど,ここからダウンロードできるようにしている。配布したプリントは,これらの一部だが,授業中にアドリブで話した内容についてはファイルには反映されていない。むしろ,このblogの中で,リアクションペーパーの内容などにも言及しつつ,書き込む予定である。

きょうの授業で話した科学としての心理学の問題は,何人かの学生には理解しづらかったようである。哲学と心理学はつながりを感じられるけれど,科学と心理学とはつながらないという反応があった。授業中にも話したように,哲学と科学とは基本的には同じものだった。Phil(愛する)+Sophia(智)としての哲学,Scere(知る)を語源に持つ科学。心理学が日本に学問として入ってきたときには,すでに今でいうところの自然科学の多くはいわゆる哲学からは枝分かれして独立した学問として成立していたのに対して,心理学は依然として哲学の中に含まれている学問であった。さらに,これは奇妙なことだと私は思うが,哲学は大学の「文学部」の中に置かれてしまったために,心理学もそこから枝分かれした後も,日本では「文学部」の中に当初置かれてしまっていた。

現在,心理学は非常に様々な学部の中に,名称も様々に設置されている。神戸親和では発達教育学部,神戸松蔭では人間科学部,私が卒業した大学では,文学部,教育学部,人間科学部の3つの学部にそれぞれ心理学科に近いものが置かれていたし,学位を取得した大学では,生命科学部(含まれている学科は,解剖学・発生生物学,生化学・分子生物学, 生物学, 人間コミュニケーション科学, 薬(理)学, 音声・言語学, 生理学)に置かれていた。

結局は,心理学が非常に広範な領域や方法論を持っている学問であること,学習心理学や行動分析学はその中で,科学的な視点を持つアプローチであること,他の心理学の領域と排他的な関係でなく相補的な関係(なぜなら,心理学が研究対象としている人間そのものが多面的な存在であるから)にあることがわかってもらえれば十分である。

2008年4月15日火曜日

大学院M1ゼミ 教員による研究室紹介

今年度から担当することになった大学院のゼミ,事務連絡とアウトラインを紹介した第1回に続いてのきょうは,各指導教員の研究室紹介だった。

たいへいに申し訳ないことに,寝不足が祟って先生方のご説明を一部聞き逃してしまったのだが,全般的にはとても興味深いものだった。と,同時に私の立場である行動分析学のユニークさ(あるいは特異さ・異端さ)を痛感する時間だった。

何より,行動や症状の捉え方を形態的に捉えるか,機能的に捉えるかという違いが大きい。摂食障害であれ,心的外傷であれ,そこに見えている形態からアプローチしていくのか,それとも顕在的には同一であってもその行動の持っている働きの違い,逆に顕在的には全く異なる行動や症状であっても,その行動の機能の共通性に注目するのかには,臨床的なアプローチであれ,研究上のアプローチであれ,非常に重要な違いがある。他の先生方が基本的には前者のアプローチを採られていることから,私の立場の特異さ・ユニークさを,先生方を含めて理解していただければよいのだが・・・。幸い査定演習と研究法特論という時間が与えられているので,こうした内容についても適宜議論できればと思っている。

心理学(共通教育) 連絡事項

明日(16日)から,三宮サテライトキャンパスとの双方向授業を始める。これに伴って,教室変更およびシラバスにある授業計画の変更をする。

鈴蘭台キャンパスの教室は311教室(3号館1階の大教室)になる。また,受講生のバランスがどの程度になるかわからないため,当初第2~3回で扱う予定にしていた,「性格と知能:その人らしさ」を後回しにして,感覚と知覚:見る,感じるを明日と来週に扱うこととする。

次週以降も含めて,予定は以下の通りである。
2~3 感覚と知覚:見る,感じる
4~5 認知・記憶: わかる,考える
6~7 学習:ふるまいとこころ
8~9 発達:こどもから大人へ,そして老いるということ
10~11 性格と知能:その人らしさ
12~13 社会的行動:人が出会うとき
  14 生理:こころのありかの背景

これだと,教科書の構成と一致するために,むしろこの方がよいのかもしれない。その効果を判断する良い機会ととらえたい。

2008年4月9日水曜日

心理学(共通教育) 第1回 心理学とは何か

共通教育の心理学第1回。いわゆる概論,一般教養の心理学を担当するのは前任校以来である。最初に話すことはいつも決まっていて,要するに心理学は一般に考えられているよりもずっと広い領域を持つ学問であるということ。具体的にどれだけ広いかは,これから順に話していくことになる。もしかすると,そんなのは心理学ではないとクレームをつけたくなるような内容があるかもしれないが,そのときは,あなたが考えている心理学は,学問としての心理学の一部に過ぎないのだということを意味する。

さて,これから毎回の授業で使用したスライドのすべてをこのページを通じてアップし,聞き逃した,あるいはスライドが変わるのが早くて書き取れなかったという要望に応えたい。左の心理学(共通教育)のリンクを使うか,今回のファイルについてはここから右クリックして対象を保存するというような選択肢を選ぶことでダウンロード出来るようにしていく。

心理学が自分の思っていたよりもずっと面白い学問だという感想を,授業の終わりに持ってもらえればそれに優る喜びはない。

2008年4月8日火曜日

授業開始

Boy, have I got this guy conditioned! Every time I press the bar he drops in a piece of food.

This cartoon from the Columbia Jester was reproduced by Skinner in 1961.

大学院は先週末から,学部は昨日(月曜日)から授業開始だったが,たまたま私の研究日が月曜日,土曜日は授業がないために,私にとっての新年度は今日が始まり。

大学院文学研究科心理臨床専攻には18名の臨床家の卵を迎えた。私の率直な思いからすれば,臨床家でなく,研究者の卵と書きたいところだが,親和の大学院は一種指定校だから,私たちが準備しているのは万全とは言えないまでもそのようなカリキュラムであり,ここに集う人が目指すのはあくまでも臨床家であるはず。まずはしっかりと基礎(心理学の基礎がどこにあるかが人によって見解が異なるのは善し悪し)を固めて,近い将来にしっかりとした臨床家に成長してくれればと思う。

これはいつも口にすることだが,日本の「教育」ということばと,欧米のeducation,erziehenとの違いは非常に重要criticalであると思う。私たちができることは,彼らが成長していくことの手助けに過ぎない。それは臨床場面でクライエントと対峙するときよりもはるかに指示的(いずれも支持的であることはいうまでもない)であるはずだが,それでも,私たちに出来ることは学生ひとりひとりが成長していく手助けに過ぎない(はず)。まさか大学院にきて,教えてくれたり,助けてくれたりするまで何もしないで待っている院生はいないだろうが,同時に私たちにできることの限界を常に感じていなければならないと思う。

さて,そのようにひとりひとりの能力を引き出すのには,あるいは何かの悩みを解決するのには,穴や井戸の奥深くに分け入っていかなければならないのだろうか,それとも,その人の周囲に何らかのセッティングをしてあげるだけでよいのだろうか。

ここに掲げたマンガが何を意味しているのかについては(英語では彼らの会話が書かれているけれど),考えてみて欲しい。

2008年4月6日日曜日

認定心理士の書類チェック完了

きょうは良い天気と思いながら,半日かけて書類のチェックを済ませました。こちらで対応できない不備があったために,返送して修正をお願いしなければならないものもありましたが,昨年よりは少なかったように思います。その他にも,共通した間違いなどが散見されましたから,来年度の説明会では,こうしたミスが少なくなるように,さらに説明を付け加えたいと思っています。

チェックは完了しましたから,もし受領の連絡が届いていない人がいたら,ご連絡下さい。

2008年4月5日土曜日

認定心理士の書類受領状況

ぽつりぽつりとチェックを始めています。ちょっとがっかりなのは,結構不備が目立つことです。順次チェックして,こちらで対応できる不備については対応していますが,問い合わせをしなければならないものが3件発生しています。

それから,これは全くの老婆心かも知れませんが,提出書類,つまり誰かに見てもらうことを前提とした書類であることが考えると,もう少しきちんとした方がよいと思えることがあります。

たとえば,書類の向きが揃っていなかったり,書類の重ね方がチェックするときの順番になっていなかったり,自分の履修したもの以外のシラバスのコピーが配布したままの形で入っていたり,履修していないものに大きく×が書かれていたり,さらに細かいことを付け加えれば,修得単位表に書かれている順にシラバスのコピーが並べられていなかったり,送ってきた封筒が「吉野俊彦宛」となっていたりetc.

もちろん,申し分のない書類もありますが,こうしたことも散見されるのは残念です。

今日明日は好天に恵まれた週末になりそうです。昨日,一昨日と,大学から戻りがけに通った王子公園も夜間のライトアップをしていて(車で走りながらですから,ほんのちょっとですが),とても印象的な夜桜でした。

2008年4月4日金曜日

神戸の女子大

今年から新たに,神戸市にある女子大がオープンキャンパスで共同企画を始めることになった。まだ計画段階なので詳細については決まり次第ここでもアップしたいが,何より神戸市内にある女子大が5つだけだということに驚いた。考えてみれば,神戸の名前を冠する(もともとは神戸市内にあった)神戸女学院をはじめとして阪神間には,神戸市内以外にもいくつか女子大があるし,すでに共学化した大学もあるのだが,現在「神戸市内にある女子大学」は,神戸女子大,神戸松蔭女子学院,神戸海星女子学院,甲南女子大,そして神戸親和女子大の5つだけのようである。

これはこれらの五女子大学に限らずだが,「神戸市内にある女子大学」という一言で括れないそれぞれの個性があることを強調したい。実は私も着任する前は,神戸の女子大というと,なんとなくあんな感じ,こんな感じというイメージを持っていたのだけれど,親和はもちろん,非常勤で関わる松蔭も,他の3大学もそれぞれにユニークであることに気づくのに時間はかからない。5つの大学を全部まわってもらえなくても,いくつか回ってみて自分にぴったりくる雰囲気,大きさ,学生の印象などを見つけてもらえればと思う。

この夏,初めてとなるオープンキャンパスの共同企画について,折に触れてここでも紹介していきたい。

2008年4月1日火曜日

個人的には日本も大学のみ9月入学にできないかと思う一方で,日本の春の卒業式と入学式は本当にいい。尤も,ここで言う日本というのは地域限定で,北の国ではまた違うけれど・・・。

きょうは幸い好天にも恵まれて,通学部(学部)で450名の新入生を迎えることが出来た。大学院と通信教育部などを合わせると,全部で620余名になる。さらに,教職員も20名以上の新しい仲間を迎えて,親和も新しい出発の日となった。

心理学科も定員を1名上回る61名の新入生とひとりの新任の先生をお迎えした。現代女性のための心理学コース,心理学がわかる教員コース,臨床心理士コースという3本の柱には変化がないが,この柱で走り始めて2年目の今年,さらによい学科に育てたいと考えている。

受け取り状況

認定心理士の申請書類の受け取り状況です。本日までに25人から受け取りました。順次内容を確認して,受け取りまたは修正依頼のメールをお送りします。

一応,きょうの消印まで有効としていますが,もうしばらくは受け取り確認の作業に時間が必要ですから,間に合わなかったと諦めている人がいたら,まだ大丈夫ですので,お送り下さい。

なお,申請書類や手引きがダウンロード出来るようになっていますが,これを利用した人は25人中5人でした。

さて,明日からはまた新しい年度が始まります。様々な場面でのご活躍を祈ります。

2008年3月29日土曜日

「医師の指示の下」という体制は限界

きょうはいつもと毛色の違った話。この春から(とうとう)大学院のゼミを担当することになったからというわけでもないが,新たに臨床心理学のカテゴリを作ってみようと思わせてくれた記事の紹介である。

医師の指示の下という体制は限界というタイトルだが,現厚生労働大臣の桝添氏の「安心と希望の医療確保ビジョン」の第5回会議を受けての総括である。残念ながら,この話は看護師・助産師の業務範囲についてのものなのだが,臨床心理士とも関わってくる可能性がある(希望的観測だけれど)。

よく知られているように,現在の臨床心理士は国家レベルでなく一学会が事実上の母体となって設立した財団法人日本臨床心理士資格認定協会が認定する資格である。スクールカウンセラーの仕事も各都道府県の臨床心理士会から希望調査がくるなど,学校場面で大きな役割を果たしている一方で,精神科領域からは仕事が出来ないという批判を浴びることも少なくない。臨床心理士が国家資格化できない最大の理由は日本医師会や日本精神科病院協会をはじめとする医師側と心理士側とのおりあいがつかないことと言ってよいだろう。

これは理由・原因と言うよりも,ある意味で結果である。つまりなぜ折り合いがつかないのかについての原因によって生じた状態に過ぎない。「医師の指示の下」という体制が限界という話が臨床心理士とも関わってくるのはこの点においてである。「医師の指示の下」という体制が医療現場において原則であるのは,現在臨床心理士としてでなくても,心理士の勤務状態を見れば明らかである。私が心理士として勤務しているクリニックでも万一何かの問題が発生したときに責任を負うのは私でなく主治医である。この記事にあるとおり,看護師・助産師と同様に,臨床心理士の意識レベルも正規分布している。そしてここで指摘されているように,分布の中央を対象として議論が成されなければならない。

さて,私の意見は医療心理士(仮称)と臨床心理士の2資格(プラス1)で国家資格化することである。臨床心理士は医療心理士の資格取得を前提としてしか取得できない。医療心理士は学部卒として医師または臨床心理士の指示の下でのみ活動できる,臨床心理士は大学院修了を前提として(但し,一部の大学院にある専門職大学院は認めない),医師と共同して活動できる。さらに,現実問題として,専門医と同じようなもうひとつ上位の資格を設置して,医療現場で働く専門臨床心理士については医療現場で診療報酬点に準じた活動ができるようにする。臨床心理士については,医師と同様に自身の行為についての責任を法的に設定する。

さて,看護師・助産師が医師の指示を受けないで独自の判断で活動できるようになれば,臨床心理士の問題も少し風穴が開いてくるのではと期待しているのだが・・・。

2008年3月26日水曜日

書類到着

早速に,3通書類が届いています。研究室の前にも専用の箱を準備しましたから,大学に来られた方は研究室を訪ねてくださってもかまいません。大学院棟5号館3階の端っこ,537です。

研究室といえば2つ隣のS先生がご退職で研究室の片付けをされています。私は親和に着任して2年ですが,もっと長くいるような気がしていることもあり,ちょっと寂しく感じます。ますますのご健勝を祈って止みません。

2008年3月24日月曜日

認定心理士の資格申請


日本心理学会を母体とした認定心理士資格認定委員会が,ようやく第4版を発行し,私の手許にも一部送られてきた。とても幸いなことに,このぺージから手引きを含む申請書類がダウンロードできるようになった。4月に入ってからになるかという話だったが,事務局の努力で年度内に何とか間に合ったようである。

申請書類を作成するにあたって,注意すべきことがいくつかある。何より,ダウンロードできるものは新しい版だが,この春に入学する学生以前(今年2回生になる学生まで)は,第3版でも資格認定の判断を行うことである。

すでに,「すべての担当教員の名前を書く必要があるのか」などいくつか問い合わせがあったが,第4版では必要なのだが,第3版では必要ない。迷ったときには,第4版の手引きとは違っていたとしても説明会で説明したことをきちんと書いてもらえればそれで十分である。

私事になるが,今年度で臨床心理士の資格を取得してから丸5年が経過した。認定心理士にはそのような更新手続きは必要ないが,臨床心理士は5年間にポイントを獲得して申請する必要がある。つい先週末に無事に更新された認定証が届いた。実を言えば,基準をわずかに超える程度しかポイントを申請しなかったのだが,それでも合格は合格。一安心である。

2008年3月22日土曜日

春: おめでとう

昨日までの嵐のような雨と風が嘘のような,暖かな学位記授与式。親和に来て初めての謝恩会。いろいろと思うこともあるけれど,結局最後に言えるのはおめでとうの一言に尽きるのだろう。

同時にいつも思うのは,大学生活の真っ只中にいると,なかなか気づかないのだけれど,大学院などに進学しない学生にとっては,小学校以来続いてきた16年間の勉学の生活からも卒業するということである。それぞれの節目に卒業式を祝う以上に,これから先は,高等教育まで受けた一人の社会人としての生活をしなければならない,違う言い方をすれば,受け手から(大学でその準備をしているはずだが),作り手や送り手の立場に変わると言うことである。自分自身が社会を作っていく一人となるということである。

ともあれ,何より心身ともに健康で,よいことがあるようにとつくづく思う。

2008年3月18日火曜日

一足お先に

ここ数日すっかり春めいてきた。卒業式らしき光景も何度もみかけた。親和の学位記授与式は22日,そして入学式は4月1日。きのうは,入学式に先駆けてAO方式での入学予定者に集まってもらって楽しい時間を過ごした。

AO方式の入試については(もちろんAO方式に限らないが),賛否両論ある。タイミング良く掲載されたきのう(3月17日付)の朝日新聞では,学力試験を課さないことによる問題点の指摘と慶應義塾大学の藤沢キャンパスでの成功例とを挙げていた。確かに,学力試験を回避するためというごくごく消極的な理由だけで利用するのであれば,個人的にはAO方式は必要ない。一方で,学力試験だけによる選抜にも,学力さえあれば適性も志向性も問題にしないで,ただいわゆる偏差値の高い学部,大学を目指したがために,不全感,不適応による中退といった望ましくない結果を招いてしまうこともある。おそらくは何でもそうなのだが,使い方を間違えてしまえば結果は望ましくないものになってしまうのだろう。

幸いなことに親和でもAO方式で入学した学生の多くが,学生生活そのものを楽しみ,また私たちが望む他の学生を牽引する役割を果たしてくれてきた。考えてみるまでもなく,一般入試のみで入学する学生は,入試以外で大学を訪れることも,大学生活を体験することも,在学生の雰囲気を知ることも,ましてや教員と時間をかけて話すことも,まず望むことは難しい。翻って,AOであれば,親和でもそれぞれ十分な時間をかけた2度の予備面接と本面接,合格決定後の教員とのやりとり(特に児童教育学科の先生方はとても時間と手間を惜しまずにかかわっているとのこと),この日の連絡会など,他の学生に先んじて大学の様子に馴染むことができる。つまり,一足お先に入学しているようなものと言えばいいのだろうか。

5月恒例の親和行事をはじめ,様々な場面で学科を主体的にリードしてくれるような存在に育って,今年のAO選抜も十分な効果を挙げたと言えるようにと期待している。

2008年3月17日月曜日

公開講座

昨年の7月とこの3月にそれぞれ2コマ分2回ずつ,計8コマで,行動分析学入門という公開講座を担当させていただいた。基本的には,授業で扱っている内容を,心理学を専門としない方々にわかりやすく,また使えるものという意図で構成してみた。

きょう,8, 15日の受講生の方々へのアンケート結果のまとめをいただいた(土曜日に集めたもののまとめをもう月曜日に!!)。多くの方が楽しんでくださっていたというのは私にもとても嬉しいことだった。ただ,個人的には,3回目のルール支配はまだしも,最後のセルフコントロールについては,言葉足らずのことが多々あって,最後のコマはただ作っていった資料を読むだけという,申し訳ない講座になってしまったと反省している。

言葉足らずというのは,ちょっと違っているか。つまり,行動分析学の言葉を使わないでもっと行動分析学が扱っている内容をきちんと伝えられないということなのである。セルフコントロールの定義が,「即時小強化と遅延大強化とで,後者を選択すること」というのは,行動分析学を学んだものにはよくわかるし,なぜそのような言葉を使わなければならないかも理解している。けれども,スケジュールの話も,オペラント条件づけの実験パラダイムの話も十分にしないままに,こうした表現を使うのは,受け手を無視した自分勝手なやり方である。話しはじめてはみたものの,受講生の方々の反応などからそれに気づいたときには時すでに遅し。

セルフコントロールでのもうひとつのヒントである,行動のレパートリーが乏しいのである。セルフコントロールという概念を伝える行動のレパートリーが少ないのである。と言うよりも,行動分析学の枠組みでそれ以外の伝え方を知らなかったことに,今更ながらに気づいたのである。

このような公開講座に限らず,受講生とのやりとり,受講生からいただくものがあることは,話す側の最大の好子(正の強化子)である。私が頂戴したたくさんの強化子,そしてヒントを今後に役立てることができればと思う。この場を借りて,あらためてお礼を申し上げたい。

2008年3月14日金曜日

おめでとうございます

最後に書いてから1ヶ月近く経過してしまいました。私自身もこのブログを開くことなく過ごしていました。アクセス数も少しは増えていたのでしょうか。

さて,きょうのタイトル,「おめでとうございます」というのは月曜日の話。親和でも先週の教授会の認定を受けて,卒業認定の発表がありました。4回生まで心理学研究法の再履修を頑張った学生が結構いたのですか(1回目の再履修は前任の先生からの引き継ぎ),無事全員が単位取得しました。ある学生(私のゼミ生ですが)は,指導教員(つまり私)と同じように,再試験を受験,無事に合格しました。試験の結果については報告を受けていなかったので,教授会で認定者リストの中に名前を見つけたときはほっとするやら,嬉しいやら・・・。

私もいつのころからか,ギリギリになるまで仕事をしないことが多くなってしまいました。明日は公開講座の最終日なのですが,つい今し方配付資料を含めて準備が一応整ったような状況です。もちろん単なる偶然に過ぎないのでしょうが,指導の教員と学生も少しの間一緒にいることで,行動傾向が似てくることでもあるのでしょうか。

何はともあれ,ご卒業おめでとうございます。学位記授与式,謝恩会,いずれも楽しみにしています。

2008年2月16日土曜日

再履修? それとも・・・

いろいろと書きたいことが重なっているのだけれど,とりあえず急ぎの件だけ。

親和も松蔭も,成績報告が終了した。ただ,ある学生の話によれば,たまたま体調を崩していて締め切りに間に合わずにレポートを提出できなかった学生もいたとのこと。公的な場所に書くのは憚られるのだけれど,そのような正当な理由で提出できなかったがために再履修になってしまうのは理不尽と私には思える。

常々再履修することによって理解が深まるし(実際,すでに単位を取得できているのだけれど再度授業に出席したいという学生は過去にも少なからずいた),再学習は1度目の学習に比べて一般的には成績が良くなるという成績上の意味もあるが,それでも,履修上の負担は大きくなる。時間割上で他の履修したい科目を登録できなくなってしまう危険性もある。

きちんとした理由で提出できなかった学生で,今から提出希望があれば,連絡して欲しい。提出先と同じアドレスでかまわない。

評価結果についてはまた後日。

2008年2月9日土曜日

学習心理学Ⅱ@松蔭 レポート

問い合わせがありましたので,念のために。

2月8日付けで書かれているレポートのことは,あくまでも,心理学研究法(神戸親和での)についてのものです。神戸松蔭の学習心理学についてではありません。

昨日,教務部扱いのレポートを受け取っています。予想したよりも少ない提出数でした。これらについても,このブログを使ってフィードバックしていきます。

2008年2月8日金曜日

心理学研究法 レポート

今日になって1通レポートが届きました。締め切りはすぎていますから,減点にはなりますが,ぜひ提出してください。現時点でレポートが届いていないために合格点に届かない学生が数名います。このブログを読んで心当たりの友達がいる人は,ぜひ教えてあげてください。

一応これまでの講評を。課題の選択数は,Aが40,Bが15,Cが11人です。

まずAについて。十分におもしろい(そのまま卒論になりそうな)研究計画もあれば,ごく漠然とした内容のものまでさまざまです。けれども,ほとんどのレポートが研究法を履修したことの反映と思えるものになっていました。平均点は22.1点(30点満点)。

Bについては,比較的内容のよいものが多かったように思います。ただ内容が実験的なものでなく,調査が多く選択されているのは,みなさんの興味や関心に直接関わるものが多いからなのでしょうか。また,臨床的な問題をそのまま扱っているものもありましたが,これについてはもともと授業で扱った研究法に対応しにくいので,内容として難しいように感じました。平均点は24.0点。

Cも感想文から論理的にまとまったものまでさまざま。けれども,とても面白かった。感想文のようでありながら,特になるほどと思ったのは,研究と言うこと自体を面白いと感じないから,私のような人間がこうした内容に心を躍らせていることが理解できにくかった(でも少しわかるようになった),というもの。研究,何かがわかっていくこと自体を楽しいと感じなければ,その方法を学ぶことが面白くないのは当然です。それでも少しわかるようになったというコメントは,教える立場にはとても嬉しいものでした。平均点は21.8点。

2008年2月7日木曜日

心理学実験実習Bのファイルについて

きのうなぜかうまくいかなかったものが,きょうは修正されたようなので, ここから ,実験実習のページに飛んで,必要なものをダウンロードできるようにしました。

なお,内容は前日にアップしたものと同じです。また,前日のヤフー・ブリーフケースのファイルもそのまま残してあります。使いやすい方からダウンロードしてください。

心理学研究法 第2回小テスト結果



最後の授業で実施した小テストの採点・集計が終わった。前回の平均点が9.8点,SDが5.37点だったのに比べて,今回は平均点が11.5点,SDが6.15点と,1.7点上昇した。ヒストグラムに明らかなように18点以上の学生が16人(受験者が86人だから,18.6%)。前回の18点以上が8人だったからちょうど2倍になった。これは分布の左の方についても同様である。12人いた2~4点の階級は,今回は4人だけ。多くの学生が頑張ったことを反映しているのだろう。

今回も2回生だけだと平均が12.2点で,再履修の学生よりも若干高かった。もちろん,4回生で2回とも満点に近い学生も少なくないから,結局は勉強したかどうかを反映しているに過ぎないと私には思えるのだけれど。最初からもう難しいと決め込んでしまって耳に栓をしてしまうようなことがなければと思う。

なお,この分布や平均点は20点満点のもので,ボーナス点を含んでいない。

2008年2月6日水曜日

心理学実験実習のファイル


準備ができました。大学のRドライブにはアップ済みです。

ヤフーのブリーフケースにリンクしています。画像のような表示になれば,ここから,必要なファイル名をクリックすると,ダウンロードできるようになっています。

何かわからないことがあれば,

Shinwa.Yoshino@gmail.com

宛てにメールで問い合わせてください。携帯電話からでも連絡できます。

2008年2月5日火曜日

心理学実験実習Bのファイルについて

きのうの授業で予告した,ファイルのアップはまだ終わっていません。

まず,私の担当した内容については,明日の午前中にアップします。
また,山口先生がご担当の内容については,授業で予告したものと
変更しなければなりません。授業では,計画書,データ,そして
作成上の注意の3つと話しましたが,計画書に相当するものと,
データ(グラフも作成済み)ファイルについては,授業ですでに
配布済みとのことですから,作成上の注意のみアップします。

なお,この変更については,私の責任です。そのような事情について
確認しないままに予告してしまいました。

心理学研究法 第15回 (2月4日)

小テストの2回目,研究倫理の問題を概観して今年度最後の授業が終了。学生の多くもレポート,授業もきょうが最後だったとのこと。

小テストは,これまでに比べれば簡単だったという感想が多かったみたい。できなかったからレポートがんばるというコメントもちらほらあったけれど。倫理の問題は常に難しい。人に関わることは特に難しい。難しいから,またそれが引き起こす問題が深刻になる危険性があるから,それを避けようとする傾向は,心理学の研究や応用場面に限らず,様々な場面で表面化している。小児科や産科の医師不足はその典型例だろうし,教育現場でのこどもたちの姿,親の関わりなどから,教員を志す有能な学生が少なくなりつつあるというのもその例なのかもしれない。もちろん心理学研究法がここまで拡大して議論までする必要はないのだろうが,それでも,その基盤に共通した問題があることには気づいておく必要があるように思う。

さて,予想以上にレポートの提出者が多かった。ざっと斜め読みしたところ,Aのテーマで誤解して書いている学生が何人かいた。提出された内容が仮想データのようになっているものがある。つまり,計画だけでなく,適当な結果と結論が書かれているようなものである。Aの課題はあくまで研究計画だから,自分が知りたい問題(リサーチクエスチョンと仮説で学んだことを重し出してほしい)を検討できる計画を書けば十分なのである。計画書については特に授業内で扱ってはいないが,実験実習で学んだレポートの書き方を思い出せば,それがすでに実際に行われたことか(実験レポート),これから行うことか(計画書)の違いがあるだけで,基本的な書き方は同じである。

授業の中では伝えていないので,フェアでなくなる危険性を思いながらも,この内容を読んで思い当たる人は,問い合わせてくれてもかまわないし,締め切りまでであれば,再提出してもかまわない。また,相互に周知してもらえるとありがたい。

リアクションペーパーへの回答,レポートの状況などについては,特別な問題がなければ,提出締め切り後に書くことにしたい。

2008年1月31日木曜日

心理学研究法 ファイルアップしました

随分遅くなってしまったけれど,前回の正確性・信頼性・妥当性のファイルをアップしました。リンクはここからどうぞ。

またレポートについて質問に来る人がこれまでに多いので,念のためにここでも確認しますが(最後の授業でも確認します),基本的に減点法でなく加点法で評価します。小テストもそうですが,よほど大きな間違いでない限りは減点でなく,自分なりに勉強したことを評価したいと常々考えています。どこかからそのままコピーしてきたような内容でなく,自分なりに考えたことを自分のことばでまとめてもらえればよいのです。

私は今回も楽しみにしているのだけれど・・・。

2008年1月25日金曜日

心理学研究法 課題レポートについて

課題レポートについて追加説明を少しだけ。参考文献も挙げると言いながら,この時間になってしまいました。期待して何度かアクセスしてくれた学生さんにはお待たせしました。

と,書きながら,これから書くこともそれほど具体的な内容でないことをあらかじめお断りしておいた方がよいかもしれません。

まず,Aについて。自分の知りたいこと,つまり,来年度以降,卒論で扱いたいと思っているテーマがあれば,それを具体的に研究するための計画を書いてくれれば十分。ただ,最後に話す倫理的な問題が課題として残るかもしれないが,具体的にどうすればその問題に対する回答が得られるかを考えてくれればよいのである。研究の全体像がどのようなものであるか,実験をはじめとする心理学の研究では,何かと何かを比較することで,独立変数が従属変数に及ぼす効果を査定することを思い出してもらえれば(理解していれば),特別に参考文献は必要ないだろう。

Cはもうすこしややこしいか。参考文献を考えていたのだけれど,あまりにも膨大な量になりそうで,具体的なものをここに挙げるのは止めにしたい。思いつくままに,名前を挙げれば,下條信輔,正高信男,河合隼雄,B.F.スキナー,H.アイゼンク,C.ロジャース,A.H.マズロー,S.フロイト,C.ユング,K.ローレンツ,茂木健一郎,柳澤桂子,中村桂子,多田富雄,養老孟司,H.エリクソン,J.ピアジェ,V.E.フランクルなどなど,長い長いリストができてしまう。つまり,実験的・科学的心理学が採用している方法(人間や人間のある側面を見つめる視点や方法)と,他の(自分が興味・関心を持つことのできる,あるいは,他の授業などで聴いて知っている)心理学者や心理学に関連する研究分野の研究法との違いを論じてくれればいいのである。ちなみに,上記の名前のリストを親和の図書館の蔵書検索にかけてみると,かなりの冊数があって,しかも貸し出し中でないものが多い。もちろん,こうした名前のリストは一部に過ぎない。たぶん授業の最初の頃に話したと記憶しているが,心理学が現在採用している,行動的,認知的,生理的,精神分析(力動)的,人間学的という5つのアプローチのことなどを思い出してもらえるとよいかもしれない。

このレポートに限ったことではないが,少し頭をひねって考えることは結構楽しい作業だということを,ついでに体験してもらえれば,よいレポートができあがると信じている。

2008年1月22日火曜日

心理学研究法 第14回 (1月21日)

隔週の授業というのは少しやりにくい。1週間という時間が生得的に意味があるとは思わないが,幼稚園に通うようになってからは1週間単位で何かが動いていくという環境に晒され続ける。それを理由にしてしまうのも短絡的との謗りを免れないが,いずれにしても1週間空いてしまうと何となくやりにくいのは実感ではある。

いつものように前回のフィードバック。卒論を書き終えた学生のリアクションペーパーには,卒論で因子分析を行い,信頼性も求めたが実は意味がちゃんとわからないまま行っていたというものがあった。卒論を書き終えたということは再履修だろうから,前回の履修時にはたまたま欠席するなどでその内容の授業を聴けていなかったのかもしれない。もし,その内容の授業を聴いていれば,卒論で因子分析をする必要が出てきて,信頼性を検討しなければならないという段階になって,そういえばあのときよく分からなかったけれど,心理学研究法の授業で聴いたことを思い出して,教科書なりプリントなり,関連の参考書に立ち戻ることができていただろう。心理学研究法の授業がそんな形ででも役に立てばと思うリアクションペーパーであった。

続いて授業評価アンケートを行い,課題レポートの説明,そして前回の妥当性・信頼性の続きを終わらせる。

きょうのリアクションペーパーに多かったのは,レポートの課題が難しそうというもの。確かにそうだろうと思うし,そのような課題にしたのは私に考えがあるためである。これまでの授業では基本的な事象を文字通り憶えることが中心になっている。なぜ憶える必要があるかは,心理学で行われている研究を理解するためである。今回準備した3つのテーマは,Aでは実際に理解を使えるかどうか,Bでは理解を踏まえて研究をきちんと読むことができるかどうか,Cはより広い意味で,心理学の研究は個々の研究の積み重ねによって最終的に人間理解に至るものであるという認識が私にあるためで,そうした背景とのつながりを理解できるかどうかを問いたいという意図がある。AとBは3回生以降のゼミにつながる課題であるし,Cはより将来的な意味も含めての課題である。さらに,これは重要なことだ(と私は思う)が,とりわけAとCには固有の正解が存在しない。

さて,Bの論文を1編選んでということだが,方法には2つある。一つは図書館に行くこと。親和でも以下のような雑誌を講読している。図書館にあるものを実際に手にとって読むことである。

家族心理学研究, 感情心理学研究, 教育心理学研究, 教育心理学年報, 
健康心理学研究, 行動療法研究, 交流分析研究, 実験社会心理学研究, 
社会心理学研究, 心理学研究, 心理学評論, 動物心理学研究, 
パーソナリティ研究, 発達心理学研究

もうひとつは,GeNii 学術コンテンツ・ポータル(国立情報学研究所)を利用して,自分に興味のある単語を使って検索することである。親和の図書館のWebページから利用できる。大学のページから付属図書館→資料をさがす→便利なツールを辿ると,その一番上に入り口が表示される。ここから入って,「論文を探す」に行けば,各大学や研究所で発行している紀要や年報なども含めて検索できる。紀要論文などではそのまま論文をダウンロードできるものもある。取り寄せをしなければならない論文を読みたいときには,図書館のカウンターまたは吉野に尋ねてくれればよい。

AとCについてはまた追って参考文献のリストをアップする。

2008年1月18日金曜日

学習心理学Ⅱ@松蔭 第13,14回 (1月10,17日)

昨年末の第12回から行動療法の入門編。

本来,科学 science とは「知ること」がその目的であった。けれども,現在の科学は,工学・技術 technology の側面をその目的に含めなければ,社会的な責任が果たせなくなっている。人間がこのように行動するという説明ができて,理解ができるだけでなく,それが何らかの意味で社会的に役立たなければならないということである。科学の定義が本来「知ること」であったことは事実だが,もうひとつ過程的な定義として私が好きなものがある。それは「科学とは科学者の行動である」というもの。科学者とは誰かという問いを考えると,トートロジーに陥る危険を孕みつつも,時代によって常に変化する活動である科学が,同様に時代によって常に変化する人間の行動のひとつの営みであることを示唆するだけでなく,科学の実態を常に新しくしていくという意味においても,私には重要な定義であるように思える。

行動療法が基礎的な人間の行動の理解を基盤としていることは論を待たない。そして,行動療法は2つの条件づけというきわめて素朴に見える過程によって,人間の行動を理解し,理解し,予測し,統制することが可能であることのひとつの証左でもある。その入り口程度しかこの3回では話すことができなかったが,少なくとも,高所恐怖症をエクスポージャーによって克服(改善)できたり,うつ症状の古典的なモデルとして学習性無力感があるなど,2つの条件づけが持つ力の一面について理解してもらえれば,そこから興味・関心が広がっていくのではと楽観したい。

私が行動分析学の立場に立つのは,つきつめればそれが好きであるからに他ならない。もちろん,好きであることには理由がある。人間とは何かという素朴な,けれども根本的な問いに,内容的な回答でなく,機能的な回答を与えてくれて,それで私は十分に納得してしまうからである。この1年間の授業を進める上でその背景として哲学的な内容が少しでも伝わっていたとすれば嬉しい。最後のリアクションペーパーにもいくつかそれに近いような反応が記されていたことをとても嬉しく思う。文字通り,授業の準備をし,授業をするという行動の最大の好子(正の強化子)である。

なお,レポートのテーマや参考文献については,ファイルのページを参照してほしい。テーマとしては少し難しい内容に見えるかもしれないが,自分なりに理解したことを単なる感想でなく議論できていれば,その主張の方向性には関係なく高い評価が得られることを書き添えておく。さて,どんなレポートが提出されるか,とても楽しみ。レポートや評価についてのコメントも必要に応じて紹介する予定である。

2008年1月9日水曜日

心理学研究法 第13回 (1月7日)


さて,今年第1回の研究法。つい数年前までは,大学の授業というと,年明けには1回顔合わせがあるくらいでその翌週には試験,1月下旬にはもう終わっていたのだが,最近はまだまだこれから一山である。

まず小テストの返却とフィードバック。模範解答のようなものがほしいという希望がリアクションペーパーにあったため,今回の授業分のファイルとしてアップしてある。

結果は,全体の平均点が9.8点,SDが5.37点だった。ちなみに,2回生だけだとそれぞれ10.8点,5.46点となる。 再履修することは基本的には再学習のはずだから,より理解が深まる可能性があると考えたいのだが,今回の結果だけからはむしろ,意欲を損ねてしまう危険性があるように見える。オリエンテーションでも話すし,個人的にも話すことは,1回目に聞いただけではよくわからなかったことでも,もう一度聞くことできちんとわかるようになるから,たとえば合格点ぎりぎりで単位を取得するよりも,再履修することで80点以上の成績で単位取得する方がよいのではということである。平均点だけを見れば,必ずしもそのようにはなっていないように見える。急いで付け加えなければならないが,もちろん再履修の学生で今回の小テストでも満点だった学生もいるし,すべての学生が意欲を失ってしまうわけではない。

冒頭に図示したのは今回の結果のヒストグラムである。平均点だけで議論することが望ましくないこと,また,分布を確認しないで平均点だけで議論することが意味がないことは,今回の結果においても明らかである。たまたま勉強する時間がなかった学生,小テストが実施されることをしらないまま受験した学生もいるのかもしれないが,17名の学生が4点以下となったのは,私の教え方にも問題があるのかもしれない。その一方で,8名が8割以上だったのは,嬉しいことだった。欲を言うとすれば,12~14点の13名(ここがモード)のあたりが,14~16点に上がれば,もうすこし「きれいな」分布になっていたかということだろうか。

テストは,学生の理解度を測定(当然,妥当性・信頼性が十分に考慮されなければならない)するだけでなく,教員が伝えたいことがどれだけ伝わっているかを測定することでもある。そして,その測定の目的は単に成績評価を行うだけでなく,自分の理解度,伝わっている度を事実として把握した後で,最終的な授業の目的である,「研究法の理解」をどのようにすれば,よりふかめることができるかを考えるきっかけとなるものである。

きょうのリアクションペーパーには,意外によかった,思ったほどとれていなかったなどなど様々なコメントがあった。次回はがんばる。レポートと合わせて死ぬ気でがんばるなどといった嬉しいコメントも少なくなかった。終わったことを悔やんでも仕方がない。これからどうするかが常に大切なのであると,また説教くさいことを考えてみたりする。

飛び石であと2回の授業があるが,次回は信頼性を終わらせて,文化的バイアスと倫理の問題を扱い,そしてレポートのテーマの発表をする予定。気にかかっている学生も多いだろうから,授業で確認した概要をここにも書いておく。

締め切り: 2月初旬(最後の授業の週末)
複数の課題から一つを選択してまとめる
枚数制限はなく,A4版の書式のみを指定する
提出方法は事務,研究室のポスト,メールの添付ファイルのいずれでも可
(但し,ポストと添付ファイルの場合は受領メールを送信する)
30点満点で評価する

最終回(2月4日)にもう一度,小テスト(前回の次のところから次回扱うところまでが範囲)を行い,出席点30点,小テスト2回40点,レポート30点で評価する。

さて,妥当性・信頼性のことを書かないままだが,これについては,次回まとめて。

心理学研究法 第12回 (12月17日)


年末年始をずっとさぼり続けて,久々のブログ。すでに年明け第1回の授業は済んでいるのだが,順序通り前回のものから。

小テストの実施に続いて実験のバイアスについてまとめる。ごくごく基本的な倫理的な問題を含んでいるが,倫理の問題は次回話す予定。当たり前だけれど,研究とは研究者が行うものである。研究者は人間である。ひとりひとりが異なる行動特性を持つ人間が行うことであれば,そこには様々な望ましくない問題を抱え込んでしまう危険性が伴う。社会的に大きな問題となったマンション構造の偽装から,昨年のあるテレビ番組でのデータのねつ造,そしてあとからあとから繁殖するように発覚してしまった食品会社の偽装などなど,人間が行っていることには,望ましくない問題が含まれていることがある。実験もそうした人間の行うことである以上,目的であるはずの因果関係の特定を事実から示すのでなく,事実であるはずのデータを改ざんすることで,都合の良い結論を導くことは,ある意味で日常茶飯であるとしても過言ではない。

日常茶飯というのは極端に聞こえるかもしれないが,いわゆるグレーゾーンに分類されるような,そこで扱う現象の因果性がはっきりとしない場合には,研究者やそのスポンサーの都合で,データを改ざんとまでは言わないまでも,都合の良い側面を取り上げて結論を導くことがある。喫煙とガンの発症との関係はその典型であるし,また薬害の問題もその中に含めて良いものかもしれない。

授業では扱わなかったし,言及もしなかったのだが,どのようなバイアスが生じやすいかというだけでなく,常に批判的に(非難や誹謗中傷でなく)物事を見つめることが,実は何よりも必要なのだろうと思う。

画像は,ゼミ生から許可をもらって上げた,今年の初日の出。須磨からこんなにきれいな朝日が望めたのだそう。今年が良い年になるようにという願いを込めて。