2007年12月1日土曜日

It's not fair.

そのうちと書いていて,まだ書けなかったことをまとめておこう。

もう3週間前の親和の学園祭初日。春学期に担当した1回生の基礎ゼミの学生が模擬店出店で参加しているのだけれど,私は仕事で手伝えず。初日のハイライトは,蝦ちゃんが来ることだった。特別にファンというわけではないのだけれど,親和まで来てくれるなら是非見に行こうと,ぴあでチケットを確保して,ふたりの子どもも連れて行こうと妻ともども楽しみにしていた。

しかし,全く基本的な確認を怠って(尤も,何度か大学祭実行委員会に電話をしたり直接でかけたりしたのだが不在ばかり),3歳と4歳の子供達であれば膝上で入場可能だろうと勝手に判断していたところ,入り口で一人1枚ずつ必要ですと言われて,半分(妻とこどもひとり)だけ入ることも考えたのだけれど,諦めようと,すごすごと帰途についてしまう羽目になってしまった。

それで思い出したことがひとつ。チケットを巡る出来事と言うだけで,何も関連性はないこと。ロンドンにいた頃とても頻繁にコンサートやオペラに出かけていた。その一つでの出来事である。ボロディナとホロストフスキーというロシアのふたりがフェスティヴァルホールでオペラアリア集を歌った。コンサート自体はとても楽しかったのだが,事件?は休憩中に起こった。相当なビッグネームの2人だったにもかかわらず,オーディエンスは半分くらい。私が座っていたのはアネクセという1階の前寄りのサイドの席だった。前半のプログラムが終わると,1階席の後ろに座っていた人々が退去して前半分に異動してきたのである。中には2階,3階席あたりから民族大移動よろしく降りてきた人も数多くいたに違いない。

起こった事件というのは私も「それならば」と1階席の中央付近に移動した後だった。隣に座っていたらしきおじさんがトイレからかどこからか戻ってきてお前はどこから来たのかと尋ねるのである。日本からという冗談が口をついて出るような口調ではなかった。ほどなくおじさんは係のおばさんを伴ってもどってきて,後の処理は任したぞとばかりにどっかと座り込んだのである。

そこから先は係の女性と私のやりとり。要するに,It's not fair. お前さんのやったことはフェアでないということである。お前が持っているチケットはアネクセのものである,空席があるからこちらに移るというなら,その差額を払わなければ,フェアでないということである。差額を払わずにここに移りたいというなら,支配人に掛け合いなさいという。私だけでなくて多くの他の人たちも異動しているではないかと言うと,今問題にしているのは,お前のことだ,他の人たちを理由にしてお前の行動を正当化しようとするのはフェアでないという。日本人だと,叱られたとき,注意されたとき,あいつもやっているではないかという理由付けは何となく理解されるものだが,イギリスでは全く意味をなさなかった。

フェアであるかどうかがイギリス人にとってとても重要な行動の基準であることは何となく知っていたけれど,このような形で自分に降りかかってくるとは夢想だにしていなかった。そういえばこんなこともあった。自転車で町中を走っていたときのこと。横断歩道をまもなく渡ろうとする小学生の集団とその集団を先導している男の人がいた。まだ大丈夫と思った私はそのまま走り去ろうとしたのだが,その私の背中に浴びせられたのは,"Zebra Crossing!!"という怒鳴り声。要するに横断歩道を渡ろうとする人がいれば必ず止まれという注意である。

まあ,この後者の例はフェアである云々とは直接関わらないが,イギリス人がルールのようなものを如何に大切にしているかという意味で共通しているようにも思える。さて翻って本邦ではということを言い,あっちはいいとかこっちは悪いと言いたいわけではないが,数学者藤原正彦のことばを最後に引用しておく。

イギリス人はfairを尊ぶ。辞書の,公平な,公正な,適正な,正当ななどとは少し違っているという。「フェアーであることを,イギリス人は絶対的なことと考え,アメリカ人は重要なことと考え,ヨーロッパ人は重要なことの一つと考え,日本人は好ましいことと考える」

ちなみに,冒頭の蝦ちゃんの一件には後日談がある。その場にいた,実行委員の1人が心理の学生で,彼女がかけあってOKをもらってくれていたとのこと。OKをもらって戻ってきたときには私たちは帰宅の途に着いていた。いや,正確に書けば,羊への途。蝦が羊に化けた夜だった。

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