2008年1月31日木曜日

心理学研究法 ファイルアップしました

随分遅くなってしまったけれど,前回の正確性・信頼性・妥当性のファイルをアップしました。リンクはここからどうぞ。

またレポートについて質問に来る人がこれまでに多いので,念のためにここでも確認しますが(最後の授業でも確認します),基本的に減点法でなく加点法で評価します。小テストもそうですが,よほど大きな間違いでない限りは減点でなく,自分なりに勉強したことを評価したいと常々考えています。どこかからそのままコピーしてきたような内容でなく,自分なりに考えたことを自分のことばでまとめてもらえればよいのです。

私は今回も楽しみにしているのだけれど・・・。

2008年1月25日金曜日

心理学研究法 課題レポートについて

課題レポートについて追加説明を少しだけ。参考文献も挙げると言いながら,この時間になってしまいました。期待して何度かアクセスしてくれた学生さんにはお待たせしました。

と,書きながら,これから書くこともそれほど具体的な内容でないことをあらかじめお断りしておいた方がよいかもしれません。

まず,Aについて。自分の知りたいこと,つまり,来年度以降,卒論で扱いたいと思っているテーマがあれば,それを具体的に研究するための計画を書いてくれれば十分。ただ,最後に話す倫理的な問題が課題として残るかもしれないが,具体的にどうすればその問題に対する回答が得られるかを考えてくれればよいのである。研究の全体像がどのようなものであるか,実験をはじめとする心理学の研究では,何かと何かを比較することで,独立変数が従属変数に及ぼす効果を査定することを思い出してもらえれば(理解していれば),特別に参考文献は必要ないだろう。

Cはもうすこしややこしいか。参考文献を考えていたのだけれど,あまりにも膨大な量になりそうで,具体的なものをここに挙げるのは止めにしたい。思いつくままに,名前を挙げれば,下條信輔,正高信男,河合隼雄,B.F.スキナー,H.アイゼンク,C.ロジャース,A.H.マズロー,S.フロイト,C.ユング,K.ローレンツ,茂木健一郎,柳澤桂子,中村桂子,多田富雄,養老孟司,H.エリクソン,J.ピアジェ,V.E.フランクルなどなど,長い長いリストができてしまう。つまり,実験的・科学的心理学が採用している方法(人間や人間のある側面を見つめる視点や方法)と,他の(自分が興味・関心を持つことのできる,あるいは,他の授業などで聴いて知っている)心理学者や心理学に関連する研究分野の研究法との違いを論じてくれればいいのである。ちなみに,上記の名前のリストを親和の図書館の蔵書検索にかけてみると,かなりの冊数があって,しかも貸し出し中でないものが多い。もちろん,こうした名前のリストは一部に過ぎない。たぶん授業の最初の頃に話したと記憶しているが,心理学が現在採用している,行動的,認知的,生理的,精神分析(力動)的,人間学的という5つのアプローチのことなどを思い出してもらえるとよいかもしれない。

このレポートに限ったことではないが,少し頭をひねって考えることは結構楽しい作業だということを,ついでに体験してもらえれば,よいレポートができあがると信じている。

2008年1月22日火曜日

心理学研究法 第14回 (1月21日)

隔週の授業というのは少しやりにくい。1週間という時間が生得的に意味があるとは思わないが,幼稚園に通うようになってからは1週間単位で何かが動いていくという環境に晒され続ける。それを理由にしてしまうのも短絡的との謗りを免れないが,いずれにしても1週間空いてしまうと何となくやりにくいのは実感ではある。

いつものように前回のフィードバック。卒論を書き終えた学生のリアクションペーパーには,卒論で因子分析を行い,信頼性も求めたが実は意味がちゃんとわからないまま行っていたというものがあった。卒論を書き終えたということは再履修だろうから,前回の履修時にはたまたま欠席するなどでその内容の授業を聴けていなかったのかもしれない。もし,その内容の授業を聴いていれば,卒論で因子分析をする必要が出てきて,信頼性を検討しなければならないという段階になって,そういえばあのときよく分からなかったけれど,心理学研究法の授業で聴いたことを思い出して,教科書なりプリントなり,関連の参考書に立ち戻ることができていただろう。心理学研究法の授業がそんな形ででも役に立てばと思うリアクションペーパーであった。

続いて授業評価アンケートを行い,課題レポートの説明,そして前回の妥当性・信頼性の続きを終わらせる。

きょうのリアクションペーパーに多かったのは,レポートの課題が難しそうというもの。確かにそうだろうと思うし,そのような課題にしたのは私に考えがあるためである。これまでの授業では基本的な事象を文字通り憶えることが中心になっている。なぜ憶える必要があるかは,心理学で行われている研究を理解するためである。今回準備した3つのテーマは,Aでは実際に理解を使えるかどうか,Bでは理解を踏まえて研究をきちんと読むことができるかどうか,Cはより広い意味で,心理学の研究は個々の研究の積み重ねによって最終的に人間理解に至るものであるという認識が私にあるためで,そうした背景とのつながりを理解できるかどうかを問いたいという意図がある。AとBは3回生以降のゼミにつながる課題であるし,Cはより将来的な意味も含めての課題である。さらに,これは重要なことだ(と私は思う)が,とりわけAとCには固有の正解が存在しない。

さて,Bの論文を1編選んでということだが,方法には2つある。一つは図書館に行くこと。親和でも以下のような雑誌を講読している。図書館にあるものを実際に手にとって読むことである。

家族心理学研究, 感情心理学研究, 教育心理学研究, 教育心理学年報, 
健康心理学研究, 行動療法研究, 交流分析研究, 実験社会心理学研究, 
社会心理学研究, 心理学研究, 心理学評論, 動物心理学研究, 
パーソナリティ研究, 発達心理学研究

もうひとつは,GeNii 学術コンテンツ・ポータル(国立情報学研究所)を利用して,自分に興味のある単語を使って検索することである。親和の図書館のWebページから利用できる。大学のページから付属図書館→資料をさがす→便利なツールを辿ると,その一番上に入り口が表示される。ここから入って,「論文を探す」に行けば,各大学や研究所で発行している紀要や年報なども含めて検索できる。紀要論文などではそのまま論文をダウンロードできるものもある。取り寄せをしなければならない論文を読みたいときには,図書館のカウンターまたは吉野に尋ねてくれればよい。

AとCについてはまた追って参考文献のリストをアップする。

2008年1月18日金曜日

学習心理学Ⅱ@松蔭 第13,14回 (1月10,17日)

昨年末の第12回から行動療法の入門編。

本来,科学 science とは「知ること」がその目的であった。けれども,現在の科学は,工学・技術 technology の側面をその目的に含めなければ,社会的な責任が果たせなくなっている。人間がこのように行動するという説明ができて,理解ができるだけでなく,それが何らかの意味で社会的に役立たなければならないということである。科学の定義が本来「知ること」であったことは事実だが,もうひとつ過程的な定義として私が好きなものがある。それは「科学とは科学者の行動である」というもの。科学者とは誰かという問いを考えると,トートロジーに陥る危険を孕みつつも,時代によって常に変化する活動である科学が,同様に時代によって常に変化する人間の行動のひとつの営みであることを示唆するだけでなく,科学の実態を常に新しくしていくという意味においても,私には重要な定義であるように思える。

行動療法が基礎的な人間の行動の理解を基盤としていることは論を待たない。そして,行動療法は2つの条件づけというきわめて素朴に見える過程によって,人間の行動を理解し,理解し,予測し,統制することが可能であることのひとつの証左でもある。その入り口程度しかこの3回では話すことができなかったが,少なくとも,高所恐怖症をエクスポージャーによって克服(改善)できたり,うつ症状の古典的なモデルとして学習性無力感があるなど,2つの条件づけが持つ力の一面について理解してもらえれば,そこから興味・関心が広がっていくのではと楽観したい。

私が行動分析学の立場に立つのは,つきつめればそれが好きであるからに他ならない。もちろん,好きであることには理由がある。人間とは何かという素朴な,けれども根本的な問いに,内容的な回答でなく,機能的な回答を与えてくれて,それで私は十分に納得してしまうからである。この1年間の授業を進める上でその背景として哲学的な内容が少しでも伝わっていたとすれば嬉しい。最後のリアクションペーパーにもいくつかそれに近いような反応が記されていたことをとても嬉しく思う。文字通り,授業の準備をし,授業をするという行動の最大の好子(正の強化子)である。

なお,レポートのテーマや参考文献については,ファイルのページを参照してほしい。テーマとしては少し難しい内容に見えるかもしれないが,自分なりに理解したことを単なる感想でなく議論できていれば,その主張の方向性には関係なく高い評価が得られることを書き添えておく。さて,どんなレポートが提出されるか,とても楽しみ。レポートや評価についてのコメントも必要に応じて紹介する予定である。

2008年1月9日水曜日

心理学研究法 第13回 (1月7日)


さて,今年第1回の研究法。つい数年前までは,大学の授業というと,年明けには1回顔合わせがあるくらいでその翌週には試験,1月下旬にはもう終わっていたのだが,最近はまだまだこれから一山である。

まず小テストの返却とフィードバック。模範解答のようなものがほしいという希望がリアクションペーパーにあったため,今回の授業分のファイルとしてアップしてある。

結果は,全体の平均点が9.8点,SDが5.37点だった。ちなみに,2回生だけだとそれぞれ10.8点,5.46点となる。 再履修することは基本的には再学習のはずだから,より理解が深まる可能性があると考えたいのだが,今回の結果だけからはむしろ,意欲を損ねてしまう危険性があるように見える。オリエンテーションでも話すし,個人的にも話すことは,1回目に聞いただけではよくわからなかったことでも,もう一度聞くことできちんとわかるようになるから,たとえば合格点ぎりぎりで単位を取得するよりも,再履修することで80点以上の成績で単位取得する方がよいのではということである。平均点だけを見れば,必ずしもそのようにはなっていないように見える。急いで付け加えなければならないが,もちろん再履修の学生で今回の小テストでも満点だった学生もいるし,すべての学生が意欲を失ってしまうわけではない。

冒頭に図示したのは今回の結果のヒストグラムである。平均点だけで議論することが望ましくないこと,また,分布を確認しないで平均点だけで議論することが意味がないことは,今回の結果においても明らかである。たまたま勉強する時間がなかった学生,小テストが実施されることをしらないまま受験した学生もいるのかもしれないが,17名の学生が4点以下となったのは,私の教え方にも問題があるのかもしれない。その一方で,8名が8割以上だったのは,嬉しいことだった。欲を言うとすれば,12~14点の13名(ここがモード)のあたりが,14~16点に上がれば,もうすこし「きれいな」分布になっていたかということだろうか。

テストは,学生の理解度を測定(当然,妥当性・信頼性が十分に考慮されなければならない)するだけでなく,教員が伝えたいことがどれだけ伝わっているかを測定することでもある。そして,その測定の目的は単に成績評価を行うだけでなく,自分の理解度,伝わっている度を事実として把握した後で,最終的な授業の目的である,「研究法の理解」をどのようにすれば,よりふかめることができるかを考えるきっかけとなるものである。

きょうのリアクションペーパーには,意外によかった,思ったほどとれていなかったなどなど様々なコメントがあった。次回はがんばる。レポートと合わせて死ぬ気でがんばるなどといった嬉しいコメントも少なくなかった。終わったことを悔やんでも仕方がない。これからどうするかが常に大切なのであると,また説教くさいことを考えてみたりする。

飛び石であと2回の授業があるが,次回は信頼性を終わらせて,文化的バイアスと倫理の問題を扱い,そしてレポートのテーマの発表をする予定。気にかかっている学生も多いだろうから,授業で確認した概要をここにも書いておく。

締め切り: 2月初旬(最後の授業の週末)
複数の課題から一つを選択してまとめる
枚数制限はなく,A4版の書式のみを指定する
提出方法は事務,研究室のポスト,メールの添付ファイルのいずれでも可
(但し,ポストと添付ファイルの場合は受領メールを送信する)
30点満点で評価する

最終回(2月4日)にもう一度,小テスト(前回の次のところから次回扱うところまでが範囲)を行い,出席点30点,小テスト2回40点,レポート30点で評価する。

さて,妥当性・信頼性のことを書かないままだが,これについては,次回まとめて。

心理学研究法 第12回 (12月17日)


年末年始をずっとさぼり続けて,久々のブログ。すでに年明け第1回の授業は済んでいるのだが,順序通り前回のものから。

小テストの実施に続いて実験のバイアスについてまとめる。ごくごく基本的な倫理的な問題を含んでいるが,倫理の問題は次回話す予定。当たり前だけれど,研究とは研究者が行うものである。研究者は人間である。ひとりひとりが異なる行動特性を持つ人間が行うことであれば,そこには様々な望ましくない問題を抱え込んでしまう危険性が伴う。社会的に大きな問題となったマンション構造の偽装から,昨年のあるテレビ番組でのデータのねつ造,そしてあとからあとから繁殖するように発覚してしまった食品会社の偽装などなど,人間が行っていることには,望ましくない問題が含まれていることがある。実験もそうした人間の行うことである以上,目的であるはずの因果関係の特定を事実から示すのでなく,事実であるはずのデータを改ざんすることで,都合の良い結論を導くことは,ある意味で日常茶飯であるとしても過言ではない。

日常茶飯というのは極端に聞こえるかもしれないが,いわゆるグレーゾーンに分類されるような,そこで扱う現象の因果性がはっきりとしない場合には,研究者やそのスポンサーの都合で,データを改ざんとまでは言わないまでも,都合の良い側面を取り上げて結論を導くことがある。喫煙とガンの発症との関係はその典型であるし,また薬害の問題もその中に含めて良いものかもしれない。

授業では扱わなかったし,言及もしなかったのだが,どのようなバイアスが生じやすいかというだけでなく,常に批判的に(非難や誹謗中傷でなく)物事を見つめることが,実は何よりも必要なのだろうと思う。

画像は,ゼミ生から許可をもらって上げた,今年の初日の出。須磨からこんなにきれいな朝日が望めたのだそう。今年が良い年になるようにという願いを込めて。