2007年11月29日木曜日

学習心理学Ⅱ@松蔭 第9回 (11月29日)


いつの間にか11月も終わり。画像は息子が通っている幼稚園の入り口あたりにある木々。すっかり色づいて見事である。

きょうは社会的行動。話題に相応しく?,嫌悪化を生じさせるような対応をしてしまったかと,例によって反省している。何だか日々反省してばかりのようで嫌になってしまう。いいかげんな出席の取り方をしていれば,学生もいい加減な出席状況になるのだろう,次週からは,きちんと1枚ずつ手渡しすることで問題は解決である(と思う)。

そんなこともあって,きょうの授業では学生がいつにも増して遠くにいるように感じられた。しかし,少し安心したのは,リアクションペーパーの内容である。きちんと授業内容を理解しているコメントが数多くあった。やれやれ。私が授業を楽しまないで,誰が楽しめようか・・・。

15日の小テストを正当な理由で受験できなかった学生は,ここから欠席者用レポート課題.pdf をダウンロードしてください。詳細については,このファイルに記載してあります。なお,このファイルを参照するためには(これまでのファイルもそうですが),ここからAcrobat Reader®をダウンロードしてインストールしてください。

2007年11月27日火曜日

心理学研究法 第9回 (11月26日)

先延ばし先延ばしにしてしまう行動傾向が,私にいつ頃から定着してしまったのか,記憶が定かでない。直前まで動かないで,一気に仕上げるのは,もう随分前からのことである。いろんな方々にご迷惑をおかけして,その都度申し訳ないとかそれなりのことばを口にはしても,次の同じような状況に置かれたときに,行動が改善された形跡はないし,むしろ最近は悪化してさえいるという実感さえある。ついさっき,前々からの懸案を「一応」,文字通り「一応」仕上げ「は」した。申し訳なさと自己嫌悪の感情で一杯だが,長い間の胸のつかえが取れたのもまた事実。それでも今回は仕事の仕上がりが全く本意でないだけ,単に申し訳ないというよりも,むしろやましい気分である。「やまいだれ」に「久しい」と書いて疚しい。誰が考えた漢字か知らないが,これ以上似つかわしい漢字はそうそう考えられるものではない。

さて,前回の小テストの対応。きょうの授業で予告なしテスト(前回と同一内容)をしようかと準備したのだが,気を取り直して中止。学生の希望をまず聞いてからとする。もう12月,きょうで第9回めだというのに3回実施すべき小テストが一度も終わっていないという現状。これは前述の私の行動傾向とは一応無関係なのだが,さて,シラバス通りにいくかどうか・・・。ひとつだけ救いなのは,1月に入ってから授業が隔週になること。2回続けて小テストということになったとしても,時間的には2週間の時間を置けることにはなる。

きょうで剰余変数の統制が終わり。実験屋である私の個人的な意見としては,これが理解できれば,心理学研究法の理解としては満点に近い。心理学を学ぶものの根っこと幹が形成されたようなものである。

さて,ひとつの懸案が終わったとは言うものの,12月末までの仕事が目の前にぶら下がっている。こっちはきちんと仕上げなければ・・・。年明け早々に同じような反省文をここに書き連ねることは避けたいのだが・・・。

2007年11月24日土曜日

ウィンターキャンパス


先日高校訪問で紹介したウィンターキャンパス。大学のホームページで探したところ,結構骨が折れてしまった。すぐにわかるところにはなく,受験生の皆さんへから,多くのリストの中にあるウィンターキャンパスを探さなければならない。いちおうここでも宣伝の意味を込めて,リンクを貼っておきましょう。

一般受験を考えている受験生の皆さん,ここからどうぞ。また,このページを訪れた在学生をはじめとするみなさん,どうぞ彼女らに紹介してあげてください。

学習心理学Ⅱ@松蔭 第8回 (11月22日)

秋が深まって,少しずつ寒さが厳しくなる頃に,ひどい咳が何日も続くようになったのは,もう10年以上前のこと。一頃(とりわけロンドンにいる間)は治まっていたのだけれど,今年はもう3週間近くになる。水曜日はとうとう大学も休んでしまい,木曜日の松蔭のこの授業も1コマだけこなすのがやっとやっとだった。

小テストの返却と解説,そして前回の選択行動とセルフコントロールの残りの部分。小テストで出題したのは,弁別と般化,刺激統制,阻止の随伴性の用語の理解と,日常例を挙げること。15点満点で7.2点の平均点(SD 4.40点)は予想よりも低め。ただ,12点(8割)以上の学生が受験者63名のうち12名いたことを考えると,まずまずかとも思う。

行動分析学は,ある意味で研究法などの心理学のコアになる科目と共通点があるように感じる。扱うのは確かにごく日常的な現象なのだけれど,例えば発達心理学で,生後24ヶ月の75%のこどもが二語文を話すとか,社会心理学で,対人間の距離と対人間の親密さの関係には相関関係があるといった内容と,その扱い方,アプローチが根本的に異なっている。行動分析学における行動の随伴性は,喩えるなら文法のようなものである。その文法を知らないでいてもことばを話すことはできる。研究法の基本を知らないでも,表面的にその方法をまねることが出来るように。けれども,その基礎を知っていれば,人間の行動の理解,言葉の理解,心理学の研究の理解がより深まることは言うまでもない。

もうひとつ共通点を探すとすれば,扱われる内容が相互に有機的な関連を持っていることだろう。認知心理学で例えばあるテーマについてほとんど何も知らなくても,別のテーマを学習するときに大きな支障を来すことはさほどないかもしれない。それに比べて,たとえば選択行動であれ,阻止の随伴性であれ,基本的な概念を積み重ねて十分に理解しておかなければ,何をやっているか分からなくなってしまう。もちろん細かい内容になれば,相互に関わりが薄いものもあるのだが,何より行動の随伴性についての基礎的な理解がなければ,どのテーマを学習する上でも困難を伴うのは言うまでもない。あるいは,とりあえず小テストがあるから,テストがあるから,文字通り一夜漬け式に勉強して,その次の日には忘れてしまっても構わないというやり方で取り組んでいる学生が少なからずいるのかもしれない。

しかし,セルフコントロールを話す回に,このように体調を崩していたのでは,言行不一致も甚だしい・・・。反省である。

2007年11月23日金曜日

間歇強化


昨日に続いてきょうも出張授業。今回はもともと心理学に関心がある生徒が集まっていて,ずっと楽しい時間になった。心理学はどうしても臨床心理学のイメージが強く,しかも,一般の高校生が感じている範囲を考えれば,実際の臨床のうちの一部に限定されてしまいがちである。高校での出張授業で一番伝えたいことは,何より心理学が面白い学問であることなのだけれど,なぜ面白いかと言えば,人間のあらゆる側面に関わる可能性のある学問だからなのである。多方面に亘る応用の一つである臨床は言うに及ばず,基礎領域はその導入から興味深い現象は数多く,さらにその広さと深さは果てしがない。一時期に比べると心理学を志す高校生の数が減りつつあるようだが,心理学の実際の姿を見てもらえれば,最も学びたい学問のひとつになってくれると楽観している。なんて書くと学長から「甘い」というつっこみが入りそうだけれど・・・。

きょうはこの授業に続いて,4つの高校を訪問した。親和の現状の説明と12月23日の受験生を対象としたウィンターキャンパスの紹介が主目的である。今年度はこれまでにも40校くらい訪問させていただいているのだが,高校によっても,また先生によっても対応は様々である。きょうの1校目はたまたまご担当の授業直前になってしまい,早く帰ってくれというけんもほろろの対応だった。

体調もさほどすぐれないような日だと,このような対応があると,もう帰ってしまおうかという気になってしまうのだが,頑張って訪問したその後の3校ではいずれも楽しい時間となった。結構な坂を登ったところにある高校でも,峠を越えてかなり車を走らせたところにある高校でも,またそこからの戻りがけの高校でも(ここは4時半ころになっていた),とてもきちんとこちらの話に耳を傾けてくださり,また貴重なご意見を伺うこともできた。こうしたことがあるからこそ,高校訪問そのものが楽しめる仕事になる。文字通りの間歇強化である。そして忘れずに付け加えれば,同じ簡潔でも罰(弱化)が行動を抑制する力は間歇強化に比べるまでもなくごくわずかである。もちろん,こうした訪問によって,親和を進学先として考えてくれる高校生がひとりでも増えてくれればさらによいことは言うまでもない。

画像に上げているものは,模擬授業でも使っている自宅の近くにあるあるお宅の表札。行動分析学に基盤を置いている私にも,こうしたゲシュタルトのお話しも十分楽しめる。問題があればすぐに消します。

心理学研究法 第8回 (11月19日)

きょうは授業の合間を縫って大学から30分くらいの高校で模擬授業。思ったほど反応がよくなかったのが残念だけれど,こればかりは致し方ない。聞くところによれば,この高校では様々な領域を順に聞くことで,その中から自分が関心のある領域を見つけるようにという方法を採用しているとのこと。きょうの32人の中で現時点で心理学に関心がある生徒は2~3人にすきなかった。

さて,大学に急いで戻っての研究法は第1回小テスト。職員さんに持ち込み不可,席は1つずつ空けて座るなどの細かいことをきちんとお願いしていなかったためか,ちょっとどころか相当困ったことになってしまった。少なからぬ学生から,ノートやプリントを机の上に出してやっていたとか,隣の席の学生に見せてもらっていたという報告があった。このようなことをブログに書くことが適当かどうかわからないが,これが現状である。もちろん,急いで付け加えなければならないが,そのような学生が「少なからぬ」ではあっても,大半であるというわけでは決してない。

テストの内容は以下のようなものである。心理学の5つの研究法から3つの名前を書く。研究仮説・対立仮説・帰無仮説のうち,2つについて説明する。3つの変数の名前を使って,実験室実験を説明する。3つの変数のうち,2つについて説明する。さて,「難しい」と感じる学生がいるのだろうかというつもりで出題した内容である。換言すれば,きちんと授業を聴いていれば容易に満点を取ることのできる内容であると思うのだが・・・。

採点して次回の授業で返却する予定だったのだけれど,少し対応について考えなければならないのはとても残念。最近巷を騒がしている,不当・不正表示に匹敵する出来事だと感じる。関連して思い出したことがあったのだが,これについては稿を改めて書きたい。タイトルはIt's not fair!!

残った時間は剰余変数の統制。次回は非実験的方法をまとめる予定。

2007年11月15日木曜日

学習心理学Ⅱ@松蔭 第7回 (11月15日)

後期第1回の小テスト。にも関わらず出席者が少ない。ほとんどの回で80%以上の出席率であったにもかかわらず,きょうは74%。授業後になって,山陽電車が車両故障で90分延着という証明を持ってきた学生がやってきた。私自身もそうだけれど,体調を崩しやすい時期と言うことも重なってのことだろう。いずれにしても,正当な理由で出席できなかった学生への対応は次週の時間にアナウンス予定である。

テストの内容はいつもの通り,基本的な用語の説明と,その日常例を書いてもらうものとした。テスト中に眺めている限りでは大丈夫そうだけれど,さて実際に採点してみるとどういうことになるか。テストは学生一人ひとりの理解度のチェックであると同時に,教員にとっても学生に伝えたいことが伝わっているかをチェックする機能がある。その意味で,採点はとても緊張する作業なのである。

きょうの授業内容は選択行動とセルフコントロール。例によって遅延大強化と即時小強化との選択による定義である。非常に実用的なのだが,並立の選択だけでなく,日常的なセルフコントロールには,遅延大弱化と即時小弱化との強制選択場面,あるいは継時選択場面が多いように感じる。例えば,虫歯になったときの選択。歯医者に行くとちょっと痛い(もちろん虫歯がなおるという強化はあるが,虫歯が痛みを伴っていない場合は,嫌子消失による強化が働かない場合も多い)。けれども行かないでほったらかしにしていると虫歯自体も痛みが生じて,治療の痛みもより大きくなる。すぐあるちょっとした痛みを我慢する選択ができることがセルフコントロール。この場合の対立概念は衝動性でなくて何と呼べばいいのだうろか。尤も,このような場合は嫌子出現の阻止による強化であると言えなくもないのだが,その選択行動に嫌子出現が伴う場合だから,セルフコントロールと呼べないかと思うのだけれど・・・。

いそがしい?

14日はかねてより定期的に集まっている研究会に参加した。4年半前に東京から大阪にやってきたとき,学会などを通じて知っていたある先生に相談したところ,ゼミの出身者に呼びかけてくださり,私を含めて5人で始まった研究会。うち1人は半年もしないうちに,そしてもう1人も1年半前に異動のために抜け,このところ3人で集まっていた。私が半ば無理矢理に引き入れたもうひとりが今日から参加。かつては毎月やりくりしていたのだけれど,今日は実は夏以来初めてだった。

そのときに話題になったこと(私がしたのだけれど)のひとつが,以前にもこのブログで書いた中島先生の活動ぶりである。春にオーストラリアに行かれてからすでに7つ目の論文を執筆中とのこと。しかも論文以外の著作を別にしてである。日本にいるときにも定期的に論文を書かれてはいるが,多忙を極めていたのだろう,貯めていたデータを一気に出版しようという勢いである。

ずっと前,ある先生から頼まれた仕事を忙しいことを理由にお断りしようとして叱られたことがあった。忙しいのは当たり前だから,それを前提にして何をするかを考えなければならない。少なくとも仕事を断るのに忙しいことを理由にしてはならないというものであった。宜なるかなである。その先生も含めて,きちんと仕事を生産的にこなしている人たちは,本当にどこにそんな時間があるのかと思うような結果を残されている。対外的な仕事は削るわけにいかないから,削ることのできる睡眠時間がその資源なのだとか。私など真似しようとしてもできないスゴイ人たちである。

今日の研究会でもそんなことを嫌でも思い出してしまうことがあった。詳細については省くが,さすがに忙しいことを理由にしなくはなっても,低い生産性は相変わらずで,かつては十分に理解していたことさえ定かでなくなっており,肝心の実験や研究を疎かにしてしまっている自分を映し出す現実である。月に一度というのは頻度として決して高くはないけれど,何とか研究という本来の仕事に細々とでも自分を繋げる命綱として大切にしなければならないものなのである。

2007年11月14日水曜日

心理学研究法 第7回 (11月12日)

いつのまにかもう第7回。来週は小テスト。

きょうのテーマは剰余変数の統制。実験を行う上で最も難しく最もおもしろい側面である。きょうのリアクションペーパーには具体例があってわかりやすかったというものが多くて一安心。その一方で,(とりわけ再履の学生に多いが)小テストが不安というものも目立った。(念のために書き添えるが,出席カードはまず出席番号順に並べ替えてチェックを行い,そのあと名前を見ないで感想を読むため,再履かどうかということくらいはおおよそわかる。)

これまた念のために書いておくが,左のLINKSにある神戸親和 心理学研究法ファイルにある,

第3回 研究全体の流れと5つの研究法1.pdf
第4回 研究全体の流れと5つの研究法2.pdf
第5回 リサーチ・クエスチョンと仮説.pdf
第6回 実験的方法.pdf

これらが小テストの範囲。ごく基本的な内容(心理学を学んでいく上で知っておくべきこと)を理解できているかどうかを確認するのが小テストの目的である。今回のリアクションペーパーにも「言葉が難しい」という感想が寄せられているが,なぜそのような「難しい言葉」を使わなければならないかを考えてみてほしい。これについては,次回のQ&Aでも扱う予定。

2007年11月9日金曜日

学習心理学Ⅱ@松蔭 第6回 (11月8日)

きょうは言語行動とルール支配行動。スキナーの著作の中で最も議論を呼び,最も難解とされる言語行動の導入として,獲得時の随伴性によって分類できるマンド,タクト,エコーイックの3つだけを紹介する。ルール支配行動が臨床的な,また日常的な問題を理解する上で,学生の関心を惹きやすいと感じるが故に,このテーマをシラバスに載せたというのが本当のところ。
言語行動については避けたい気がしなくもないのだが,ルールについて話すとなると,単に「随伴性を記述した文章」とは定義しにくい。いきおい「タクト」について説明しなければならなくなり,言語行動について導入部分だけでも話す必要が出てくる。

尤も,言語行動は行動分析学を一般の人たちに理解してもらうためのキーとなっていることも否めない。以前は異なる文脈で尋ねていたのだが,今回の言語行動の導入として「ヒトとヒト以外の動物の違い」を書いてもらった。リアクションペーパーに回答が書かれていた36枚のうち,ちょうど半数の18枚が言語であったように,おそらく一般には言語はヒトとヒト以外の動物に線引きをするときにまず最初に思いつくもののひとつであろう。その言語行動も他の,レバー押しに代表されるオペラントとして行動随伴性によって形成されて,維持・抑制されることを理解すれば,行動分析学全体をより深く理解できるだろう。また,行動分析学が「意識」を言語行動であると定義していることから,行動分析学が心的な過程を無視しているというこれもまたよくある誤解の一つを糺すことにもなるだろう。

次回は小テスト。2つの条件づけについては範囲に含めないから,いつもの場所にある第2回から第4回の3回分がテスト範囲。理解しているかどうかをテストしたいのは,いつもそうなのだけれど,日常的な行動を行動分析学でどのように説明しているかということ。後期に入って実験的な内容も含んでいるのだけれど,結局は人間の行動を理解するための手段に過ぎない。要はそこで使われている概念を日常的な行動の説明に使えるほど理解できているかどうかが鍵である。

2007年11月6日火曜日

心理学研究法 第6回 (11月5日)


予定より少し多めにビデオを見る。アイの初期の実験の様子(コップ重ねも含めて)や今回は見ていないがローレンツの実験の様子などは,もう長い間何度も見直しているけれど,毎回それなりに楽しい。ビデオ自体というのもそうだし,学生の反応を見るのも含めて。

たまたま先週の学習心理学の授業でもそうだったのだけれど,ラットのレバー押しとか自動反応形成のビデオは,その様子自体を「とても興味深い」と感じる学生は多くない。オペラント条件づけで,オペラントの定義を理解して,しかも,私たちの日常行動が持っている「機能」がレバー押しで抽象されていることを理解できるようになるには,行動分析学の理念やその基盤としている哲学である徹底的行動主義をある程度理解してからでないと難しい。

尤も,私は学部2年生のとき,ラットのレバー押しを実験演習の実験供覧の授業の後,もういちど動物実験室に自分から出かけていって見せてもらった覚えがある。今考えると実にナイーヴだったのだけれど,ミュラーリャー,重さの弁別,要求水準etc.どんな実験でもその実験自体も楽しく感じたし,さらに,そのようにして何かが「少しでも」わかっていく過程に感心していた。そしてそうしたわかるまでの過程,わかることの喜びのようなものを,学生に伝えることができればいいと,いつも思う。リアクションペーパーに,ネズミが可愛かったとか面白かったというものが必ず1~2枚はあるのだけれど,逆に可哀想というものもそれと同数以上あるというのが実態。

授業で紹介したサイ・モンゴメリの「彼女たちの類人猿」(平凡社)は親和の図書館には入っていません。また,ほーほー堂をはじめ多くのオンライン書店で入手できず,amazonのマーケットプレイスに現時点で4冊あるだけのようです。希望があれば,吉野まで。

2007年11月4日日曜日

悲しい性



きのうきょうとお出かけ日和。きのうは仕事だったのだけれど,きょうはお昼前から六甲山にお出かけ。神戸に来る前に住んでいた大阪も嫌いではなかったけれど,事ある毎に20年間住んでいた東京に帰りたいと思っていた。けれども神戸に住んで1年半余り,東京に帰りたいと思うことはなくなってしまった。逆に学会などで東京に出かけると早く神戸に戻りたいと思うまでになってしまった。

神戸の沢山ある魅力の一つは山と海。日本三大夜景のひとつの六甲山からの眺めは,昼間に見てもすばらしい。眺めながらふと思い出したことがあった。ああ,人間というものは,欲深いものなのだ,あるいは悲しい性を持つものなのだと感じたこと。

つい先日のこと,ある学生と話していたら,彼女が住んでいるのは明石大橋が間近に望めるとあるマンションの22階。さぞやかしすばらしい眺めを毎日毎夜楽しんでいるのだろうとうらやましがったところ,彼女は一言,「飽きました」。悲しいかな,おそらく100人が見れば100人が感嘆するであろう眺めをもはや彼女は当初ほどには楽しめないとは・・・。急いで書き加えなければならないのは,これが彼女個人の問題ではなく人間一般の問題であること。つまり,パヴロフ型条件づけの馴化かオペラント条件づけの飽和化のいずれかは判然としないが,同じ刺激を繰り返し経験すると,その刺激が持っている反応(パヴロフ型で言うところの定位反応)を引き起こす力やその他の反応を強化する力(オペラントで言うところの強化力)は弱くなっていってしまうのである。本当かどうかは知らないが,○○は三日見れば・・・という常套句はこうした現象の日常例と考えることもできるのである。それではどうすればよいか。遮断化すればよいという至極単純な答えが返って来るであろう。

神戸に住んでいても,ときどき山に登り,そのすばらしい眺めを楽しむのが分相応という以前に,人間の性を考慮したやり方かと思ったことであった。

11月に入ってから,このブログにもカウンターをつけてみた。読んでくれている人が若干名はいることがわかってちょっと嬉しい。

お断り: ここに示した画像は,ビバ! 夜景というサイトのものを無断使用しています。きょう出かけたのは,まさしくこの場所でした。問題があれば,削除いたします。

2007年11月3日土曜日

嬉しい知らせ

つい先日書いた内容を今年度もまたサポートする事実が2つわかった。嬉しい知らせである。

ひとつは,親和の児童教育学科から43名が小学校の教員採用試験に現役合格したこと。卒業生を含めた26名が神戸市の小学校教員に合格しており,後者の数字は,国立大学法人の兵庫教育大学,大阪教育大学,あるいは親和より規模の大きな私立大学を凌いで大学別ではトップの数字なのだそう。

もうひとつは,大学院の心理臨床学専攻の修了生が受験していた臨床心理士の資格試験の合格者について。最終的な実数は把握できていないが,1次試験の受験者20名あまりのうち,9割以上が合格しているとのこと。まだこれから2次試験を控えているが,これも嬉しい知らせである。ちなみに,昨年度も75%程度の最終合格率となり,開設以来昨年度までの4年間で50名程度の資格取得者に加えて,今年度もその数字を順調に積み上げることができそうである。

先日も書いたが,親和のいわゆる受験のための偏差値は必ずしも高くはない。また,学費等のことも関係しているのだろうが,第一志望で入学してくる学生の数も決して多いわけではない。けれども,入学後,彼女らが真摯に取り組み,教職員がサポートした結果としてこうした数字があがってくるのは,ほんとうに嬉しい話である。手前みその話になってしまうけれど,良いこともそうでないこともきちんと対外的に知らせるのは大切なことだと思う。

2007年11月1日木曜日

心理学科の居場所


尊敬する友人(と呼びたい)のひとり,関西学院大学の中島定彦先生がこの春から在外研究員としてシドニー大学に滞在されている。今更ながら気づいたのだけれど,彼のブログ(シドニー日誌)の初期の記述の中にこんなものがあった。

シドニー大学の「School of Psychology」は「Faculty of Science」に属しているので、まとめて邦訳すれば「理学部心理学科」。他に理学部は、「生物学」「化学」「地学」「科学史科学哲学」「数学統計学」「分子生化学」「物理学」の「School」がある。このことからも心理学が自然科学の1つとして位置づけられていることがよくわかる。

これは,私が学位を取得したUCLでも似たようなものである。心理学科 Department of Psychology は,生命科学部 Faculty of Life Sciencesに所属しており,同じ学部には,解剖学・進化生物学(+医学史), 生化学・分子生物学,生物学,人間コミュニケーション科学,薬学,音声学・言語学,生理学が学科として並んでいる。ここでもやはり心理学は自然科学の一部であることがわかる。

UCLでのスーパーバイザーProf Phil Reedはウェールズ大学のスウォンジー校に異動して数年になる。現在はヨーロッパ行動分析学会の会長の重責も担いつつ,基礎と臨床の両方で活躍中。スウォンジー校の心理学科人間科学部 School of Human Sciences に属しており,応用社会科学 Applied Social Sciences, 児童学 Childhood Studies, スポーツ科学 Sports Sciencesと共に名前を連ねている。

同じ学問であってもそれぞれの国にはそれぞれの歴史があるから,同列に論じることができないことは承知の上で,せめて心理学が「文学部」にいる状況は脱したいと思っているのは私だけではないはずなのだけれど・・・。

学習心理学Ⅱ@松蔭 第5回 (11月1日)

きょうは2つの条件づけの関係。私が学生から大学院生だったころには,もう終わりかけていたけれど,今でも嫌いではない二要因説の話。Brown & Jenkins(1968), Williams & Williams (1969), Jenkins & Moore (1973)の3つと,ラットの自動反応形成をビデオで見てもらった。

ただでさえ小難しい話に加えて,ビデオが暗めなので教室を暗くしなければならす,半数近くが眠っていたように見えた。私自身は議論の展開自体を面白く感じるけれど,典型的な実験であればあるほど,多くの学生には自分の関心や興味やイメージの範囲から遠ざかってしまうのかもしれない。さて来年度はこの話はしないことになってしまうかもしれない。リアクションペーパーにもあまり好評な反応は見られず・・・(涙)。

いつものように,ここに本日分のファイルをアップしました。ビデオは今のところ上げていません。また,授業中に触れた,グーグル・スカラーは,本当に便利な検索ツールです。もちろん日本語のものも検索対象ですから,レポート作成などでも利用するとよいと思います。ふつうに検索すると,本当に玉石混淆,学術的には意味が無いどころか間違った情報を含んだページも結果として表示されますが,こちらでは,もちろんblogは含まれませんし,ある程度の水準以上のものだけが表示されます。
ちなみに,「吉野俊彦」を検索すると,普通のグーグルでは経済学者・森鷗外研究家の吉野俊彦が多く表示されるのだけれど,スカラーでの検索結果は私のものが数多くて嬉しい。

授業中にも確認しましたが,小テストは11月15日に実施します。範囲は後期の今日までのところ。但し,今日紹介した実験の内容は除きます。