2008年7月13日日曜日

心理学(共通教育) 第12, 13回 性格・知能

おそらく一般にイメージされる心理学の中核,性格。そのテーマと言うだけでなく,もうひとつの意味でも一般にイメージされる心理学の中核と言いたいのが,この性格(と,ついでに知能)。
誰もが知っていて,誰にもきちんと説明することのできない現象,事象,要因,何かという意味である。

おそらく誰もが親や友人や教員やetc.に,お前は○○な性格だから・・・とか××な性格だなあとか言われて育ってきた。そこで使われる日常的な意味での性格と,心理学で使われる意味での性格と,もちろん重なっている部分もあるが,そこから大きく逸脱している部分もある。とりわけ,日常的にはアプリオリに何らかの意味でわかっているものとして扱われているのに対して,心理学ではそれ自体が説明されるべき対象である。つまり,きちんとわかっていない。

前述の心理学の中核というのは,この意味である。すなわち,日常的に何となくわかって使われている事柄であるのに,心理学的にきちんと説明しようとすれば,さて何なんだろうと頭を傾げてしまう事象を心理学はとても沢山抱えている。その典型という意味である。

もうひとつ書いてしまえば,正確にいつの頃からか知らないが,Kretschmerを説明する教科書が欧米にはまず存在しないのに対して,日本の教科書では旧態依然としている。そもそも類型論的な理解を大学で教える必要があるとすれば,心理学史においてだろう。そのような現象,洋の東西で教えられる内容の隔絶は,私が学生であった頃が最後でない。1980年代にして,10年遅れていると言われていた,そのまま今に至っているのか。それともさらに周回遅れになってしまっているのか。もちろん,心理学でも最先端を走っている人たちが日本にも沢山いて,そのような人たちが10年遅れているわけでないことは急いで書き添えなければならないが・・・。

そして,肝心の内容。私たちは,性格や知能について,学生に今,何を教えなければならないのだろう。旧態依然とした授業をしながら,これまた教える側も首を傾げてしまわざるを得ない。

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