2007年10月16日火曜日

心理学研究法 第3回 (10月15日)

前回のファイル設定に問題があったようです。ここをクリックして,該当するファイルをダウンロードして下さい。

今回の授業は全く不出来。リアクションペーパーにも多数あったとおり,スライドと配付資料との対応が明確はありませんでした。以下に,授業運営について思っていることを書いてみます。

ハンドアウト(配付資料)をプリントで配ることについては,いくつか考えるところがある。
まず学生のノートを取るという行為について。自分にとって効果的にノートを取ることが得意でない学生が多いように見える。例えば,講義を聴きながらペンを動かす学生はごく少数のように見える。その一方で,スライドが新しいものになると,これはノートに取るまでもないですと話しても,全部書き取ろうとする学生は少なくない。おそらく板書もそうなのだろう。私は板書することはほとんどないが,教員が板書することをそのまま書き写すということをこれまで経験的に行ってきたのかもしれない。
次に,こちら側の対応について。私の授業のスタイルは,現在パワーポイントを使ってのプレゼンテーションがほとんどである。話が脱線することもままあるが,基本的に話す内容が,聴覚だけでなく視覚的にも情報として提示されるようにしている。換言すれば,板書する内容よりも遙かに多くのスライドが呈示されることになる。そのうち,板書する,つまり学生がノートを取る程度の内容について(私が重要であり,きちんと理解して欲しい内容について)ハンドアウトを就くって配布している。呈示されているスライドがハンドアウトにないと「不安」なのかもしれないし,どこを話しているのかわからない(つまり呈示されているスライドがどこかにあるはずだと思って探しているうちに授業が進んでいってしまう)ということがしょうじているのだろう,何人かのリアクションペーパーには,スライドに番号を付けて欲しいというコメントがあった。

100人に近い学生が履修してると,すべての学生の要求に満足するような授業運営は難しい。冷房が効きすぎているコメントに対応して,次の授業で弱めれば,今度は何人かが効いていなくて暑かったというコメントが返ってくるだろう。

そのような環境設定や学生同士の私語を教員がコントロールしなければならないのかどうか私にはよくわからない。私に出来ることはせいぜい,私語がうるさかったというコメントが少なくなかったという程度に思える。最後手段として退出させる,それでもダメなら座席指定をということくらいなのだろう。行動分析の立場からは,授業に集中して聴くという行動を強化することが最善,私語をする学生に注意するという弱化(これはほとんど効果がない)か次善,そして授業参加を拒否するという負の弱化,そして物理的な拘束や状況設定(座席指定など)が最後の手段として位置づけられる。残念ながら私語という行動を抑制する効果は一般的にはこの順番に強くなるように感じている。教員の立場からすれば,集中して聴くような内容の授業を進めることが最も望ましいのは言うまでもないのだが,さて,100人のすべてに興味深い授業というのが,例えば研究法のような授業で可能なのかどうなのか。

様々な議論が繰り返されて,また教員はファカルティ・ディベロプメント,学生からの授業評価なども含めて,すこしでもよい授業(何をもって「よい授業」と呼ぶのかについても議論はある)を提供できるように努力しなければならないのは確かなことである。ただ,それを実現するために,学生側の参加がなければならないのも確かなのだけれど・・・。

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