2008年1月18日金曜日

学習心理学Ⅱ@松蔭 第13,14回 (1月10,17日)

昨年末の第12回から行動療法の入門編。

本来,科学 science とは「知ること」がその目的であった。けれども,現在の科学は,工学・技術 technology の側面をその目的に含めなければ,社会的な責任が果たせなくなっている。人間がこのように行動するという説明ができて,理解ができるだけでなく,それが何らかの意味で社会的に役立たなければならないということである。科学の定義が本来「知ること」であったことは事実だが,もうひとつ過程的な定義として私が好きなものがある。それは「科学とは科学者の行動である」というもの。科学者とは誰かという問いを考えると,トートロジーに陥る危険を孕みつつも,時代によって常に変化する活動である科学が,同様に時代によって常に変化する人間の行動のひとつの営みであることを示唆するだけでなく,科学の実態を常に新しくしていくという意味においても,私には重要な定義であるように思える。

行動療法が基礎的な人間の行動の理解を基盤としていることは論を待たない。そして,行動療法は2つの条件づけというきわめて素朴に見える過程によって,人間の行動を理解し,理解し,予測し,統制することが可能であることのひとつの証左でもある。その入り口程度しかこの3回では話すことができなかったが,少なくとも,高所恐怖症をエクスポージャーによって克服(改善)できたり,うつ症状の古典的なモデルとして学習性無力感があるなど,2つの条件づけが持つ力の一面について理解してもらえれば,そこから興味・関心が広がっていくのではと楽観したい。

私が行動分析学の立場に立つのは,つきつめればそれが好きであるからに他ならない。もちろん,好きであることには理由がある。人間とは何かという素朴な,けれども根本的な問いに,内容的な回答でなく,機能的な回答を与えてくれて,それで私は十分に納得してしまうからである。この1年間の授業を進める上でその背景として哲学的な内容が少しでも伝わっていたとすれば嬉しい。最後のリアクションペーパーにもいくつかそれに近いような反応が記されていたことをとても嬉しく思う。文字通り,授業の準備をし,授業をするという行動の最大の好子(正の強化子)である。

なお,レポートのテーマや参考文献については,ファイルのページを参照してほしい。テーマとしては少し難しい内容に見えるかもしれないが,自分なりに理解したことを単なる感想でなく議論できていれば,その主張の方向性には関係なく高い評価が得られることを書き添えておく。さて,どんなレポートが提出されるか,とても楽しみ。レポートや評価についてのコメントも必要に応じて紹介する予定である。

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