2008年4月8日火曜日

授業開始

Boy, have I got this guy conditioned! Every time I press the bar he drops in a piece of food.

This cartoon from the Columbia Jester was reproduced by Skinner in 1961.

大学院は先週末から,学部は昨日(月曜日)から授業開始だったが,たまたま私の研究日が月曜日,土曜日は授業がないために,私にとっての新年度は今日が始まり。

大学院文学研究科心理臨床専攻には18名の臨床家の卵を迎えた。私の率直な思いからすれば,臨床家でなく,研究者の卵と書きたいところだが,親和の大学院は一種指定校だから,私たちが準備しているのは万全とは言えないまでもそのようなカリキュラムであり,ここに集う人が目指すのはあくまでも臨床家であるはず。まずはしっかりと基礎(心理学の基礎がどこにあるかが人によって見解が異なるのは善し悪し)を固めて,近い将来にしっかりとした臨床家に成長してくれればと思う。

これはいつも口にすることだが,日本の「教育」ということばと,欧米のeducation,erziehenとの違いは非常に重要criticalであると思う。私たちができることは,彼らが成長していくことの手助けに過ぎない。それは臨床場面でクライエントと対峙するときよりもはるかに指示的(いずれも支持的であることはいうまでもない)であるはずだが,それでも,私たちに出来ることは学生ひとりひとりが成長していく手助けに過ぎない(はず)。まさか大学院にきて,教えてくれたり,助けてくれたりするまで何もしないで待っている院生はいないだろうが,同時に私たちにできることの限界を常に感じていなければならないと思う。

さて,そのようにひとりひとりの能力を引き出すのには,あるいは何かの悩みを解決するのには,穴や井戸の奥深くに分け入っていかなければならないのだろうか,それとも,その人の周囲に何らかのセッティングをしてあげるだけでよいのだろうか。

ここに掲げたマンガが何を意味しているのかについては(英語では彼らの会話が書かれているけれど),考えてみて欲しい。

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