2008年7月13日日曜日

2つの授業参観: 知っていること,できること

親和でもFD (Faculty Development: 大学教員の資質開発,とりわけ授業内容や方法の改善・向上を目指す) の取り組みが行われている。昨年度より始まったのが,教員相互の授業参観である。今回は3つの授業を(うち一つは所用のために最初の30分だけ)参観した。

驚くことも沢山あったのだけれど,私の授業に比べると,3つのどの授業もより多くの学生の興味・関心を引きつける力の強いものだった。だからといって,私の授業を自ら卑下しているわけでも貶めているわけでもない。選んだ授業の3つがいずれもたまたま,実学的な要素の強いもので,そこで学ぶことが自分の近い将来の仕事に直結する,理論を伴いながらも具体的に何をどうするかという内容のものだったことが,その最も大きな理由だったのではないかと考えるからである。

たとえば,幼児教育の教員の話し方は,私が知っている限り,いわゆる幼稚園や保育園の先生方が子どもたちを相手にするときのしゃべり方とほとんど変わらない。実は最初耳にしたときには,言葉を選ばずに書いてしまえば,目が点になる思いだった。けれども,すぐに気づいたのだが,そうした話し方は学生が近い将来にこどもたちを実際に相手に話すときのとてもとてもよいモデルとして機能しているのである。一緒に歌って,手遊びをして,といった様子は,私がこれまでに全く大学という場所で見聞きしたことのないものだった。

幼児教育の授業の例は,ほんの一例だが,そうした授業で私が最も強く感じたことは,当たり前のことなのだが,自分ができることというのは,自分が知っていることから大きく逸脱しないということである。私が過ごしてきた大学,大学院の時間で巡り会った教員が一体全部で何人いたのかわからないが,たぶん私が現在行っている授業の形態は,そうした経験をもとにして私なりに変化させて工夫したものにすぎない。昨年参観した心理学関連の授業は,私がそれまでに知っていた範疇に十分収まるもので,今回のような驚きは些かも感じることがなかった。

今回の参観した授業の中から私が実際にうまく取り入れられる方法がどれほどあるかはわからないが,少なくとも,自分がこれまでに知っていた枠を壊してしまってもよいのだということを感じられただけでも,十分すぎるほどの収穫だったと強く思う。

もうひとつ付け加えれば,私の知らなかったこと,また誤解していたことが,内容としてあつかわれており,勉強になった,そして,わかっているつもりできちんとわかっていないことが,当たり前だけれど,沢山あるのだと,これまた痛感した。

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